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1997年

2007年5月 4日 (金)

岸秋正氏所蔵資料の世界

1997(平成5)年7月31日(木)『琉球新報』掲載

   「岸秋正氏所蔵資料の世界」

Photo_11  この夏、沖縄関係文献の収集家として高名であった故・岸秋正氏の所蔵資料が沖縄県公文書館で公開される。8月1日から約二ヶ月かけて、「岸秋正文庫の世界~沖縄へのまなざし~」と題した特集企画展である。
 今回紹介される「岸秋正文庫」の資料は、今年1月に寄贈された約1万1千点の資料蔵書群の中から整理された資料の一部である。岸氏の所蔵資料に触れた沖縄研究の各分野の専門家達が、それぞれの分野で「貴重な資料である」と一様に感嘆する全蔵書の整理には、数年が必要と聞いていただけに、大変嬉しい公開である。
 岸氏所蔵の沖縄関係資料群は、昭和30(1955)年ごろから約40年の歳月をかけて収集された。その世界は、あくまでも<沖縄>にこだわり続けた岸氏の私的な知の領域で育まれたものである。
 この膨大な資料群に触れ、氏が丹念に記した資料の「収集日誌」を手にしてみると、沖縄関係の古書類を求めて費やした時間の長さと、その密度の深さに、ただ感動するばかりである。
 時間を見つけ、古書店に佇み、積み上げられた本の中から、沖縄関係の記事や本を丹念に探し出す。手に入れた資料を書斎でじっくり読み込み、その箇所に付箋を挟み込み、保存を考えて大切にパラフィン紙のカバーを丁寧にかける。その資料の命である情報を「収集日誌」と「目録」に詳細に記録していく几帳面な作業が、静かにゆっくりとした時間の中で繰り返される。その資料が存在する意味や価値を確認する事によって、資料に命を吹き込む玄人の仕事である。さらに沖縄県資料編集室(現公文書館内)の史料収集活動や、多くの研究者・機関、『伊波普猷全集』『東恩納寛惇全集』刊行事業等へ、命の吹き込まれた資料を提供する。活用されることで呼吸の出来る場へ資料を導いている。こうした氏の尽力やエピソードは、氏と交流の深かった金城功氏をはじめ、多くの方々の話題に上ることも多い。
 厳選されたコレクションには、沖縄地元の図書館や機関でも所蔵されていない貴重な本や雑誌、史料が多く含まれている。一点ものの古典籍や図版、絵資料の収集はもとより、沖縄資料を捉える視点として、これまであまりなされていない同著作の各版を揃えたり、雑誌の変遷体系に配慮した収集内容で、書誌学的な眼差しも忘れない。
 こうした資料の達人の世界に触れる時の感覚は、幼い頃時間の経つのを忘れる程夢中になって覗いた万華鏡の世界を思い起こさせる。一つ一つの部分が光・視点や角度によって変化し、新しい表情を見せてくれる。けれどもその変化を続ける世界には、乱雑な表情になることはない。何かに魅せられた人々の知の世界は自由でしなやかで、しかも整然とした秩序を生み出し、何かしら凛とした美意識さえ感じられる。そして何よりも、その世界を自ら楽しんだ事を、言葉を使わずに圧倒的なエネルギーで伝えてくれる。
 資料が発行された時間・分野・形態の枠を超えて、<沖縄>というキーワードの下で収集された貴重な資料が公開されるこの企画をぜひ多くの方々に楽しんで頂きたい。そして資料収集という<知の体系>の豊かさと、氏の沖縄への眼差しと豊かな情熱の世界に触れて頂きたい。
 今回は、前期は新発見の「渡地村文書」を含む近世古典籍(冊封使録、江戸上り、為と朝関係や漢詩文集『琉球神道記』『中山伝信録』『南島志』『六諭?義』など)を中心に、後期は<行政資料><沖縄学><文学><考古><自然科学><産業・糖業>の各分野の明治以降に刊行された雑誌類が中心に展示される。岸秋正氏文庫に関しての情報は、沖縄公文書館だより『ARCHIVES第5号』でも特集されており、また展示機関中には「岸秋正文庫の世界展示図録」も発行される。これらを参照しながら展示資料に触れると、より文庫の世界の奥行きが見えてくると思う。
 最後に、今回公開されていない文庫未整理資料には、夫人の朝子氏の父・宮城新昌氏関連の貴重な沖縄産業関係資料や、古い絵葉書など、その他の貴重な資料が多く含まれていると聞いた。こうした資料に触れる日を心待ちに氏ながら、この夏の展示会を楽しみたい。
            (特別展「沖縄へのまなざし 岸秋正文庫の世界」によせて)

 *その後1999年に委託を受け、岸秋正文庫の資料整理を手がける。

2007年4月22日 (日)

