書評『フォークロアは生きている』
1994年11月1日(火)『沖縄タイムス』「書評」欄掲載
書評『フォークロアは生きている』下野敏見著、丸山学芸図書
自らの足で歩き続ける。自らの目で確かめ続ける。自らの手で記録し続ける。そうした経験と集められた成果は、積極的に世に問わなければならない。こうした民俗学、いや社会を論ずる学問分野に携わる学者の基本中の基本の姿を私たちに示してくれる著者が、「フォークロアは死んだ」と簡単に語られることに対して書名そのもので答えた。
著者は南九州の民俗、南西諸島の民俗調査を中心に、日本各地を精力的に訪れる。近年は中国や韓国にもその足をのばす。「神々は生きている」では、道教の森山信仰、朝鮮の堂山信仰、日本の御岳信仰、沖縄のウタキ信仰の一連の山岳信仰を比較「なぜ森山は祟るのか」の問いを考察。また「ふるさとの神々は生きている」では、南薩に広く見られる<ウッガン>信仰にふれている。ウッガンが氏神か内神かの問題。その家の祖先神かどうか問題が多くの興味深い事例で論じられる。その中で女性と男性の祖先の位牌がわけられ、女性と夭折した男子の位牌だけを神棚に祀り、正統祖先の男性だけを仏壇に祀る事例が紹介されている。
こうした分離二重棚は、明治期に入って旧氏族の神道の家が仏教の門徒になった際、仏壇が導入されてひきおこされた現象ではないかと解釈される。仏壇や位牌の導入によって、その地域の持つ男系尊重の「家」存続観念や神・仏感覚が浮き上がってくる。
また琉球・中国との交流の中で入ってきた航海の神である媽祖(天妃)信仰が、氏神信仰としていきている事例も興味深い。久米島の天妃と似ているボッサドン(菩薩殿の意味)と呼ばれている媽祖像が薩南の山村で今も人々を見守っている。
その他「琉球の男の祭りと女の祭りーシヌグ・ウンジャミ考―」では、沖縄もヤマト的な男性主導型の祭祀から、大航海時代ごろから沖縄式のウナリガミ的宗教へと変遷したのではとの視点も提示。また、甑島・蒸籠などの民具から<日本の蒸し器>文化を扱う新しい試みも特筆すべきであろう。
沖縄民俗のさらなる理解のためこのような奄美・南九州の民俗に触れてみたらいかがであろう。 <鹿児島大学院時代の恩師・下野敏見先生著作>
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