沖縄の金属工芸文化
2003年2月「沖縄タイムス」掲載 南風原文化センタ-企画展「黄金細工と鍛冶屋(くがにせーくとかんじゃーやー)―打つ・曲げる・磨く・匠みの技―」案内
「沖縄の金属工芸文化ー金細工ー」
沖縄文化の伝統工芸分野の沖縄文化を語る時、どれだけの人が金属工芸文化に思いをよせることができるだろうか? 沖縄の伝統工芸の漆工芸、染色文化の紅型や島々に残る織物、焼き物については、沖縄の伝統工芸として内外に認知され、後継者育成をはじめ専門家による研究も成果をあげている。しかし、その中にあって金属工芸及び鍛冶の伝統技術は、紙漉き技術と同様に急速に失われつつある。現在その技術は、わずか数人の職人によって製作活動が行われている。金属文化を研究テーマにする研究者も極端にすくない。
金属に熱を加え打つ、曲げる、磨くその技術で製作された生活用品、装飾品、農具の製作、武器、建築装飾品が沖縄の歴史に登場する時期は、3・14世紀のグスク時代に確認できる。世界遺産に登録された首里城をはじめ大型グスクから、刀、武具装飾品、簪、鏡、香炉など銅製品、釘などの鉄製品と多種の金属製品が出土している。
沖縄では、金銀を扱う金具師(チングシ)は黄金細工(クガニゼーク)とも呼ばれ、錫細工(シルカニゼーク)といい銅・真鍮細工をかねている。金属細工技術および職人は、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器を生み出す技術職と同時期の16世紀後半には首里王府編纂『球陽』(1745)や家譜資料の文献資料に登場する。金銀錫銅をあつかう金属細工職人は、鉄をあつかう鍛冶職とは異なる技術の認識が古琉球期から確立されており、琉球王府の中で技術職として組織化されていた。つまり沖縄文化の金属技術は、古琉球期から近代まで脈々と生きてきた世界である。
この技術文化に陰りが見えるのは、琉球王府の消滅から近代にかけての社会変化だけではなかった。沖縄の金属文化が急激に衰えたのは、第二次世界大戦が契機であった。実は、伝統技術と沖縄の社会との乖離は現代の問題なのである。熱を加えると溶解し、新たな道具に容易に生まれ変わる金属の性質は、戦争と全く無関係ではない。戦時色の濃くなった1941(昭和16)年には、日本全国に金属を献納することを奨励する法律が適応されている。こうした金属献納の運動は、沖縄でも展開された。1944(昭和19)年には、「簪報国」運動の成果として、沖縄だけで短期間に7千数百本の簪が献納されている。この時期に、簪・指輪の装飾品、その他にも金属製の盃などを献納された。また、沖縄戦では多くの金属製の文化財が焼失したり、戦後に海外に流出した文化財も多数存在する。こうした時代的な背景は、沖縄の金属文化を急激に変化させ、金工研究の素材が、他の工芸品と比較して少ない一因にもなっている。
1960年代、沖縄を訪れていた浜田庄司が壺屋散策中に金鎚の音に導かれて金細工またよしの六代目又吉誠睦の工房に立ち寄った。時代に応え宝石入りの指輪加工を中心としていた又吉に「もう一度琉球人に帰ってくれ」との浜田の一言に端を発し、芹沢銈介所有の辻にあった古い指輪もとに棟方志功が図案を起した。それをもとに、沖縄の金細工職人又吉が必死の試行錯誤の結果として、指輪の一つである結び指輪はよみがえったのである。
また現在、結び指輪の系譜をたどろうとしても容易ではない。金細工職人で誠睦の息子・又吉健次郎氏がいろいろな人から聞き取りを行い、「遊郭・辻町の女達が身につけ、時には質屋の質草に利用していた」指輪の表情を確認している。士族層の婚礼指輪であった吉祥の七飾りのついた房指輪は、昭和十一年に琉球芸能東京講演で舞踊家・玉城盛重が起用したのが始まりで、現在でも踊り手にゆらゆらと揺れている。
現在、金属工芸で継承されている技術は、銀を主体とした素材で指輪、房指輪、簪などの装飾品が中心である。錫製酒器や島々に残る銅製品を生み出した細工技術は途絶えてしまった。金細工職人が作る簪や指輪などの装飾品の多くは、琉球舞踊の踊り手たちや個人の需要に支えられて製作されている。古い技術は、社会の需要がなければその役割を変化させていく。それらは途絶えること無く現在にいたった技術ではなく、ある人物と職人との出会いのドラマから復活したり、職人の志と熱い情熱から継続させた結果がその技術の系譜を繋いでいる。鉄を中心に製造をする鍛冶屋の技術も同様である。
私達は、沖縄の歴史が育んだ金属文化の豊かさを十分に知ってはいない。沖縄文化の重要性をうたう声の多い昨今、ささやかに繋がれた技術の<知>の奥深さに向き合う姿勢が問われている。
南風原文化センタ-企画展「黄金細工と鍛冶屋(くがにせーくとかんじゃーやー)―打つ・曲げる・磨く・匠みの技―」
2003年2月25日(月)から3月10日(日)
*実演…3月3日(日)・10日(日)午後3時から5時まで
* 講演会…3月9日(土)午後3時から5時まで
「沖縄の金属文化」粟国恭子
「私にとっての金細工」又吉健次郎(金細工またよし)
*展示内容:簪、指輪、房指輪、製作道具類、新聞、文献、写真、復元資料など
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