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1993年

2007年4月28日 (土)

書評『神々の古層 竜宮ニガイ』

1993(平成5)2月23日(火)『沖縄タイムス』「書評」欄掲載

書評 比嘉康雄『神々の古層10 竜宮ニガイ』ニライ社
 1989年から始まった写真集「神々の古層」シリーズの10冊目にあたる本書は、漁業をなりわいとする宮古島の狩俣・池間・佐良浜で行われている海の神へ祈願祭祀<竜宮ニガイ>をテーマにしている。海に生きる人々は、北風が南風へと変化する天候の不安定な時期の旧暦2月(佐良浜では旧11月の2回)に<竜宮ニガイ>の祭祀を行い、竜宮神に対しての海鎮めを願い航海安全と大漁への祈りを捧げるのである。
 本書の特徴は、カメラを通して著者自身の感性に触れた「竜宮の神と向き合う人々」をとらえた写真、つまり祭祀の場に身を置いた著者自身の「実感」の表現である写真と、祭祀調査の実証的データーを提供することを重視した文章とがバランスよく配置されていることである。このような著者の一つの祭祀に対して異なるスタンスを持つ写真と文章とを配置する姿勢は、「神々の古層」シリーズを通して一貫して変わらない。
 著者が「切実な祭祀」と語る<竜宮ニガイ>で正面の海に対峙し砂浜に一列に並び祈りをささげる人々の姿は、日常から離れるものではなく生活の中にある。例えば<手>の表情。参加者の供物をささげる手、線香を差し出す手、神女たちの合わせられた祈りの手、両手を胸の前に突き出し招く手、波打ち際で祭祀用の小石を一つ一つ拾う手、供物の豚を解体する男たちの手、座り込んだ子供たちの膝を抱える手、浜辺で祈願のために集まった人々のさまざまな手の表情の中に、海と距離感を置くことができない、漁業を生業とする人々の生活感情があふれ出ている。その手はふだん海とともに淡々と生活の中で動かされる手である。
 本書は、今日の主流的である事象データー記述中心の文章を重視した民俗報告に対して「人々の生活感情をより豊かに表現する方法」への論議が繰り返される中で、一つの方向性を示している。しかも1975年と1992年の写真を配置することで<変化>をとらえる視点も配慮され、民俗社会の変化の激しい現代においてビジュアル資料としての記録性の価値も高いものになっている。

2007年4月21日 (土)

