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1990年

2007年4月20日 (金)

「唐獅子」・「もういくつ寝ると」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ13 「もういくつ寝ると」

 数年ぶりに郷里で正月を過ごすことを楽しみにしている。昨年の大晦日は、鹿児島県姶良郡のある神社で過ごしたが、沖縄出身の私には、とても新鮮だった。
 夜十二時近くなると地元の人達が続々と集まって来る。多くの人々は郷里を離れ、各々仕事を持ち、各地で生活を営んでいる。正月を郷里で過ごすために帰省している人にとって大晦日の夜は、地元の知人に忽ちのうちに会える機会だ。神社のあちらこちらで再会の挨拶が交わされる光景が見られる。年配の方や家族連れが多いが、結構高校を卒業したばかりの若者の姿も目に入ってくる。〈生まれ育った土地の懐かしい人・会いたい人に会える場所〉、大晦日の神社はそういう場所なのだと感慨を新たにした。
 新年の振る舞い汁(薩摩汁)で体を温め、木の臼と杵の昔ながらの餅つきで出来上がったばかりの白い餅を頬張りながら、しみじみと集まった人々の幸多かれと心から祈らずにはおれない気持ちになるのは不思議だった。
 境内で地元の青年達の奉納する太鼓の音が、薄闇の空気に融け、絶え間なく体に入ってくる。0℃近い気温の中で太鼓からの様々なリズムと強弱の音々ー悴む手足を火に当てながら聞くその音は、我々の体内にどのような効果を生み出すのか。それは時間の音、近付いてくる時間の音だ。一年の終わりと一年の始まりを境界の場所に立ち、去りゆく時間と訪れる時間の両方をあの太鼓の音に感じている。
 音…。人は聴覚を捨て切れはしない。その存在は、見えない振動を以て感情に結びつく。懐かしさや憂いや様々な思いの込められた時間を自分の体内から禊ぎする様に遊離させ、そこまで来ている透明な時間の獲得を、微かな期待や予感・希望を持って願っている多くの人々がいる。除夜の鐘の音もそうだが、最近年末に多いメサイヤコンサートで聞く「第九」も、多くの人達が見る「紅白」で流れる歌もそういった種類の音なのかもしれない。
                       1990年12月22日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「形ある時間」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ12 「形のある時間」

 今年のカレンダーも一枚になり、そろそろ来年のカレンダー選びを考える時期になった。 私達には時間幅を見ることは出来ない。日常生活の中で、私達の未来、来年の時間を具体的な数字としてそれほど意識してはいない。けれども不思議なもので、その年のカレンダーを手にした時初めて、これから訪れる一年という時間を「細切れの一日の単位、一日や月の単位として手に入れる」感覚が起ってくる。抽象概念としての〈未来〉から具体的に数字という形の〈現実〉味を帯びた一年分の時間を切り取って手元に置くー、そんな感じである。
 日本では、明治六年からの太陽暦の採用され、今日に至っている。けれどもそれまでには、各藩や地域ごとにその地方独特の暦製作技術を以て作られ、色々な種類の暦で示された〈一年〉という時間があった。農耕儀礼との関わりあいが深い陰暦が中心ではあったが中には、地震鯰の絵のついた「伊勢暦」や謎解きのように読まなければならない「田山暦」や代表的な絵暦の「盛岡絵暦」等個性的なものがつくられたりした。一年一月の時間感覚を太陽暦でならされている私からみると、時間がこれほどまでに多様の表現が出来るのかと驚くほどである。
 今日でも沖縄では、伝統的な祭祀は旧暦で行う事が多い。しかし現代の人々の方が、太陽暦の示す時間と以前の農耕サイクルとの深い関わりあいによって管理されていた時間とを日常の生活の中で、うまくバランスを保ちながら「暦に従うのではなく、二種類の暦の時間を使いこなす」より主体的で、暦(一つの限定された時間概念)の呪縛から解き放たれ自由なのではないだろうか。
 思うに、同じようにカレンダーによって示された時間ならば、幻想でもいいからランブール兄弟の傑作《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》中の月暦画に流れるような美しい時間がほしいし、選べたらどんなにいいだろう。
                   1990年12月6日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「終わりの無い作業」(南方熊楠と末吉安恭)