沖縄民俗(族)学研究史の視点

沖縄研究はいまー伊波普猷没後50年記念企画『沖縄タイムス』1997年12月2日(火)9日掲載

「民俗(族)学研究史の視点」上

 
伊波普猷は、自らの郷土研究を『古琉球』(1942年改訂版)の中で「私の沖縄学の体系化」と表現している。伊波が体系化を試みた沖縄学の分野は。主として言語、文学、歴史、民俗の四領域に重きが置かれている。
  明治期にその萌芽をみた民俗研究も、1950年代までは、民間学、在野の学としての歴史の方が長い。現在のように、人類学・民族学と同じように民俗学の講義を提供できる大学は多くはなかった。国内の大学でも、ようやく60年代以降に広がり定着している。
  この学問現場において民俗(族)学の評価が低かったことを意味しており、解明されることなく認識されていた。ちなみに沖縄地元の大学で、民俗(族)学の講義が開設され田のは、70年代に入ってからである。70年代は、民俗(族)学内では沖縄研究のピーク時を迎えていた。
 こうした状況下において、大正・昭和期に国文学、日本歴史学の中で、沖縄、アイヌの研究の重要性を取り入れたのは柳田国男や折口信夫の日本民俗(族)学成立の中心となった人々である。伊波の沖縄文化研究においても、その方法論やテーマを当時歴史の浅い人類学・民俗学という学問の場で実践する鳥居龍蔵、柳田、折口等との交流の中で受け入れた。換言すれば伊波の学問を評価したのも、台頭し始めた新しい学問であったと言えよう。このことは、日本民俗(族)学研究史の中でも、沖縄研究は早期の研究に属することに他ならない。
  その点をふまえた沖縄民俗(族)研究に関する伊波の位置づけは、平敷令治によって提示された詳細な研究史(「民族学・民俗学」『沖縄県史5文化1』75年)の中で確認できる。
  平敷は、伊波の沖縄学に焦点をあてた民俗(族)研究史区分の一タイプとして、明治期(沖縄学の出発まで)、大正期(沖縄学の進展)、昭和前期(沖縄学の円熟)の各枠組みを示した。
 その後60年代以降の沖縄民俗(族)研究の総括と展望は、日本民族学編『沖縄の民俗学的研究』(73年)、九学会連合編『沖縄―自然・文化・社会』(82年)、ヨーゼフ・クライナー編『日本民族学の現在―1980年代から90年代へ』(96年)などによって、各時代とテーマによる沖縄研究の動向と現状の課題を踏まえた形で示された。
 ここ10年間でも、沖縄民俗(族)研究の論文・著作は五百をゆうに超え、多様な研究が発表されている。内容の専門性の深まりと同様に今日の研究が扱う空間も広がった。
  伊波の没後から現在では、民俗(族)学、人類学における沖縄研究の扱う空間領域は、日本との対比だけではなく、中国や韓国のアジアの国々へと拡大され、その中で沖縄を捉える視点が重要になっている。
  その他に南島研究でも十分ではなかった先島、奄美、トカラ列島、屋久島等の島々を年頭に入れた空間へのアプローチなど、主にこのような三つの視点からの研究が行われている。
  しかし、沖縄民俗(族)研究史においては、平敷以後、十分な枠組みを持ち得ていないのが現状である。研究史からの視点では、戦後および現在に至る研究はもちろん、戦前に関しても次の問題が残されている。
①明治、大正、昭和初期の研究史の充実、②沖縄地元の郷土研究活動。ここ数年は、伊波普猷と同時期に郷土研究で活動した大田朝敷、真境名安興、末吉麦門冬、島袋全発、島袋源七、仲原善忠などの資料も発掘されている。沖縄地元の郷土研究会の変遷資料も充実してきた。
  柳田、折口が沖縄<南島>研究に取り組む以前、または同時期に別の場面で行われた民俗(族)研究の表情も輪郭が見えてきた。こうした新しい資料を再度編成し、充実した研究史が必要である。
  ③戦争と民俗の問題。沖縄研究では、沖縄戦の記録は多くの成果をあげている。人々からの聞き取り資料も充実した内容で、各団体、市町村誌(史)を通して発表されている。こうした成果と民俗(族)学はどのように取り組むのか、郷土研究と皇民化教育との関連問題も含めて議論されていない問題である。
  その他④台湾大学と沖縄研究。戦後の日本の民族学・人類学の研究に置いて、戦前の台湾大学で活動していた研究者たちの果たした役割は大きい。60年代、70年代において沖縄研究をリードしてもいる。学問の系譜と、新たに植民地と民俗(族)学とのかかわりの問題でも、大きな課題と言えよう。