伊計島と宮城島と下地島

平成5年度(1993)12月共著『島々清しゃ』「伊計島」「宮城島」「下地島」執筆担当、ボ-ダ-インク

宮城島
  
  沖縄にはいろんな島がありますが、普通それぞれの島では展望台とかがあって、そこには一般的に「いい風景」がセッティングされていたりするものです。そうした場所から眺 め る風景はハズレたりしないので、「いいね-」と安心して声などを出しながら結構楽しんだりするのだけれど…。ただ場所の持つ不思議さとか、視覚に入ってくる風景からのイマジネ-ションを立ち上らせるという刺激の点で、推薦された風景には少し物足りなさを感じる性分なのでしょう。本当に何気ない風景が私をふらふら、くらくらさせてくれる場所であることを覚えてしまうと、わくわくしてうれしくて、そこが私の「島の風景」になってしまいます。いろんな島を訪れる時には、島の人々の生活や歴史を抱え込んだ要素の中で島を捉える事を大切にしたいとの思いはいつも核として持ってはいますが、全く別のレベルで「島の風景」に出会えた時にその島は私にとって特別な島になっていきます。
  平安座島・宮城島・伊計島は私にとって、実感としての空間把握というか図学理論の体感をさせてくれた島で、中でも宮城島はある種のシュ-ルさを持つ島としてとても気に入っています。直線道路の中央に引かれた線の上を一生懸命に自転車を走らせる少年に動きからはひたすら真っすぐな直線、カ-ブの多い道路が描きだすあらゆる角度と高低を描きだす曲線、ある場所で作られる不思議な円、家屋敷を囲む塀の四隅に置かれた魔よけの貝が描きだす頑なな四角、平坦な畑の中から空へと垂直に伸びた一列の電信柱からは二次元空間から立ち上がる三次元の空間をと、こんな風に島の中を歩いていると空間の中に様々な表情を持つ形に出会えるのです。
 <あらゆる角度と高低を描きだす曲線>と<強引な記号>
 私がこの島をドライブするようになって約10年。毎回訪れる度にオ-トマチック車でつくづく良かったと思う程宮城島の道路はやたらにカ-ブが多く、さらに坂道と一方通行の要素の組合せで迎えてくれます。先ずは平安座島からの直線の続く埋め立て地を走る道路から伊計島への入り口にはとんでもないヘアピンカ-ブが待ち構えています。かつて離れていた二つの島が石油基地開発計画とともに埋め立てられ陸続きになりました。外見的には陸続きかに見える両島の境界にあるこの急カ-ブが描きだす不自然な道路の線・空間がもたらす緊張感は、かつて平安座島と宮城島とが海に隔てられた風景の中で存在していた事を私の中へ刻印する効果を持っています。タイヤの軋む音を気にしながら運転し、体で感じる求心力に戸惑いながら、島から島へ渡ったんだと確認することを忘れないこと、それは「宮城島に入ります」という挨拶がわりです。同じようにこの島から離れる際にこのカ-ブを通過する時に「またきます」という挨拶がわりでもあるのです。
  この他に登り坂・下り坂のカ-ブが何箇所かありそのカ-ブを曲がる度毎に当然ながら視界に入る風景が急に変化します。今まで緑の雑木林かと思うとサトウキビ畑が広がったり、かと思うと入江の漁港と集落に変わったり、迫り出す崖下の薄暗い道だったり、突然に視界いっぱいに海が飛び込んできたりと短時間でいろんな宮城島の風景ショットを楽しむことができます。更に一方通行である区間もこうした視界に入る風景の変化をもたらす一つの装置です。ドライバ-は交通標識という記号に従って道を走らなければなりません。侵入禁止・一方通行のマ-クがあればその指示通り直進もすれば折れたりもするのです。その度に視界に入ってくる風景は強引に変化してしまいます。強引さもたまにはいいものです。例えば宮城島から平安座島へ向かって走る道路のある場所でしか、島肌にいくつもいくつも作られた石油タンクが並び近未来的な様相の基地の設備がある平安座島の表情は見ることはできません。少し道路を進むと急なカ-ブがありその後で見ることの出来るのは一面の海。まさに工業の開発問題と豊かな自然の対比を瞬間的に見せてくれたりするのです。
 車の走れる道路は一本の主要道路ということもあり、この島を訪れる人のほとんどが同じ時間の長さ同じ風景を見て、同じ順序で風景の変化を見ていることになります。交通網の充実をはかった道路整備によって島の人々の生活は便利になり、島外の人達も気軽にドライブが楽しめます。昔も今も島を囲む海も地形も変わらずそこにあるのだけれど、島の風景を眺める人々の視線にはある意味で自由な選択性がなくなり、決められたコ-スの中で与えられる風景にとても人工的なシュ-ルさを見てしまうのです。
<不思議な円>
 今ではこの島の西側の台地状の部分のほとんどにサトウキビ畑が広がっています。その中に立って周囲を見渡すと、自分自身を軸にしてパノラマどころか360度同じ風景が広がる場所があります。視線を上の方に移すと前方、左右、後方どちらの方向にも空が広がり、視線を地上に戻せばやはりサトウキビ畑の風景が、360度取り囲んでいる状態を経験することができます。自分のまわりに「空なら空」、「畑なら畑」のただそれだけの世界が広がっていると、東西南北なんていう決定された方角はどうでもよくなってくるから実に楽しいのです。この地点にいると東の空から差し昇る朝日の光も、西の空に沈む夕日の光も、満天の星空の光も、青白い月の光も、夏の真っ白な光も、風さえもこの地点ならば「どこから」という問いかけも意味をなさないというか、 答え等ありそうもないとそう思わせる場所なのです。こうした光や風はこの場所にどこからでもただふりそそぎ、ふいてくるのだろうと思えてしまうのです。この場所に辿りつくまで通ってきた気持ちのいい直線の海中道路や緊張するヘアピンカ-ブや色々な風景を見せてくれる坂道のカ-ブは行き先という方向がとても重要でした。そうした空間と方角の密接な繋がりを断ち切って一つの方向に意味があることをゼロにしてくれる不思議な場所なのです。ある日いつものようにこの場所に立っていると、たくさんの蜻蛉があらゆる方向にグルグルと飛びかっていました。そのランダムな動きがとても似合う場所で自分が点になり円が描けるこうした状態がとても心地好いのです。空間がいろんな図形を実感として与えてくれる宮城島の中でも最もお気にいりの場所で、この場所に出会うために何度も宮城島に通っているに違いないのです。


