沖縄文化研究

真栄平房昭「琉球館の亡霊ー「戦争の記憶」をめぐってー」

Photo_4  2009年の今年は、琉球への薩摩侵略(1609)から400年と、琉球・沖縄が日本国内にみ込まれる<琉球処分>1879年から130年目の年にあたるので、沖縄ではシンポジウムが複数開催され、関連企画も新聞紙面や雑誌などで展開されている。
  その中の一つ雑誌『うるまネシア』第10号のコピー(部分)が、友人の真栄平房昭氏(神戸女学院大学教授)から届きました。
 3月に鹿児島に出向いたが、「薩摩侵略から400年」などということは、向こうでは話題にすらならず、その温度差をおもしろいと感じたものです。
  
 今年の初めごろに、1946年福岡で親泊政博らによって創刊された情報誌『沖縄新民報』をめくっていて、面白い記事を確認したので、歴史研究者の真栄平氏に提供した。
 その記事を資料に、氏ならではの切り口で書かれた論考「琉球館の亡霊ー「戦争の記憶」をめぐってー」を『うるまネシア』に寄稿されので、丁寧にも記事のコピーをいち早く送ってくださった。
Photo_3  その記事は、昭和22(1946)年10月5日付の紙面で「鹿児島の琉球館」に関する記事は、「琉球館秘話 首なし白骨 地下から廿七体発掘。謎の人物、比嘉筑登之」の見出しで近代そして戦後の鹿児島の琉球館跡地にまつわる出来事を告げるものだった。
 真栄平氏は。戦後間もないこの時期の記事を「戦争の記憶」をキーワードに、薩摩侵入以後の歴史的資料を使い、その後の人々の心性を分析している。
 興味深い論考になっている。
 紹介まで…。

 この記事を確認したのが2009年ということも、単なる偶然だけれど…感慨深い。

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鹿児島民具学会ー鹿児島の錫文化

 1月に沖縄民俗学会で発表した、「南九州と沖縄の錫文化」を、鹿児島民具学会で発表します。
 鹿児島での調査をかねた参加です。
 80年代後半に学生時代に過ごした鹿児島。卒業後何度か訪れていますが…。ようやく鹿児島と沖縄をつなぐ独自のテーマが見つかっての、研究発表ができることを楽しみにしています。精力的な民俗学者の恩師・下野先生に、未熟な内容でのお叱りをおおいに期待しながら…。地元研究者のご意見も伺えるかと…楽しみです。
鹿児島民具学会の3月例会は、HPでも確認できます。

*粟国恭子「鹿児島と沖縄の錫文化」
*日時:2009年3月7日(土)午後1時30分~4時30分
*場所:鹿児島市中央公民館

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那覇市壺屋焼物博物館講座

2008年12月13日(土)~2009年3月15日(日)の期間、那覇市立壺屋焼物博物館で、開館10周年記念特別展「壺屋焼近代百年のあゆみ」が開催されています。
 関連行事として期間中講演会が4回企画され、担当になっています。
 *12月21日(日)午後2時~
  宮城篤正氏(沖縄県立芸術大学学長)
  「戦後”壺屋”物語 壺屋陶工の動向とやちむん会の活動」
 *1月25日(日)午後2時~
  粟国恭子氏(大学非常勤講師)
  「近代の芸術研究~比嘉朝健をめぐる人々~」

2回目講座の担当だったので、25日(日)に話てきました。沖縄民俗学会発表と連日で、風邪で体調を崩しての講座でしたが…。
 話の内容は2008年3月に書いた論文の内容中心です。琉球の陶工研究では欠かせない比嘉朝健が紹介する「琉球陶工研究」を中心に、人となりがわかっていない比嘉朝健の紹介、比嘉をめぐる末吉安恭(麦門冬)、真境名安興、山里永吉らとの関わりを話ました。
 2月以降提供されている講座は、以下の通りです。 
 *2月22日(日)午後2時~
  小林純子氏(沖縄県立芸術大学洵教授)
  「見いだされた沖縄陶器~柳宗悦と中川伊作~」
 *3月7日(土)午後4時~
  横堀聡氏(益子陶芸美術館副館長)
  「益子の濱田庄司(仮)」