  「民俗(族)学研究史の視点」下    『沖縄タイムス』1997年12月9日

  伊波普猷が亡くなって間もない1947年(昭和22)年9月、折口信夫は、「新国学としての民俗学」と題した文章を発表。その2年後には、柳田国男も当時の若き人類学者・馬渕東一、岡正雄へ沖縄研究を勧めている。
  大正期に伊波を郷土研究に導いたように、戦前台湾大学で文化人類学の理論と視点を学び、アジアへの関心を注ぐ馬渕らを沖縄へと導いたのである。そして柳田は、自ら主宰する民俗学研究所において沖縄調査を企画し、宮古・八重山調査を組織的に推進したのである。
  こうして沖縄民俗(族)研究が、<内なる文化>である日本と沖縄を捉える民俗学と、研究対象を<異文化>に求める民族学の両方の立場から行われるようになった。
  その後1960年代以降に発展し定着したアカデミックとしての沖縄民俗(族)研究は、県内外研究者の増加と、文化人類学、社会人類学、民俗(族)学など独自の視点での研究テーマが広がった。
  沖縄社会研究としての親族(門中)研究・家族(家)研究(村武精一、比嘉政夫、津波高志ら)の社会構造・機能分析や宗教研究では、祭祀研究のオナリ神研究(馬渕)や祖先祭祀、位牌祭祀の研究、シャーマニズム(ユタ)研究、外来宗教研究などが展開されてきた。著作・論文数においては、かなりの研究成果を蓄積してきた。現在では、ドイツやフランスのヨーロッパ地域やアメリカ、そしてタイ、インドネシア、韓国、中国のアジア諸国との共同研究も盛んである。
①アジアへの視点。沖縄民俗(族)研究をアジアの枠組みへ導いたのは、やはり蓄積の多い宗教研究の分野であった。その中でも「風水」研究(渡辺欣雄、玉木順彦ら)、「道教」研究(窪徳忠)、「儒教」研究(平敷令治の位牌祭祀研究)、「シャーマニズム」(佐々木宏幹、山下欣一)の研究は、中国・韓国などの東アジアとの比較で成果をあげた。
  宗教研究と同様に、先に述べた沖縄社会研究の各分野で、ここ二十年で学際的にも国際的にも広がりを持った展開がなされている。
  最近では、②医療と民俗(族)研究も活発である。現代社会が抱え込む様々な問題と、民俗(族)研究が対峙する時、医療分野関連のテーマと共に議論されることが増えた。現代ストレス社会を反映した「癒し」をキーワードに従来の宗教、民俗研究成果が議論され、また長寿社会・沖縄の文化を「老い」「死」のテーマでも研究が行われている。
  また③多くの離島で構成される沖縄の「都市化」と「過疎化」の問題は、次のテーマで語れるようになった。都市化された場所での墓地不足、家・祭祀継承の揺らぎ、女性の社会的権利と位牌継承問題(トートーメー問題)。多くのシンポジウムが開催され、幅広い議論がなされている。伝統祭祀保存問題(宮古の神役)について。研究・助言から実践に向けて、研究者が積極的にかかわる新しい局面も出てきた。
  ④<民族問題>。現代の民族・人類学では、エスニシティー、民族問題、独立論をテーマにした研究も多い。村井紀『南島イデオロギーの発生』『大東亜民俗学の虚実』が著されているが、沖縄民俗(族)研究ではこれからの課題といえよう。
  同様に⑤産業―観光人類学。新しい祭り(エイサー大会、トライアスロン、ふるさと祭り、首里城祭りなど)と「地域おこし」「観光」などの視点から、社会学との学際的研究も必要であろう。⑥民族文化の記述(地域史編纂事業から)の問題。本土復帰二十五周年を迎えた今年、現代にとっての<民俗>を記述することは、どのような意味を持つのか。
  地域史研究が盛んになり、その成果としての多くの自治体が市町村史(誌)編纂事業を推進している。現在では、よりミクロな共同体の歴史編纂への取り組みも盛んで、多くの字史(誌)が編纂・刊行されている。各市町村とも刊行冊数はそれぞれ異なるが、いずれも人々の日常生活を記録した民俗編(章)は、かなりの紙面が割かれ記述されている。
  こうした多くの民俗資料が盛り込まれた「地域史」刊行物は、内容の質の高さと比較して、目次内容が画一的な項目で構成されることが多い。市町村史(誌)編纂事業の先駆的役割を果たした那覇市史、浦添市史等の目次項目が、他の市町村への民続編へも踏襲されている現状がある。
  半世紀前の戦後から25年前の本土復帰当時、復帰後の沖縄の生活時間は急激に変化し多様化した。こうした時間への配慮が十分に検討されている現状ではない。社会文化の急激な変化に対して、文化(社会)、人類学、民俗(族)学、社会学の各分野は<文化変遷>のキーワードを通して、理論化、議論検証を続けてきた。記述として定着した地域史(誌)の民俗編の構成する時間枠を、そろそろ変える時期ではないのか。沖縄・地域独自の切り口と共に、民俗(族)研究者が早急に議論し、提言すべき問題である。
  今年開催された学会で、ある人類学者から「人類学の沖縄研究に未来はあるのか。現況では危うい」と叱咤にも似た刺激的な提示があった。このような90年代以降、現代において迷走する沖縄民俗(族)研究を指摘する現場の声もないわけではない。膨大な研究論文成果を持つ沖縄民俗(族)研究葉、成果も大きいが、残された課題も巨大である。