伊計島
 
 毎年春分の日を目処に、平安座・宮城・伊計島に弁当を持参してやってくる事がここ数年来の個人的な春の恒例の行事となっている。沖縄には女性達が旧暦3月3日に浜に出て一日過ごす「浜下り・ハマオリ」という年中行事があるけれど、私の場合春分の日の時期に伊計島で過ごす事を「浜下り」と勝手に決めて実行している。旧暦3月3日の「浜下り」は女性たちが一日浜に出て巡ってきた季節を祝い、身体を潮で清める意味で潮干狩をして遊ぶ。けれど私の「浜下り」は何もしないでただボ-っと海を眺めてお腹が空くと持ってきた弁当を食べ、またボ-っと海を眺めるそれだけの内容である。
 場所は多くは伊計ビ-チ。南の島の小さな入江にあるこの伊計ビ-チは大きさといい、こじんまりとした風景といい、しっとりとした海水の色といい落ち着いた感じのビ-チである。白い光がガンガン照りつける夏本番の時期をずらして訪れると、この頃のこの島の空気の色一年で一番ぼんやりしている。晴れているのだけれど少し霞のかかったようにぼんやりとした表情の場に、私の頭が1年で一番ぼんやりしている時期と重なって実に波長が合うので、思う存分ボ-っと出来るのである。シ-ズンオフのビ-チではベンチや売店や休憩小屋の整備、ビ-チ周辺の囲いの金網の壊れた場所の修理するおじさん達の姿も見えたりするのだけれど、あくせく働く様子でも無く実に風景と季節に溶け込んでいる。この時期の伊計島の周辺では”時間が止まっている”、いやこの表現ではない、そう”時間が流れるのを怠けている”そんな感じ。この時期沖縄は”うりずん”の中にある。冬が終わりを告げ、風向きも北から南へと変化し、自然に潤いが増して活動的になりはじめる時期である。そう何でもはじまりは戸惑うものだ。この時期の島は季節の変わり目に時間の速度調節に少し戸惑っているように時間が流れ、季節の変わり目に無意識に戸惑う人間もまた海という自然の中に身を置きながら何かを調節しているのだと思う。
 視線を沖合に向けると平安座島の石油基地へ石油を供給するタンカ-が停泊している。
 こうした風景は1年を通して変わることはないのだけれど、うりずんの季節の太陽が群青の海にぼんやりと柔らかく光りをそそぎ、海面がきらきらと光を反射してすべてを銀色の世界で包み込むと変わらずそこにあるものでも幻のように見えてくる。”うりずん”の中伊計島が至極の伊計島だと私は思っている。
 宮城島が空間ミラクルワ-ルド状態の島ならば伊計島は摩訶不思議コピ-の島ではないだろうか。宮城島と伊計島を結ぶのは真っ赤な伊計大橋。島と島を結ぶ橋の色はどうして真っ赤が多いのか常々疑問に思っている。とにもかくにも沖縄の深いエメラルドグリ-ンの海と深い緑の島肌にこの赤い橋はとても似合うには違いない。こうした橋の上には孤独に釣り糸をたれる釣り人ワイワイガヤガヤと自転車を連ねて釣りを楽しんでいる青少年のグル-プや”橋の上から海を眺める”という定番デ-トを実践中のカップルの姿もちらりほらり。ここまでは沖縄各地に架けられた橋の光景となんら変わらない。がしかしこの伊計大橋は少し違っている。橋の両脇に「橋が泣いている交通マナ-」と書かれた交通安全標識が立っている。橋の上に駐車するドライバ-向けの標識なのだけれど、「この橋泣くんだ~」と思うと「いつ?どんな風に泣くのだろう。涙の色はやはり真っ赤なのかな?」と他愛もない事を考えてしまう。
 コピ-というと、勝連半島と平安座島を結ぶ海中道路へ入ってくるには「時は金なり屋慶名青年会」のコピ-と「ビックタイムリゾ-ト伊計島レストランイチハナリ」と書かれた大看板を必ず目にするはずだ。看板の大きな矢印に導びかれ勝連半島から海中道路を通り平安座・宮城・伊計の一つの”脈 ”が流れている。”脈”の流れがどこへ向かっているのか、伊計島の先にある場はここしかない。ビックタイムのコピ-のリゾ-トのホテルである。夏のシ-ズン中そのホテルのレストランで耳にした会話。リゾ-ト客が夕食のごぼうス-プの作り方を丁寧に説明しているウエ-タ-に「来年もまた来るから、来年は蜂蜜をたくさん入れた苦瓜のドリンクを作っておいてね」と愛想良く話しかける。「かしこまりました」と丁寧に答えるウエイタ-。両者ともお互いに礼儀を外してはいない。けれど地元の私などから言わせると苦瓜ジュ-スぐらいすぐ出来そうなものなのに…と小首を傾げてしまった。「翌日の食事ではなく、来年のメニュ-の会話をする客」と「その注文を丁寧にうけるウエイタ-」。本当に来年その客が来て苦瓜ジュ-スを本当に注文するかどうかはここでは問題でなはい。来年という時間が客と従業員との会話で成立することがまさに「ビックタイムリゾ-ト」のコピ-の世界だと思った。看板に書かれた大きな矢印から発した”脈”の実態はどうもサ-ビスという呼ばれるものだったらしい。


