金工研究

金工セミナー

 9月末に京都で東アジアの金属文化研究に関するセミナーがあったので参加した。
沖縄関係の発表もあり、長年金工関係で教示いただいている久保先生の主催のセミナー(40名ほど)だったので、京都へ出向く。
金工セミナーであったが朝鮮、中国、日本、琉球の元宋代の美術品(陶磁器、絵画、漆器など)との関連での発表が中心で、興味深く学んだ。
 
内容は以下のファイル。

「09.pdf」をダウンロード

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鹿児島民具学会ー鹿児島の錫文化

 1月に沖縄民俗学会で発表した、「南九州と沖縄の錫文化」を、鹿児島民具学会で発表します。
 鹿児島での調査をかねた参加です。
 80年代後半に学生時代に過ごした鹿児島。卒業後何度か訪れていますが…。ようやく鹿児島と沖縄をつなぐ独自のテーマが見つかっての、研究発表ができることを楽しみにしています。精力的な民俗学者の恩師・下野先生に、未熟な内容でのお叱りをおおいに期待しながら…。地元研究者のご意見も伺えるかと…楽しみです。
鹿児島民具学会の3月例会は、HPでも確認できます。

*粟国恭子「鹿児島と沖縄の錫文化」
*日時:2009年3月7日(土)午後1時30分~4時30分
*場所:鹿児島市中央公民館

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南九州・沖縄の錫文化

 沖縄民俗学会1月例会(1月24日土午後4時~ 沖縄県立芸術大学 一般教育棟教養103教室)で発表しました。
 発表タイトルは「南九州・沖縄の錫文化ー技術の系譜ー」です。
 「琉球の錫」という小文を書いて10年目。沖縄の文化・工芸分野で研究者も少ない金属文化の研究発表です。
 以外と琉球・沖縄の錫文化は歴史も古く16世紀には文献に登場してきます。古くはマラッカ・中国の錫、近世期には薩摩の谷山錫山の錫を輸入し、錫文化を育みました。10年ほど金属文化に視点を当てた研究を続ける中で、今回は、近世の鉱山技術史及び薩摩・鹿児島の錫文化を絡めて、琉球・沖縄の錫文化をとらえました。
 鹿児島での調査成果発表が中心で、鹿児島でも金属文化研究は少ないので、3月には鹿児島民具学会で発表します。

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「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き」展によせて

2007年8月28日(火)『沖縄タイムス』に掲載

「沖縄の金細工~うしわれようとするわざ・その輝き~」展に寄せて

琉球では、金銀を扱う金細工(クガニゼーク)、錫・銅を扱う錫細工(シルカニゼーク)の金工職人がいた。彼らは、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器職人と同時期の16世紀後半には存在していたことが、『球陽』や家譜資料の文献資料で確認できる。1592年に、金具師、玉貫工、錫工などの細工部門を統括する「金奉行」が王府内に設置された。その後、琉球の金工技術は、幾度となく中国や薩摩から導入され、外国から輸入した材料で金属製品が製作されていた。
 
王府で使用する調度品や漆製品の飾り金具や錫や銀製酒器、国王や神女たちの簪、その他にも社会階層によって素材の異なる簪、上流の女性の指先に揺れる銀製の房指輪、首里城やお寺などの建物を装飾する飾り金具など、さまざまな金工品が製作されている。
 
琉球の金属技術は、古琉球期から近代まで、脈々と生きてきた世界である。近代以降、そのほとんどの技術は途切れている。1879年、琉球国は沖縄県となり、日本の一地域の歴史を刻みはじめる。時代の流れて、消えてゆく工芸技術も少なくはない。その最も代表的なものが金属関係の技術であり、紙漉きの技術であった。技術を支える需要と生産の柱であった王府使用の品々が注文されなくなる。近代以降、王朝文化を支えた技術の中で断絶を生み、今日に繋がれていない芸術が金工と絵画分野に顕著である。王府組織でその役割が、明確であった芸術文化ほどその断絶は深い。
 金工文化に陰りが見えるのは、琉球王府の消滅がもたらす社会変化だけではなかった。沖縄の金属文化が急激に衰えたのは、第二次世界大戦が契機であったことも忘れてはならない。実は、伝統技術と沖縄社会との乖離は、現代の問題なのである。熱を加えると溶解し、新たな道具に容易に生まれ変わる金属の性質は、戦争や時代の開発思考と全く無関係ではない。例えば、戦時色の濃くなった1941(昭和16)年には、日本全国に金属を献納することを奨励する法律が適応されている。こうした金属献納の運動は、沖縄でも展開された。1944(昭和19)年には、「簪報国」運動の成果として、沖縄だけで短期間に7千数百本の簪が献納されている。この時期に、簪・指輪の装飾品、その他にも金属製の盃や梵鐘などを献納された。軍事に必要なものを産み出す目的で消えていった金工品がいかに多かったか。そして戦後の生活用品を得るためにどれほどの金属製品がリサイクルされていったのか。またこの問題は、東アジアの開発に伴う金属需要が急速にのび、日本の各地で金属製品の盗難事件が社会問題となっている現在の状況と繋がっている。このことに思いをめぐらせれば、金工文化の喪失は、いつの時代にも容易に、そして瞬時に起こりうる問題といえよう。
 