2007年4月20日 (金)

1997(平成9)年7月~12月後半月『沖縄タイムス』紙面批評

< 1997(平成9)年7月~12月後半月『沖縄タイムス』紙面批評>

(1) 沖縄戦と教科書問題―比較する視点を掘り下げてー
        1997年7月前半紙面批評
    
  1997年8月16日(土曜日)掲載

 ある夜自宅のFAXが、静かに受信をし始めた。毎月後半期の紙面批評担当依頼の話である。「批評」の言葉に戸惑った。色々な情報が詰め込まれた新聞と、未熟な私との付き合いは、多くの情報を得て「なるほど」と感心するやら、頷くやら、紙面に向かって甘口辛口の質問の独り言を繰り返すという、ささやかな日常的スケジュ―ルとして組み込まれたものだ。こうした独り言の域を越えられるか不安ではあるが、半年間愚見を述べてみたい。
 今回は、「人物」についての報道記事を、テ―マに取り上げたい。
 先ず喜屋武真栄氏死去を伝えた記事。〈「小指の痛み」訴え続け〉た人物の生涯が、そのコピ―を通して強烈に浮かびあがった。つまり活字と言葉の響きの力が印象深く記憶に残った記事である。人物の生涯はもとより、その人が取り組んだ「小指の痛み」の方向へ読者を導いてゆく。一連の報道に触れる度に、自らの指先を眺めながら、現代の沖縄社会を思った。
 1980年をピ―クに、年々売り上げ部数が減少している『防衛庁白書』。沖縄では、97年版白書について社説及び識者等のコメントを交えて、連日詳しく報道された。月下旬の1972年〈5・15メモ」10覚書公表〉の全文を紹介した記事、解説記事も同様に詳細でよかった。書評紙面で取り上げられた本よりも、興味がでる刊行物や内容の記事であった。復帰25周年の沖縄で、故喜屋武氏と同様に一人の人物の時間を思った。高校用日本史教科書の検定意見への不服から32年間訴訟を継続した家永三郎氏に関しての報道である。沖縄戦に関しての記述を含む内容だけに、上記の記事と同様に詳細に語られた。沖縄内外への歴史認識を触発する意味でも有意義な企画であったかと思う。今後一人の人物を通して議論される〈沖縄戦〉の時間ではなくなる。そういう意味でも、現在議論されている〈日本史教科書〉問題と比較する視点をもっと深く掘り下げてほしかった。
 文化紙面では、目取真俊氏の「水滴」が、第117回芥川賞を受賞した関連記事が展開された。昨年の又吉栄喜氏の受賞時のいささかお祭りム―ドとは異なり、比較的落ち着いた報道で好感が持てた。そういえば、昨年は、何かと〈豚〉をキ―ワ―ドに文学以外でも特集記事が多く、その活字が頻繁に紙面踊っていたと記憶している。どうやら今年のキ―ワ―ドは、独断的?にいえば〈水〉の気配である。24日からはじまった〈生かせ玉水(たまみじ)〉の連載は、記者の個性が出ているせいか、暑い夏日に開く新聞紙面の特集としては楽しい。
 最後に、毎週火曜日におもろ、沖縄学の父・伊波普猷の没50年記念企画が掲載されている。こうした企画の膨らみをもたせるように、「おもろ研究会」が本年度サントリ―地域文化賞を受賞した記事も丁寧な扱いがなされていて好感が持てた。