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近代沖縄の芸術研究②ー鎌倉芳太郎と比嘉朝健についてー

20  「沖縄県立芸術大学附属研究所紀要第20号」(2008年3月31日発行)に、論文「近代沖縄の芸術研究②ー鎌倉芳太郎と比嘉朝健・琉球芸術研究の光と影ー」を発表しました。
 19号で紹介した末吉安恭と比嘉朝健、鎌倉芳太郎と比嘉朝健の交流を通して<近代沖縄の芸術研究>の様相を示し、これまでその人物像がよくわかっていなかった比嘉朝健の芸術研究の紹介を目的としています。
 比嘉の発表した30以上の沖縄芸術研究の目録も、現段階で一番充実したものになっています。今後の資料発掘へと可能性が広がっていきます。
 内容構成は、
はじめに 
1、比嘉朝健の人となり
2、末吉安恭と比嘉朝健の関わり
3、鎌倉芳太郎と比嘉朝健のつながり
4、比嘉の琉球芸術研究の特徴
資料1「比嘉朝健目録」 資料2「比嘉朝健・鎌倉芳太郎関連年譜」
になっています。    

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『すぐわかる沖縄の美術』刊行

Photo 2007年11月10日に東京美術から『すぐわかる沖縄の美術』が刊行されます。
 本書の特徴は、沖縄工芸の分野、琉球王国時代の絵画、近代以降の絵画・デザイン、建築、民俗文化の<美術>を最新の研究成果をふまえ、沖縄の若手研究者が執筆を担当している点と、沖縄県立博物館・美術館、沖縄県立芸術大学、那覇市歴史博物館、壺屋博物館や県外の各機関の所蔵品が、豊富にフルカラー図版で紹介・掲載されています。
 監修は、宮城篤正(沖縄県立芸術大学学長)、後の執筆者は小林純子(芸大芸術学准教授)、宮里正子(那覇歴史博物館学芸員)、倉成太郎(壷屋博物館学芸員)、平川信幸(沖縄県立博物館学芸員)、翁長直樹(沖縄県美術館学芸員)そして私は、「グスク、首里城、庭園、民家、金工、民藝運動と沖縄の民具」の執筆を担当しました。GWに識名園や中村家、勝連グスク、中城など写真を撮りにいったりしてました。
 本の構成は、第1章漆芸、第2章染物、第3章織物、第4章焼き物、第5章絵画、デザイン、第6章建築・彫刻・民具です。
 編集者の日本アート・センターの島田さん(女性)が大変優れた編集者で、やってよかったなー思う仕事でした。
 『すぐわかる沖縄の美術』は県内書店、県立美術館ミュージアムショップで購入可能の予定です。県外では書店のほか、東京国立博物館、九州国立博物館などの県外の博物館・美術館のミュージアムショップでも購入できるようです。Photo_2   

本の帯には2007年11月1日にオープンする沖縄県立博物館・美術の館見学の前後におすすめの本とありました。

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「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き」展によせて

2007年8月28日(火)『沖縄タイムス』に掲載

「沖縄の金細工~うしわれようとするわざ・その輝き~」展に寄せて

琉球では、金銀を扱う金細工(クガニゼーク)、錫・銅を扱う錫細工(シルカニゼーク)の金工職人がいた。彼らは、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器職人と同時期の16世紀後半には存在していたことが、『球陽』や家譜資料の文献資料で確認できる。1592年に、金具師、玉貫工、錫工などの細工部門を統括する「金奉行」が王府内に設置された。その後、琉球の金工技術は、幾度となく中国や薩摩から導入され、外国から輸入した材料で金属製品が製作されていた。
 
王府で使用する調度品や漆製品の飾り金具や錫や銀製酒器、国王や神女たちの簪、その他にも社会階層によって素材の異なる簪、上流の女性の指先に揺れる銀製の房指輪、首里城やお寺などの建物を装飾する飾り金具など、さまざまな金工品が製作されている。
 