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ11 「終わりの無い作業」

 人は、多々ある情報をどのように頭の中で整理しているのだろうか。
 未熟な判断から別々の整理箱の中に仕舞い込み関連性の薄いと思っていた情報が、時として重いもかけない展開で結びつくことがある。その偶然性が強いほど、刺激的に豊かなイメージが広がる経験は、一つの〈事件〉である。
 先日、一九四五年以前の県外発行雑誌の沖縄関連記事を集めた「沖縄学の萌芽展」が県立図書館で開催された。記事目録を見て気が付いた。
 南方熊楠が四編ほど沖縄関係の短い文章を書いている。人類学・民俗学から粘菌観察など幅広い博物学的な知識とその強烈な個性を持つ南方熊楠は、最近見直され、注目されている人物である。
 一つは、「出産と蟹」。その中で、沖縄のジャーナリストとして活躍した末吉麦門冬(末吉安恭)の〈博覧強記〉を驚き、その考証を「凌駕(りょうが)するもの多し」と評価している。
 そのほか『球陽』を読みその内容を事例として紹介した「琉球の鬼餅」、石垣島や与那国の事例に触発されて書かれた「椰子蟹に関する俗信」や方言学、沖縄学研究者・金城朝永の「琉球の猥談」を読み書かれた「一目の虫」、「煉粉を塗る話」などがある。
 南方熊楠が小さいながら、〈琉球への視点〉を持っていた事を知り、そのきっかけを与えた末吉麦門冬や金城朝永を新しい側面から捉えられると思うと〈うれしい〉気分である。
 ある事柄への情報を持つ事は、一つ一つのパーツを組み立てて完成されるものでもない。
偶然のわくわくする〈事件〉と出会いながら自由に、そしてしなやかな変化を続けていく種類のものである。その整理箱の中を引っかき回したり、時に中身をそこら中に散乱させたままでいたり、懲りもぜす腕組みをして箱の中に並び帰る作業に似ている。それは終わりの無い、けれどスリリングな作業である。
                         1990年11月22日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」・「<香り>雑感」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ10 「〈香り〉雑感」
                         
 いつ頃からか気分を落ち着かせたい時、特に読書をする時に〈香〉を薫くようになった。当初友人達は、この習慣を「弱齢らしからぬ」と戸惑いの色を隠さなかった。何時の間に寛容になったのか、嗅覚が慣れたのか、効能に目覚めたのか、今では愛好者が二、三人程いる。
 また最近ではエスニックブームということもあって、色々な種類の香が市販され簡単に手に入る。日本従来の香というよりもインド産、中国産の物が多い。時折、若者が多く集まる空間にその香りをひろうことがある。 
 香の原料は、動物性の麝香、植物性の沈香、百檀、丁字、伽羅等の天然の物と樟脳等の人造香料にわかれている。その配合は国によって違いが出てくる。あくまでも個人的な印象だが、インド香は比較的〈重い〉香りがするし、中国産の香は、空間に〈静かに溶け込む〉嫋やかさを持っている。特に沈香系と百檀系の香りを持つ中国の香は絶品だと思っている。これらの原産国による違いは、気温・湿度に関係しているのではないだろうか。
 沖縄での香作りは、16世紀中頃に始まったといわれる。沖縄の伝統的な香(ヒラウコー)は、香りの存在が乏しい。しかし王家御用達の物〈官香〉には丁子等の香料が入っていた。現在と違って、香料が輸入の天然物に限られていた時代は、この種の〈香り〉は特権階級のものであったといえる。
 庶民の〈香り〉はどうだろうか。沖縄では50種以上の香料植物のうち15種程が使用されているという。その中でタブノキは平御香(ヒラウコー)に使用され、モロコシソウ(方言:ヤマクニブー)は防虫効果を箪笥の奥で発揮している。またご存じ月桃(サンニン)はムーチーをはじめ賦香剤として食物を包むのに使用している。ちなみに最近は〈月桃香〉も販売されている。こうしてみると沖縄の独特の〈香り〉は、生活に不可欠で、我々を最上に酔わせていたことに改めて気づいた。
                         1990年11月8日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「月の真昼間」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ9 「月の真昼間」