現在、金属工芸で継承されている技術は、銀を主体とした素材で指輪、房指輪、簪などの装飾品が中心である。錫製酒器や島々に残る銅製品を生み出した細工技術は途絶えてしまった。数人の金細工職人が作る簪や指輪などの装飾品の多くは、琉球舞踊の踊り手たちや個人の需要に支えられて製作されている。
 
古い技術は、社会の需要がなければその役割を変化させていく。代々続いた金細工屋の志と葛藤に近い熱い情熱から、そのわざの系譜をささやかに繋いでいる人々。また、多くの時間と労力と、何よりも失われてゆくものに深い思いを注ぎ込み、粘り強く金工品を収集してきた人々がいる。そして戦前に撮られた写真でのみ、その輝きやわざが確認できる現存しない世界がある。沖縄の金工の世界を通して、失われたもの、繋がれたもの、失われようとするものと向き合い、過去・現在と何よりも未来の時間を見つめていただきたい。

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展示会「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き~」

Photo_3   沖縄の金属文化の中で職人の世界、わざに視点をあてて展示会を企画しました。浦添市美術館で8月31(金曜日)から9月9日(日)の期間で開催される「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」の準備作業中。開催まであと4日。
 今回は実行委員会主催で開催します。多くの方々が参加しての展示になります。私は歴史や解説部分(チラシ・原稿・パネル作成)で役割を担います。Photo_4
 金・銀・銅を扱う金細工(クガニゼーク)の世界を中心に展示を構成します。「失われてしまった琉球王府時代の金細工や錫細工の世界」では、戦前に鎌倉芳太郎氏が琉球芸術調査の際に撮影した金工品の写真も多く展示されます。わざの解説もあります。とにかくこんな金工品が琉球・沖縄でも制作されていたのかと感動します。他地域の金工技術と比較したら細かいとは言えないわざですが…。
 メインは現在数少ない職人(首里の又吉工房だけでなく現在活動している金細工工房・すべて又吉さんという苗字…)のわざの世界を紹介。
  また、当初予定はなかった沖縄コレクター友の会の方々の情熱的な協力で、コレクター友の会コーナーもつくりました。たくさんの時間と労力とエネルギーで個人的に収集された品々です。戦争でなくなった金工品も多いのも現実です。
 沖縄の工芸でマイナーな分野の展示会ですが…どうぞご覧ください。9月2日(土)には講演会も開催されます。
*「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」
*期間:2007年8月31日(金)~9月9日(日)
     午前10時~午後5時まで(金曜日は午後7時まで)
*会場:浦添市美術館
*入場料:一般及び高校生以上学生100円
       中学生以下無料
*講演会:2007年9月1日(土)午後2時~5時まで
       「沖縄の金細工」
       宮城篤正(沖縄県立芸術大学学長)「沖縄工芸技術の保存」
       又吉健次郎(金細工師)「金細工のわざに生きる」
       粟国恭子(芸大附属芸術資料館学芸員)「沖縄の金属文化」
*主催:沖縄の金細工展実行委員会
*問合せ:浦添市美術館 ℡:098-879-3219