2) 気になるアジアの風―情報量にアンバランス感―
     1997年8月後半紙面批評
  1997年9月17日(水曜日)掲載 

 8月後半の紙面は、様々に吹く強い「風」の真っ只中にある沖縄社会の表情を報道した内容が大半であった。自然(台風、水)、スポ―ツ(甲子園、世界古武道大会)、経済(全県自由貿易圏構想)、文化(エイサ―、旧盆)、政治(基地・平和問題)、福祉など、それぞれ「風」の表情が興味深い。中には今後嵐になりそうな予感の風もあるが…。
 気になる風がある。アジアからの風は通りがいいのか悪いのか見えてこない。つまりアジア諸国関係の報道について、時期によって情報量のアンバランスが印象として残る。八月後半は少なかった。アジアに向ける視点には、凹凸の少ないスタンスを持つ配慮も必要ではないのか。連続性をもった視点から、風の表情も読み取れるのではないだろうか。
 感動した時、身近な老人達が情感を込めて「えらいね―。」と洩らす口癖を、幼い頃から何度となく耳にした。この短い言葉に、賛美だけではなく、喜びや慈しみ、時には微妙な悲しみや切なさなどを含めた表現であることが、年齢を重ねるにつれ解ってきた。
 今月は紙面を開く度に、そのシンプルな言葉を繰り返す日が続いた。大きく扱われた浦添商業球児達の活躍する旋風記事を読む度に、そして台風時にも毎朝変わらずに配達された新聞を手にした時、その紙面で数日掲載された「遅配、欠配のお詫び」の文章を眼にした時にも、また強い風の吹く中で取材されたお盆行事や台風被害に関してのインパクトの強い記事に触れた時、その他…、思わず洩らしていたのである。紙面というよりは、「風」の中で存在する新聞に、感動した部分が大きいのかもしれないが…。
 こうした感覚的な反応は、掲載される写真の効果を抜きに生まれない。年々サイズも大きくなり、カラ―とモノクロ写真が効果的に使われている。
 旧盆時期になると、市場風景、アンガマが絵になる八重山のお盆風景、仏壇前に手をあわせる一家など、例年通り見慣れた風景写真が掲載される。こうした繰り返される写真情報も、年中行事の訪れを読者に確認させてくれる意味では、ある役割効果を持ち始めている。それから朝刊1面の天気のコ―ナ―は、色どりも多く見易く楽しめることを台風時に気付いた。
 今年は旧盆をテ―マに、興味深い関連記事か多かった。文化面外の紙面で、沖縄文化を強く感じさせてもらった。①旧盆前一人暮らしの老人宅を清掃する若者達を取り上げた記事(15日)、②ヒヌカン(火の神)もある沖縄市役所内で続けられている無縁仏への盆行事(16日)、③お中元詐欺の事件(16日)、④大宜味村の一日だけの旧盆(22日)、連載
を含めた⑤エイサ―大会、などの記事である。特に②に関しては、宜野湾市へ無縁仏供養を要請する読者からの反応も後日(26日)紹介され、沖縄民俗文化の一面が興味深かった。 その他に、吉田朝啓氏の水を科学することを示唆した「視座・水の館」(21日)、連載「共生社会―心痛んでも」(21、28日)、「筋ジズの若者が空を飛ぶ」(24日)、「ハンセン病と闘った半生『花に逢わん』の著者」(30日)、〈アニメ映画「もののけ姫」から沖縄をひもとく〉(21日)などの記事は、今後も同様なテ―マ企画で続けていただきたい記事であった。

3) 「敬老」への主張と提言―歯がゆい、なかなか出ない対応記事―
        1997年9月後半紙面批評
 1997年10月16日(木曜日)掲載
     
 しんしんと肺碧きまで海の旅
 実家近くの公園に建つ篠原鳳作のその歌碑を、子供の頃実感も出来ないままによく眺めていた。大人になり、海を渡って南の島々を歩くことが増えた。どの島の海にあってもこの句が立ち上がる。寄せ遭わせた言葉の響きは深い。「篠原鳳作忌・全国俳句大会」関連記事(20、23日)でその事を思い出した。又、歌詠みは難しくてできないが、紙面「俳壇」の作品にゆっくりと眼を通しながら日曜の朝を迎えている。
 曜日毎に、そして開く場所毎に新聞のある風景は変化する。「新聞のある風景コンテスト入賞作品」(28日)で最優秀賞の「南の島でも…」(安田氏)が紹介された。赤瓦屋根の縁側で新聞を開く老人…ゆったりした日常に新聞が溶け込んでゆく。お年寄りの多い島々には、こうした読者が沢山いるのだろう。
 9月後半の紙面は、敬老の日関連の記事が数日続いた。60歳以上の成人を対象に実施された総務庁意識調査結果が一面トップ記事で取り上げられた(15日)。「78㌫が生きがいを感じており」、「延命医療八割がノ―」「45㌫が恋愛を肯定」の内容が報道された。
 その内容を反映?して、仲睦まじい老夫婦や生き生きと畑仕事を楽しむ高齢者や亀釣り名人(19日)等の素朴で明るい話題記事が大半である。こうした話題は、毎年の様に楽しく読み終えた。そして敬老の日のオピニオンの紙面では、60歳以上の読者からの主張を全面に掲載し、社説は〈「敬老」政策は変わったか〉の内容で展開され、この内容も興味深かった。しかし、気になる点もある。社説には「21日までの7日間は老人保健福祉週間である。」「県や市町村の「敬老」政策がどう変わったか、点検することは重要である。市町村によって担当の差があるはずである。」との提言が述べられている。後日の紙面でこの提言と対応した取材記事を楽しみに待ったが、なかなか出ない。識りたい欲求だけが刺激され消化されないはがゆさが残った。
 時間を重ねた一人一人の言葉にはいつも敬服するが、今月は特に〈芸能〉面での狂言師・野村万蔵師から「21世紀の組踊をつくる気概を―」との若手へ提言記事(18日)や、「伝える」で紹介された豆腐作り五十年の玉城幸子氏の記事(16日)は心に響いた。後日(27日)に扱われたシマド―フ業界の現状記事も膨らみをもたせる内容で、今月の「伝える」(月一回火曜日)で取り上げた意図が十分に伝わってきた。
 先に紹介した「新聞のある風景写真」の記事と同様に〈新聞〉をキ―ワ―ドにした記事は今月は多かった。広島で開催された全国地方新聞社ブックフェア(15日)、日本新聞教会の新聞週間初のテレビCM中止(19日)、横浜市での新聞博物館施工式(26日)等である。いずれにしても紙面での扱いが小さいのは何故なのだろうか。沖縄にとっては地味な話題かもしれないが、お知らせ的な記事ではなくて、新聞現場からの分析等もあれば新聞メディアの理解へ近付くことが出来たのにと残念である。
 連載では、写真・文ともに個性的で力強い石川真生氏の「地元に言わせてよ・海上ヘリポ―ト案」と「論評知事代行応諾から一年」(終了?)が面白かった。