 月の光りが美しい季節になった。私達の周囲には枚挙に遑がない程、様々な人工の光が氾濫している。このような状態中で生活する私達にとって、月の光は天上から零れ落ちる僅かなものでしかない。どの位の人が、生活空間や自然界に融けこむ月の光りについて、色やその強さを語れるだろうか。
 太陽の光のわずか45万6千分の1の月の光りだけで撮影したという写真集『月光浴』(石川賢治、小学館)が最近出版された。薄闇の中硬質な光に映し出された風景や花は、結構色を保っており、眠りにつかない自然の姿である。
 昔の学生の「満月の夜に本を読んだ」経験談は、強ち誇張されたものではない。今年の豊年祭りで八重山の小浜島を訪れた時に実感した。祭りは満月の夜一晩中を通して行われる。夜が更けるにつれ、そのエネルギーを増し疲れを知らない島人と違って、休憩が必要になった。偶然知合った島在住の絵本作家秋野さんの家で3時間程休ませていただいた。
真夜中の2時頃、歩いて40分程かけて、祭りの行われている部落へ戻った。周囲に人家も無く、満月の光だけを頼りに砂糖黍と牧場の広がる島の道を歩く。
 虫の声と蝙蝠の羽音、眠りを脅かしたのだろう牛が目を醒ましこちらを見ている。祭りの行われている部落からの太鼓・歌声が風に乗って聞こえてくる。月の光は煌々として美しく自然の色彩も浮かび上がらせる。
 秋野さんからいただいた御夫婦の絵本『はまうり』を広げて見た。鮮やかで深い色調の珊瑚礁の海が広がっている。宮古島の浜下りを題材にした話を月の光だけで一気に読み終えてしまったのである。
 恋の成就を願う女性が〈ツキィのマピロウマ(月の真昼間)〉の中で神に祈る光景を歌った八重山民謡の夜が小浜島にはあった。光に溢れた都市の満月夜は、明るい様で暗いのかも知れないとぼんやり思う秋の夜長である。
                        1990年10月25日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「蝶・空飛ぶ線の動揺」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ8 「蝶・空飛ぶ線の動揺」

 「生命というものは、動いてやまない境界線からなっている。線の舞踏、それが生命の自己表現なのだ。ー中略ー空飛ぶ蝶、それは黄色い線の動揺なのかもしれない。」(岩田慶治『カミと神 アニミズム宇宙の旅』)
 蝶を空飛ぶ線の動揺とした表現を目にした時、妙な安心感を覚えた。うららかな日に、色鮮やかな自然の中で自由に飛び回る蝶の姿をぼんやり眺めていると、それらが描きだす線の動揺が、浮遊感を伴い囚われたような感覚が生じてくる。
 蝶ー日本でも古来から人間の魂の象徴として文学、絵画はもちろん民俗事例においても多く描かれている。雅楽の〈胡蝶楽〉の舞や中国の故事「荘子ー 物論」の中の〈胡蝶の夢〉、泉鏡花の『春昼・春昼後刻』等でも、蝶を人間の魂にたとえ、その神秘性と幻想の世界が描かれていた。
 奄美地方では、蝶のことを〈ハブリ〉と呼んでいる。
 家の中に蝶がまぎれこむと「誰かの魂があの世に行くことが出来ずにさ迷っている」として嫌がる。また子供の頃「蝶は人の魂なのでむやみに殺さないよう」と言われたという話も聞く事が出来る。このように蝶は死者の魂を象徴している事例が多い。しかし「祖父が亡くなって四十九日もならないうちに畑で仕事していると、一匹の蝶が自分の回りを飛んでいるのを見て、ああ(祖父は)まだあの世には行ってないんだと感じた」と愛情と悲しみの中に淡々と静かに語られる存在である。
 また生者を守護してくれる存在であるともとらえられ、魔を払う力として、赤ちゃんの着物の背に蝶型の守りを縫い着けたりする。
 そして村落祭祀の司祭者の手にする扇にも鮮やかな蝶の絵柄が描かれ、簪や首からかける〈玉ハブル〉と呼ばれる飾りも蝶をかたどった布がひらひらと取り付けられている。
私は、南島の人々の感覚ー蝶を通して語る生命表現の〈軽やかさ〉をとても気に入っている。
  沖縄の民俗の事例のなかにも鮮やかに、そして「ゆらり」とした様子で、翼を持つ存在が登場してくる。
                     1990年10月11日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「一つの移民物語」