琉球の金属技術は、古琉球期から近代まで、脈々と生きてきた世界である。近代以降、そのほとんどの技術は途切れている。1879年、琉球国は沖縄県となり、日本の一地域の歴史を刻みはじめる。時代の流れて、消えてゆく工芸技術も少なくはない。その最も代表的なものが金属関係の技術であり、紙漉きの技術であった。技術を支える需要と生産の柱であった王府使用の品々が注文されなくなる。近代以降、王朝文化を支えた技術の中で断絶を生み、今日に繋がれていない芸術が金工と絵画分野に顕著である。王府組織でその役割が、明確であった芸術文化ほどその断絶は深い。
 金工文化に陰りが見えるのは、琉球王府の消滅がもたらす社会変化だけではなかった。沖縄の金属文化が急激に衰えたのは、第二次世界大戦が契機であったことも忘れてはならない。実は、伝統技術と沖縄社会との乖離は、現代の問題なのである。熱を加えると溶解し、新たな道具に容易に生まれ変わる金属の性質は、戦争や時代の開発思考と全く無関係ではない。例えば、戦時色の濃くなった1941(昭和16)年には、日本全国に金属を献納することを奨励する法律が適応されている。こうした金属献納の運動は、沖縄でも展開された。1944(昭和19)年には、「簪報国」運動の成果として、沖縄だけで短期間に7千数百本の簪が献納されている。この時期に、簪・指輪の装飾品、その他にも金属製の盃や梵鐘などを献納された。軍事に必要なものを産み出す目的で消えていった金工品がいかに多かったか。そして戦後の生活用品を得るためにどれほどの金属製品がリサイクルされていったのか。またこの問題は、東アジアの開発に伴う金属需要が急速にのび、日本の各地で金属製品の盗難事件が社会問題となっている現在の状況と繋がっている。このことに思いをめぐらせれば、金工文化の喪失は、いつの時代にも容易に、そして瞬時に起こりうる問題といえよう。
 
現在、金属工芸で継承されている技術は、銀を主体とした素材で指輪、房指輪、簪などの装飾品が中心である。錫製酒器や島々に残る銅製品を生み出した細工技術は途絶えてしまった。数人の金細工職人が作る簪や指輪などの装飾品の多くは、琉球舞踊の踊り手たちや個人の需要に支えられて製作されている。
 
古い技術は、社会の需要がなければその役割を変化させていく。代々続いた金細工屋の志と葛藤に近い熱い情熱から、そのわざの系譜をささやかに繋いでいる人々。また、多くの時間と労力と、何よりも失われてゆくものに深い思いを注ぎ込み、粘り強く金工品を収集してきた人々がいる。そして戦前に撮られた写真でのみ、その輝きやわざが確認できる現存しない世界がある。沖縄の金工の世界を通して、失われたもの、繋がれたもの、失われようとするものと向き合い、過去・現在と何よりも未来の時間を見つめていただきたい。

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展示会「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き~」

Photo_3   沖縄の金属文化の中で職人の世界、わざに視点をあてて展示会を企画しました。浦添市美術館で8月31(金曜日)から9月9日(日)の期間で開催される「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」の準備作業中。開催まであと4日。
 今回は実行委員会主催で開催します。多くの方々が参加しての展示になります。私は歴史や解説部分(チラシ・原稿・パネル作成)で役割を担います。Photo_4
 金・銀・銅を扱う金細工(クガニゼーク)の世界を中心に展示を構成します。「失われてしまった琉球王府時代の金細工や錫細工の世界」では、戦前に鎌倉芳太郎氏が琉球芸術調査の際に撮影した金工品の写真も多く展示されます。わざの解説もあります。とにかくこんな金工品が琉球・沖縄でも制作されていたのかと感動します。他地域の金工技術と比較したら細かいとは言えないわざですが…。
 メインは現在数少ない職人(首里の又吉工房だけでなく現在活動している金細工工房・すべて又吉さんという苗字…)のわざの世界を紹介。
  また、当初予定はなかった沖縄コレクター友の会の方々の情熱的な協力で、コレクター友の会コーナーもつくりました。たくさんの時間と労力とエネルギーで個人的に収集された品々です。戦争でなくなった金工品も多いのも現実です。
 沖縄の工芸でマイナーな分野の展示会ですが…どうぞご覧ください。9月2日(土)には講演会も開催されます。
*「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」
*期間:2007年8月31日(金)~9月9日(日)
     午前10時~午後5時まで(金曜日は午後7時まで)
*会場:浦添市美術館
*入場料:一般及び高校生以上学生100円
       中学生以下無料
*講演会:2007年9月1日(土)午後2時~5時まで
       「沖縄の金細工」
       宮城篤正(沖縄県立芸術大学学長)「沖縄工芸技術の保存」
       又吉健次郎(金細工師)「金細工のわざに生きる」
       粟国恭子(芸大附属芸術資料館学芸員)「沖縄の金属文化」
*主催:沖縄の金細工展実行委員会
*問合せ:浦添市美術館 ℡:098-879-3219