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『首里城研究』と首里城研究会

Photo_14 『首里城研究』は、首里城友の会で発刊されている首里城研究の文章を掲載した冊子。現在No9まで刊行されている。
 2ヶ月に1回、発表者を決めて研究会活動をしている。友の会の事務局が担当しお世話になっている。毎回、発表された研究テーマについて議論が展開される。歴史、考古、文学、建築、文化人類学、学芸などの分野のメンバーが自由に質問や発言できる研究会で、私は、1994年ごろから参加している。
 私は、『首里城研究』では、No3「耳盃について」(1997年)、4号に「琉球の錫について」(1998年)、5号に「金属文化の素描ー神女の簪についてー」(2000年)の沖縄の金属文化関係の論考を発表している。
 それまで研究の少なかった金属文化関係の思考を始めたのもこの機関紙である。未熟な分析も訂正内容も、その後の研究で気づいた点も多い論文たちであるが…。
 「耳盃」「錫」「簪」などをキーワードにこの10年間、金属文化を個人の重要なテーマとしてフィールドワークを進めてきた。考古学、歴史民俗学や美術工芸、文学などとリンクする情報を集め整理してきた。「何学の研究」ではなく「金属文化研究」としかいいようがない。途中3,4年離れていた時期もあったが、テーマの情報を集めて、年に1回は研究会で発表してきた。いろんな意見を聞いたり議論する中で、遅々としたものではあるが、課題や問題が見えてくるし、勉強になる。
 私の中の金属文化研究のスタートとなった首里城研究会…金属文化を研究しているとどこかで王権につながっていくこと…こうした経緯もあり専門の学会誌ではなく、この『首里城研究』に金属関係の論考は発表しようと自身の中で決めている。ここ数年は発表ばかりで論考にまとめていない…反省!しきりですが…。原稿料なども出ない(会費はちゃんと支払っています)、どこからも研究費などもでない個人的な研究の発表である。このへんは、知人達にも誤解されているようで…。「なぜ金属なのか」はいずれかの機会に…。
 ちなみに『首里城研究』のバックナンバーは首里城公園の首里杜館の売店で購入できます。

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『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書』

Photo_10 『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書ー公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々ー』
 発行日:2007年1月  139P
 発 行:伊是名村教育委員会
      沖縄県伊是名村字仲田1385-1
     電話0980-45-2318
 編集:株式会社 国建
 目次:1、本書の背景ー尚円王を追憶する王国の論理ー
     2、銘苅家美術工芸品の解説
      *漆器(上江洲敏夫)*金工(粟国恭子)
      *陶器(津波古聰) *染織(与那嶺一子)
   3、公事清明祭に関する銘苅家文書の解説(高良倉吉)
   4、その他の銘苅家文書の解説(村史掲載資料)  (高良倉吉)
   5、伊是名玉御殿調査概報 (高良倉吉、安里進、田名真之) 
   コラム
  
 琉球国第二尚氏の尚円王の出身島、伊是名島は、首里城から遠きにありながらその存在は琉球王府にとっては重要な島であった。文献資料、王家ゆかりの墓、そして祭祀用具の品々が残っている。それらを写真や図などを多用しビジュアル化した上で、村史発行以後の最新の研究成果を元に作成された解説書。編集を担当している国建の西村氏(文化人類学)、大城涼子氏(歴史学)の力量も存分に発揮されている。
 金工品の解説を担当した。文書に見られる重要な金工品は多くは残っていないが(簪や耳盃など)、王府祭祀における金工品、香炉、茶道具などの解説を執筆。
 伊是名村教育委員会では、有料(2000円?)で販売している。問い合わせは村、教育委員会まで。
    

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沖縄の金属工芸文化

2003年2月「沖縄タイムス」掲載 南風原文化センタ-企画展「黄金細工と鍛冶屋(くがにせーくとかんじゃーやー)―打つ・曲げる・磨く・匠みの技―」案内


 「沖縄の金属工芸文化ー金細工ー」

 
 沖縄文化の伝統工芸分野の沖縄文化を語る時、どれだけの人が金属工芸文化に思いをよせることができるだろうか? 沖縄の伝統工芸の漆工芸、染色文化の紅型や島々に残る織物、焼き物については、沖縄の伝統工芸として内外に認知され、後継者育成をはじめ専門家による研究も成果をあげている。しかし、その中にあって金属工芸及び鍛冶の伝統技術は、紙漉き技術と同様に急速に失われつつある。現在その技術は、わずか数人の職人によって製作活動が行われている。金属文化を研究テーマにする研究者も極端にすくない。
 金属に熱を加え打つ、曲げる、磨くその技術で製作された生活用品、装飾品、農具の製作、武器、建築装飾品が沖縄の歴史に登場する時期は、314世紀のグスク時代に確認できる。世界遺産に登録された首里城をはじめ大型グスクから、刀、武具装飾品、簪、鏡、香炉など銅製品、釘などの鉄製品と多種の金属製品が出土している。
 