「空と飛ぶ線の動揺」シリーズ7 「一つの移民物語」 

 今年の沖縄は、「世界のうちなーんちゅ大会」等が開催され、夢を持ち海を渡り、そして生きた人々が注目されている。 鹿児島県種子島に沖縄の人々が移住してつくられた部落がある。海に面し小さな入江にある塩屋部落は、糸満の漁夫達が移り住んで大きくなった。はかり知れない恵みを持つ海との対話において、卓越した能力を持つ漁師達は〈海〉に受け入れられる。ぐんぐんと波を切り進みどこまでもいく彼等が、海の幸を人々に与えるために、そして体を休めるために陸ヘあがる。その繰り返しの中で沖縄以外の場所が生活の空間として選ばれていく。
  現在は漁業を営む人もごくわずかで、年々過疎化が進み、沖縄出身で移住してきた人達も高齢化がすすみ数人しか残っていない。 師走というのにほわほわと暖かい日であった。穏やかにお話をなさる97歳と86歳の糸満出身というご夫婦と2、3人曾孫が団欒の最中にお邪魔した。
 古老はサバニで海を歩いていた30代に糸満から移り住み、沖縄出身の奥さんと結婚して子供が生まれ、歳月が流れて孫が生れたという。時間の流れと共に沖縄での習慣が、種子島の習慣へと変化した。仏壇を見せてもらったが位牌も沖縄式の物ではなかった。家の中に祀られている神々も本土風になっている。 彼等にとって〈沖縄〉とは何なのか。「生きている場所に合わせていくのが一番いい。だんだん沖縄の事は忘れてしまった。でも楽しく暮らせたよ。」とお婆さんが笑って答えてくれた。
 けれど、訪れたほとんどが九州出身の学生20人の中で沖縄出身だと言う私の手をこっそり握り「沖縄の人と結婚しなさいね。」と涙声の方言で話し掛けてくれた。お婆さんの皺だらけの手から、文化の異なる地で流れた50年近い時間が私に押し寄せてくる。この一言は、夫婦が生活上忘れなければならなかった〈沖縄〉への思いを伝えるのに十分過ぎるほどで、私の心に強く染み込んだ。
                      1990年9月27日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「新しい時間軸」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ6 「新しい時間軸」

 夏休みも終わり、真っ黒に日焼けした子供達が学校に戻ってきた。約四十日の長い夏休みの出来事をお互いに話し合っている。 夏休みの宿題はこなさなくてはいけないし、水泳教室、野外学習会、地域の年中行事等の多くの催物に参加したり、彼等は彼等なりに〈子供の時間〉の中で忙しく過ごしている。 ところで情報化社会の今日、日本中の〈子供の時間〉の均一性は驚くべき物がある。
 定期航路が三日に一度しか運航されていない吐喝喇列島・平島は、約三十戸の島で、人々は昔ながらにゆったりと半農半漁の生活を送っている。自動販売機や公衆電話もなく、生活に必要な日用雑貨は島にある二つの小さな店で調達する。若者達は中学を卒業すると島外に出ていくこの島では、伝統的な行事・習慣が多く残されている。この島の時間の流れは緩やかである。 ところが子供達の間で話される言葉や口ずさむ歌は、都会の子供達でも流行している言葉であり歌である。また多くの子供達(男の子)が手にしている玩具は、最新式の〈四輪駆動〉のラジコンであった。更に驚いたことに、多量のしかも些細な部分まで網羅した情報の質の高さである。
 平島の時間には、〈古〉と〈新〉極端な性格の二つの時間軸が存在している。
 また〈子供の時間〉の均一性といえば、現在流行している「ちびまる子ちゃん」というアニメがある。このアニメの主題歌は、ラジオやテレビから一日に何度となく流れる程。今年の盆踊りには、このアニメが放映されていない地域(先島など)でも頻繁に採用され、踊られたという。 情報化社会の日本の中で、地域という空間とその地域の文化が生み出す〈時間〉枠を超え、限りなく同質に近い文化に支えられた時間軸を持つ現代の子供達の〈時間〉は、あたかも螺旋を描く竜巻のように巨大で迅く、何を生み出し何処へ行くのか測り知れない。
                       1990年9月13日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「鬼の持つ民具」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ5 「鬼の持つ民具」