4)敬老問題多様に展開―オピニオンの構成も面白いー
      1997年10月後半紙面批評
  1997年11月17日(月曜日)掲載

 9月紙面批評「県や市町村・敬老・政策の点検の重要性」を指摘した社説提言に、対応した記事がなかなかでない点を指摘した。
 その原稿が掲載された10月前半から、関連記事が紙面に登場した。読み応えのある関連記事の連載に、自身の批評が早急過ぎたことを反省した。じっくり気長に取り組む取材情報との向き合い方、読者側としての間の取り方を考えさせられた。
 老人問題の連載記事は、老人医療の問題「点検・老人ディケア―長寿沖縄の中で」(稲福、親泊、宮城記者)20回の連載、老人施設を扱った「共生社会を□く二部・老いを生きる場所」(山城記者、16・23・30日)、個性ある人物紹介の「カンジュ―でぇびる」(21・28日)等、それぞれ担当記者の切り口で紙面を充実させた。特に24日の見開き前面での特集は、取材の総括的な役割で、老人医療の問題が読み手には解りやすかった。記者の良質の仕事に触れた感がある。
 特に〈老いを生きる場所〉の記事は、沖縄の各地(佐敷、与那城、恩納、渡名喜、名護、沖縄市、渡名喜)で取材された今年のカジマヤ―(生年祝い)の記事(地方面)の多くが、施設でなされたことを、改めて気付かせてくれた。
 10後半の紙面は、副知事再任問題(17日~)、全県フリ―ゾ―ン問題(連日)、ウォ―ル街を震撼させたNY株暴落・反騰(28・29日)など、沖縄や世界の大事な問題もかなり報道された。けれども、近頃の私には、沖縄の日常の話題の方が気になる。
 秋である。秋には古くからのお祭り(竹富島・種取祭、17日)や、生涯学習フェスティバル(16日)、全島獅子舞フェスタ(23日)、沖縄の産業まつり、学会(日本国際政治学会秋季研究会、19日)やシンポジウム、各種スポ―ツ大会などの新しいイベント多彩も催され、記事も興味深く読んだ。その中では月光と群星をあおいで走る伊平屋ム―ンライトマラソンの記事(24日)が、その微妙な色合のカラ―写真とともに印象に残った。
 「一行が伝える鼓動を読む感動」「思いやり人にも記事にも取材にも」「情報の迷路を明かす確かな目」「新聞が高める社会の透明度」などの新聞週間標語が、連日記される中、「地元紙の報道は〈偏向〉か」をテ―マに対論記事が掲載された(23日)。言論の多様性が無いとする田久保忠衛氏と、反対意見の門奈直樹氏の意見の記事は、新聞週間を意識した掲載であったかと思う。しかし、従来通りのありきたりな取り上げ方で、刺激的な印象を受けなかった。
 担当記者の切り口?では、〈オピニオン〉紙面の構成が、以前と異なっておもしろい。
当初ぼんやりしていたその印象は、毎日毎日新聞を開く毎に、確信となっている。「わたしの主張・あなたの意見」では、投稿者の年代・テ―マの幅も広がっている。テ―マによっては、紙面幅が拡張され、固定枠の紙面より読者の反響の強弱が感じられる。
 また、21日から連載の始まった徳武敏夫氏「家永教科書裁判の32年・真実の教育をめざして」を、文化面でなく〈オピニオン〉の紙面で扱うことで、教科書問題の課題に加えて「言論の自由」の核なる問いを提言する効果も持ち得ている。こうした紙面づくりも、またさり気ない良質の仕事であろう。