沖縄では、金銀を扱う金具師(チングシ)は黄金細工(クガニゼーク)とも呼ばれ、錫細工(シルカニゼーク)といい銅・真鍮細工をかねている。金属細工技術および職人は、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器を生み出す技術職と同時期の16世紀後半には首里王府編纂『球陽』(1745)や家譜資料の文献資料に登場する。金銀錫銅をあつかう金属細工職人は、鉄をあつかう鍛冶職とは異なる技術の認識が古琉球期から確立されており、琉球王府の中で技術職として組織化されていた。つまり沖縄文化の金属技術は、古琉球期から近代まで脈々と生きてきた世界である。
 
この技術文化に陰りが見えるのは、琉球王府の消滅から近代にかけての社会変化だけではなかった。沖縄の金属文化が急激に衰えたのは、第二次世界大戦が契機であった。実は、伝統技術と沖縄の社会との乖離は現代の問題なのである。熱を加えると溶解し、新たな道具に容易に生まれ変わる金属の性質は、戦争と全く無関係ではない。戦時色の濃くなった1941(昭和16)年には、日本全国に金属を献納することを奨励する法律が適応されている。こうした金属献納の運動は、沖縄でも展開された。1944(昭和19)年には、「簪報国」運動の成果として、沖縄だけで短期間に7千数百本の簪が献納されている。この時期に、簪・指輪の装飾品、その他にも金属製の盃などを献納された。また、沖縄戦では多くの金属製の文化財が焼失したり、戦後に海外に流出した文化財も多数存在する。こうした時代的な背景は、沖縄の金属文化を急激に変化させ、金工研究の素材が、他の工芸品と比較して少ない一因にもなっている。
 
1960年代、沖縄を訪れていた浜田庄司が壺屋散策中に金鎚の音に導かれて金細工またよしの六代目又吉誠睦の工房に立ち寄った。時代に応え宝石入りの指輪加工を中心としていた又吉に「もう一度琉球人に帰ってくれ」との浜田の一言に端を発し、芹沢銈介所有の辻にあった古い指輪もとに棟方志功が図案を起した。それをもとに、沖縄の金細工職人又吉が必死の試行錯誤の結果として、指輪の一つである結び指輪はよみがえったのである。
 また現在、結び指輪の系譜をたどろうとしても容易ではない。金細工職人で誠睦の息子・又吉健次郎氏がいろいろな人から聞き取りを行い、「遊郭・辻町の女達が身につけ、時には質屋の質草に利用していた」指輪の表情を確認している。士族層の婚礼指輪であった吉祥の七飾りのついた房指輪は、昭和十一年に琉球芸能東京講演で舞踊家・玉城盛重が起用したのが始まりで、現在でも踊り手にゆらゆらと揺れている。
 
現在、金属工芸で継承されている技術は、銀を主体とした素材で指輪、房指輪、簪などの装飾品が中心である。錫製酒器や島々に残る銅製品を生み出した細工技術は途絶えてしまった。金細工職人が作る簪や指輪などの装飾品の多くは、琉球舞踊の踊り手たちや個人の需要に支えられて製作されている。古い技術は、社会の需要がなければその役割を変化させていく。それらは途絶えること無く現在にいたった技術ではなく、ある人物と職人との出会いのドラマから復活したり、職人の志と熱い情熱から継続させた結果がその技術の系譜を繋いでいる。鉄を中心に製造をする鍛冶屋の技術も同様である。
 
私達は、沖縄の歴史が育んだ金属文化の豊かさを十分に知ってはいない。沖縄文化の重要性をうたう声の多い昨今、ささやかに繋がれた技術の<知>の奥深さに向き合う姿勢が問われている。                                 

南風原文化センタ-企画展「黄金細工と鍛冶屋(くがにせーくとかんじゃーやー)―打つ・曲げる・磨く・匠みの技―」

 2003年225日(月)から310日(日)
*実演…33日(日)・10日(日)午後3時から5時まで
 講演会…39日(土)午後3時から5時まで
 
「沖縄の金属文化」粟国恭子
 
「私にとっての金細工」又吉健次郎(金細工またよし)

展示内容:簪、指輪、房指輪、製作道具類、新聞、文献、写真、復元資料など

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