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『首里城研究』と首里城研究会

Photo_14 『首里城研究』は、首里城友の会で発刊されている首里城研究の文章を掲載した冊子。現在No9まで刊行されている。
 2ヶ月に1回、発表者を決めて研究会活動をしている。友の会の事務局が担当しお世話になっている。毎回、発表された研究テーマについて議論が展開される。歴史、考古、文学、建築、文化人類学、学芸などの分野のメンバーが自由に質問や発言できる研究会で、私は、1994年ごろから参加している。
 私は、『首里城研究』では、No3「耳盃について」(1997年)、4号に「琉球の錫について」(1998年)、5号に「金属文化の素描ー神女の簪についてー」(2000年)の沖縄の金属文化関係の論考を発表している。
 それまで研究の少なかった金属文化関係の思考を始めたのもこの機関紙である。未熟な分析も訂正内容も、その後の研究で気づいた点も多い論文たちであるが…。
 「耳盃」「錫」「簪」などをキーワードにこの10年間、金属文化を個人の重要なテーマとしてフィールドワークを進めてきた。考古学、歴史民俗学や美術工芸、文学などとリンクする情報を集め整理してきた。「何学の研究」ではなく「金属文化研究」としかいいようがない。途中3,4年離れていた時期もあったが、テーマの情報を集めて、年に1回は研究会で発表してきた。いろんな意見を聞いたり議論する中で、遅々としたものではあるが、課題や問題が見えてくるし、勉強になる。
 私の中の金属文化研究のスタートとなった首里城研究会…金属文化を研究しているとどこかで王権につながっていくこと…こうした経緯もあり専門の学会誌ではなく、この『首里城研究』に金属関係の論考は発表しようと自身の中で決めている。ここ数年は発表ばかりで論考にまとめていない…反省!しきりですが…。原稿料なども出ない(会費はちゃんと支払っています)、どこからも研究費などもでない個人的な研究の発表である。このへんは、知人達にも誤解されているようで…。「なぜ金属なのか」はいずれかの機会に…。
 ちなみに『首里城研究』のバックナンバーは首里城公園の首里杜館の売店で購入できます。

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『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書』

Photo_10 『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書ー公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々ー』
 発行日:2007年1月  139P
 発 行:伊是名村教育委員会
      沖縄県伊是名村字仲田1385-1
     電話0980-45-2318
 編集:株式会社 国建
 目次:1、本書の背景ー尚円王を追憶する王国の論理ー
     2、銘苅家美術工芸品の解説
      *漆器(上江洲敏夫)*金工(粟国恭子)
      *陶器(津波古聰) *染織(与那嶺一子)
   3、公事清明祭に関する銘苅家文書の解説(高良倉吉)
   4、その他の銘苅家文書の解説(村史掲載資料)  (高良倉吉)
   5、伊是名玉御殿調査概報 (高良倉吉、安里進、田名真之) 
   コラム
  
 琉球国第二尚氏の尚円王の出身島、伊是名島は、首里城から遠きにありながらその存在は琉球王府にとっては重要な島であった。文献資料、王家ゆかりの墓、そして祭祀用具の品々が残っている。それらを写真や図などを多用しビジュアル化した上で、村史発行以後の最新の研究成果を元に作成された解説書。編集を担当している国建の西村氏(文化人類学)、大城涼子氏(歴史学)の力量も存分に発揮されている。
 金工品の解説を担当した。文書に見られる重要な金工品は多くは残っていないが(簪や耳盃など)、王府祭祀における金工品、香炉、茶道具などの解説を執筆。
 伊是名村教育委員会では、有料(2000円?)で販売している。問い合わせは村、教育委員会まで。
    

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特別展図録『久米のきみはゑ500年』

Photo_9 特別展図録『久米のきみはゑ500年ー祭祀用具にみる神女の世界-』
 
編集・発行:久米島自然文化センター
 発行:2001年
 
 この図録は2001年(平成13)年11月3日(土)~12月9日(日)まで開催された特別展:久米のきみはゑ500年ー祭祀用具にみる神女の世界ーの図録である。
 沖縄民俗研究の中で論考の多い神女関係のテーマの中で、マテリアルな部分、祭祀道具からの研究が少ないとその必要性を地域史などの集まりで語ったり、自ら金工調査を祭祀道具の簪からすすめていた時期に開催された展示会であった。この展示会へも奄美の神女関係資料を、館長の上江洲均先生、担当の山里克也氏とともに資料調査段階から関わった。「神女の祭祀道具ー神女の簪ー」の文章を寄せた。シンポジウムにもパネリストで参加。
 久米島には琉球王国時代からの神女きみはゑ関係の祭祀や道具をはじめとした神女関係資料が多く残されており、現在も祭祀がおこなわれている。具体的に残された祭祀道具の中に、王府時代の技術史や芸術感や信仰の形がある。とても重要な分野で、現在もそのフィールドワークは続行中。東アジアへとつながる資料群でもある。

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