5) 沖縄の未来を語る言葉―理念と現実に大きな相違を痛感―
     1997年11月後半紙面批評   
1997年12月18日(木曜日)掲載

 サッカ―日本代表チ―ムのW杯フランス大会出場をめぐって人々は熱狂し(17日)、3万人の人々が沖縄を訪れたスポレクおきなわ97の記事(15日~)や、宇宙への旅立ちが報道された11月後半の紙面を読み続けているうちに、思い出した小説がある。
 ポ―ランドの小説家、S・レムの『ソラリスの陽のもとに』は、タルコフスキ―監督によって映画化された『惑星ソラリス』で有名になった。惑星全体が生命体として思考を続け、謎の部分が大きいその惑星と、人類が向きあう時、様々な言葉が語られる。「我々は人間以外の誰をも求めていない。我々には地球以外の別の世界など必要ない。我々に必要なのは自分をうつす鏡だけだ。」 価値観という大切にしていたものさしで構築された世界。ある時、少しの隙間からその枠組みが壊れ、別のものさしがあらわれる。
人は、そして社会は、新しいものさしと、自らの言葉の力で枠組みを作り直し続けなければ、生き続けられない。
 言葉は、魔法の力を持っている。新聞も言葉で満ち溢れる世界である。人間には、それぞれの知性があり、それぞれに語られる言葉は、それぞれの力をもっている。沖縄の未来の枠組みについて多くの言葉が語られている。そうした記事を目にするたびに「何を得、何を失ったのか」の問いと、「何を得たくて、何を失うつもりなのか」の問いの間、そして沖縄を語る理念と現実には限りない相違があることを痛感している。
 沖縄経済学会シンポジウム「21世紀 沖縄のグランドデザインを問う」(15、16日)、沖縄国際シンポジウム―国際貢献の在り方―」(27日)記事では歴史、国際関係論、情報科学、人類学などの専門領域からの発言がなされた。
 政治家についての報道では、「原点を問う―基地と知事発言の軌跡の連載」(連日)。
そして復帰25周年記念式典関係の記事「ちらつく「取引」の姿勢市民投票一段と重みを増す」の見出し(22日)、同紙面に江上琉球大教授の論評を掲載することで、新聞社側の主張を明確にした。「沖縄のメディアは民衆の立場で報道」と立教大学報告書結果の記事(28日)の掲載も同様の紙面構成である。
 曖昧模糊とした世界を、はっきりした基準のものさしで計ろうとすれば、多少の硬直化はやむを得ないのか。
 立場からやそれぞれの集団の言葉と同様に、一人の存在や言葉は重い。ささやかな日常の中に、以外に未来への隙間を予感することもある。そんな記事を楽しんだ。
 好きな映画「グラン・ブル―」、そのモデルになった世界的なダイバ―、ジャック・マイヨ―ルと与那国島の海底遺蹟の記事(19日)、何百年もの国頭の森に生育する最大級のオキナワウラジロガン(26日)。これからの大切な物がはっきりしてくる。
 マルタ共和国に活動拠点を置く画家・金城美智子氏のまわりから文化交流の輪が広がり(20日)、沖縄の瓦屋根ふき45年の大城幸裕氏(25日)の仕事に支えられた沖縄「伝統の」風景がある。八重山育成円での注連縄つくりの記事(22日)。東風平中学校文化祭で組踊りを上演する記事、愛知県富山村・「日本一小さい村」で就職する沖縄女性(26日)。
真喜志勉氏の「美術館はどうなるのだろう」(29日)。人材育成の必要性を説く言葉をよく目にするが、すべての存在が人材の可能性を秘めていることを再認識した。
         
                                                   