下地島

 
宮古島は一番高い場所で109mと本当に平たい島で海にへばりついているようにも、ゆらゆらと海に漂いながら浮かんでいるようにも見える。宮古島の上空に近付いた飛行機の窓から覗くと海面に三角形のシ-ルを貼りつけた様でもあり…、隣の座席に小さな子供が乗り合わせていたら「この島はね、指でつまむと簡単にめくれちゃうんだよ」と真顔で罪深い大嘘をつきたくなるような、そんな風な島である。宮古島及びその周辺の離島も同じようにさほど高くはない。高さを感じないこの島で暮らす人々のイマジネ-ションは、高さを求めて膨らみはしなかった。例えば”この世”とは違った場所を、より高い所へと求める志向は生まれなかったのである。イマジネ-ションの流れはどこへ流れたのか。宮古島の神秘は、沖縄の島々と同じように海の彼方はもちろんだがその他に穴の中、つまり地底の方へ下へ下へと降りていくものであった。「穴への志向」とでもいう他界観が確かに存在する。穴から誕生するモチ-フの来訪神もあるくらいなのだから。
 穴。下地島には直径50m以上も巨大な穴があいている。しかも二つも…。”通り池”と呼ばれているこの巨大な穴を初めて見たのは小学校の頃。断崖の端に立って覗き見るその場所で、通り池というネ-ミングに「”池”なんかじゃない。これは”穴”だ。」と思った。案内の人が最初にしてくれた説明は二つの池?の大きさから始まり、深さ40㍍もある海の色とは微妙に違った深い青色半分は真水で半分は海水だということだった。そしてこの二つの池?は眼に見えない深い場所でつながっていて、更に海にもちゃんとつながっているということだった。多分”自然の造形”という観点から子供に理解を求めたのだろう。そして石を投げて見るとどの位深いのか解るとアドバイスされ、その通りに石を放り込んだ。群青よりも深い色合の水底へ白い石がゆらゆらと揺れながらゆっくりと落ちていくのが、かなり長いこと見えた。私は石を投げた事をものすごく後悔した。いつまでも白い石の落ちていくのが見える想像以上の透明度に惹かれるというより、その深さを気味悪いと感じた。その気味悪さは、通り池にまつわる「継子いじめ」の伝説を聞いた瞬間に恐怖に近いものとなった。多分大人はこうした感覚を神秘と呼ぶのだろう…。「こわい」気持ちいっぱいの私がその後案内されたが、通り池の近くに”ナベ”と呼ばれる摺り鉢状の穴であった。またしても穴…。ここはイラブ鰻がたくさんとれる場所だと説明され、蛇に近い生きものが穴いっぱいに群れている光景を想像するだけで「こわい・こわい」気持ちは固まってしまって、「鍋の蓋はどこにあるのかね-ハハハ」と笑っている大人の冗句には全然反応することが出来なかった。その時から現在に至るまで、巨大な穴の水の底にゆらゆらと白い石が落ちていく夢を何度見たことだろう。
 今では下地島周辺の海や通り池は、沖縄でも知る人ぞ知るダイビングポイントとか…。美しい珊瑚礁や通り池の構造等楽しめるのだそうだ。とにもかくにも底へ底へと降りていく事が下地島の印象なのである。
 昔から牛馬の放牧地として利用され、生活を営む人の少なかったこの島に1979年に国内で唯一のパイロット訓練飛行場が出来、パイロット達の家族の住宅宿舎が建設され、若干ではあるが人が住むようになった。飛行場が出来た当時は、不便な島の生活かと思えばさにあらず、下地-東京、下地-大阪、下地-福岡間の飛行訓練時に家族達も便乗して、そちらの方で生活用品等を買物をしてくるらしいという噂がまことしやかに流れていたけれど…。多分に事実ではないこの噂は、大小の島々が集まった沖縄という島社会の中でも住む人の少ない下地島に、最先端の技術の装備された空港が出来、沖縄出身以外の人々が住むようになった事へのある種の戸惑いだったのではないだろうか。今では地元の航空会社が沖縄本島間の路線を確保し、人々を運ぶ窓口となったこの島は、底へという降りるだけではなく、空という登るという高さの要素が新しく加わった。観念は下降し、現実の身体は上空で移動する、これが私の下地島像である。