 人類学という学問に興味を持ったせいか、旅行やぶらりと立ち寄った街の雑踏を後にして辿り着く場所の多くが、静かな寺・神社や御嶽や歴史・民俗資料館、博物館、美術館である。此等の場所の静寂さは一種独特で、何時間いても退屈しない。
 特に最近では、博物館や民俗資料館等の〈民具〉の展示見学にたいそう時間を費やしてしまう。〈民具〉を簡単に言えば、人々が日常生活の要求から作られた道具の事である。
衣食住(調理用具、衣服など)関係、産業(農具など)関係、信仰(呪具、祭具など)関係をはじめ、多くの分類がなされている。民具は名称・材料・製作法・形態・日常の使用法と時代といった多くの情報を与えてくれる。
 過去に使用され、静かに眠っているかのように展示陳列されている民具ではあるが、一つ一つが日常にそれを使用した人々の生活感情や信仰や呪術的心意をひそやかに語っている。
 また、思いがけないところで民具の語りに触れることがある。
 〈地獄絵〉をご存じだろうか。人がこの世で悪いことした報いに落ちた地獄で、亡者の受ける責め苦の光景を描いた絵である。よく注意して見ると、この地獄絵に展開される鬼達の拷問に使われる様々な道具の中に、よく知られている臼や箕といった物が何気なく描かれていることに気づく。
 この世とは異なる観念の世界である地獄を〈絵〉という表現方法で描こうとすれば、作者(絵師)の想像・観念が中心になる。しかしその観念の中のわずかな隙間を通って、一文化の中で生活する一個の人間〈絵師〉の現実が、鬼の持つ道具として滑り込んでいく。
 例えば、箕は沖縄では、本土の片口型でなく円形の箕を使用する。こうした民具の地域のわずかな特徴が、地獄を現実世界(地域文化)に引き寄せてしまう。民具は雄弁である。沖縄の地獄の釜の開く日はもうすぐである。
                    1990年8月30日(木)「沖縄タイムス」掲載

「唐獅子」:「石を拾うという事」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ4  「石を拾うという事」

 机の上に1個の石がある。先日知人にプレゼントされた物で、手のひらで包み込める程の大きさ、あまりにも有名なナスカの巨大な地上絵の猿と鳥の図柄が描かれている。
 人は不思議なもので、意識をそらすことの出来ない対象をいくつか数えることが出来る。多くの人、空間、時間、物質の中で意識を捕えるもの…それらを思う時間はゆるりと流れている感じがする。私にとって石もその中の一つである。確かに小さな石が机の引き出しの中から一つまた一つと出てくる。その中には何時何処で拾ったのか記憶を辿ることが困難なものもある。けれどもその石を拾い手にした瞬間の感情は確かに、玩具を手にした子供のように石へと向かっている。玩具についてボードレールは「大部分の子供というものは、玩具の生命を見たがる。玩具の寿命を長引かせるか否かは、この欲望が早く襲うか遅く襲うかに係わっている。私にはこうした子供の奇癖を咎める勇気はない。何しろこれは子供の最初の形而上学的傾向なのだから」という。
 大人にとって石が玩具だとすれば、人は石に生命を見ていることになる。ところで沖縄だけでなく全国各地に石に神霊がこもるという信仰は多い。石が神の依代として神聖視されたり、石をスタティックな物質と捉えずに石そのものが成長したり、増殖したり動きを伴うものとして信仰されたり、昔話として伝承されたりする。沖縄の民俗信仰の中で石に関係し、広く知られているものに子供が病気になった時や人が驚いた際に〈マブイ・魂〉を落としたとして、石を拾い〈マブイ〉を戻す儀礼がある。この儀礼には多くの石の中から特定の石を選び取る行為が伴っている。拾われた石はマブイの込められた後捨てられてしまう。
 玩具としての石に生命を見るために破壊・放棄する時まで所有するのが子供ならば、生命があると感じていられる間持ち続ける事が出来るのが大人なのか、難しい問題である。

                        1990年8月16日(木)「沖縄タイムス」掲載