6) 読者の視線導いた「市民投票」―おもしろかった本土五紙社説―
    1997年12月後半  紙面批評 
 1998年1月20日(火曜日)掲載

 12月後半の紙面批評のために、新しい年の中で紙面をめくり続ける。1年の終わりを締め括る多くの特集記事は、一年という時間枠を読者に提示する。
 「97年回顧」、県内、海外・国内、スポ―ツなど各分野の「10大ニュ―ス」として総括されている。どの記事も1年を通して新聞紙面を賑わせた内容であった。
 私自身は、昨年について回顧・回想することをあえて行わない年にした。忘年を拒否する一年にしようと決意している。
 様々な表情で流れたその時間を、批評に必要な紙面記事情報に変換するために、グレン・グ―ルドの奏でるピアノの硬質な音が必要になった。それほどにリアルな一年であった。 
 12月後半紙面の総合面・社会面のトップは、21日に行われた名護市民投票の関係記事が連日続いた。見出しも大きく強調され、厳しい言葉が続く。
 文化面でも「海上基地と市民投票―自己決定の行方」(16日から5回連載)に姜尚中、鎌田慧、山口二郎らの県外論客の文章を配置することで、総合・社会・文化面を最大に利用し、読者の視線を一点(21日)に導いた。
また、投票日までに二回も投票用紙の説明記事を大きく扱い、投票への関心を高めていく。21日のドキュメントを詳細に記事にし、識者・両派のコメントを載せた。
 12月後半の紙面は、重要なテ―マを取り上げる際の新聞の表情が極端に出ていたように思う。一つは、連日の主要紙面独占の表情である。新聞社の関心・立場を表現することを重視した紙面は、いい意味でも悪い意味でも硬直化する。もう一点は、情報を整理し報道する中で、先に述べたような徹底したシナリオ的構成で、紙面に表情を与えたことである。その中でも、普段の紙面では見ることのできない本土5紙の社説転載記事(24日)は、おもしろい紙面であった。
 市民投票の結果から、海こそ豊かさをもたらすものであるとの主張を、翌年の国際海洋年をふまえて論じた社説(25日)も興味深かった。
 一つ疑問も残った。報道量の割りには、客観的な事実として知りたい事が提示されていないことである。それは、市民投票における地区毎、年代別、性別の投票率と投票結果の数字をもとにした結果分析である。こうした情報は作成可能なのか不可能なのかさえも、一般読者は予想できないで戸惑っている。
 文化的には、国立組踊劇場の建設が浦添市に決定され(21日)、歴史文化と観光の融合を検討する琉球歴史回廊調査委員会の記事(21日)が掲載された。この他にも現在すすめられている文化的な事業について、じっくりと新聞ならではの構成力をもって文化面で取り上げてほしい。文学や美術やアカデミズムの情報だけが文化ではないように思う。地方面と文化面、芸能面と文化面の違いを、切り口で個性豊かに展開してほしいと期待している。
 毎週火曜日に一年間掲載された「伊波普猷没後50年企画」も終了。担当記者のじっくり取り組んだ企画は成果も大きかった。 
 98年の大蔵省原案・沖縄関係予算も提示され(26日)、沖縄タイムス社創立50年にあたる新しい企画も提示された(27日)。国際海洋年の今年、海洋地域・沖縄での出来事を、これまで同様に紙面を通して出会いたい。                                                                                 

 

書評『オキナワ女たちは今』

1997年4月4日『沖縄タイムス』書評欄掲載
  書評『オキナワ女たちは今』ゆいまーるセミナー編、ドメス出版

 
<―何十年教師として働いてきた母を想いながらー>
 私は、仕事を持ち生き生きと働く女性達が好きである。娘であり、妻であり、母であり、そして職業人として、社会に向きある女たちー。幼い頃から、周りの女性達のこうした姿を、自然に受け入れてきた。私自身の年齢を重ねるにつれ、彼女達は尊敬すべき存在へと変化している。
 <太平洋の要石>と呼ばれる島々に生きる女達の語りが10編寄せられている。執筆者は、ジャーナリスト(由井晶子「’95から’96年オキナワの女たち)、裁判官(稲葉耶季「やんばる賛歌」)、医者(上里和美「キーストン・アイランドの女たち」、竹下小夜子「女たちの怒り」)、労働経済の専門家(内海恵美子「海と女―沖縄のWID問題」)、大学教師(原喜美「沖縄の希望と輝き」、伊波美智子「働く女たち」、富永美由紀「子どもの問題は大人の問題」)、女性問題活動家(島袋由記「マザーランドの彼方から」、薄妙子「離婚率日本一の内実」)達のメンバー。3年程まえから月2回、朝7時半からセミナーを続け、女性の視点を通して「沖縄の特殊性の中から普遍性」を求め議論してきたグループである。
 平成8年うりずんの季節に『沖縄タイムス』紙面で連載された「女たちの見たオキナワ」に加筆(内海、由井)してまとめあげた。前向きに、しなやかに、そして豊かに、時には論理的に怒りえる、圧倒的にリアルな女たちの物語。
 時折、男性達から「女性史と敢えて強調する必要があるのか。人間の歴史の概念で捉えれば、その必要はない。」と冗談混じりの揶揄を耳にすることがある。
 終戦直後の沖縄は、20歳~50歳の沖縄の成年人口比が、男性2割に対して女性が8割でスタートした社会である。戦後の沖縄を男性と共に<沖縄びと>として確実に歩んできた女性たちは、約50年の時間を刻んできた。そうした社会が、女性史の成立と充実を必要としない場所だとは思えない。そして、女たちの語りが面白くないわけはないのである。