「唐獅子」:「終わりの無い作業」(南方熊楠と末吉安恭)
「空飛ぶ線の動揺」シリーズ11 「終わりの無い作業」
人は、多々ある情報をどのように頭の中で整理しているのだろうか。
未熟な判断から別々の整理箱の中に仕舞い込み関連性の薄いと思っていた情報が、時として重いもかけない展開で結びつくことがある。その偶然性が強いほど、刺激的に豊かなイメージが広がる経験は、一つの〈事件〉である。
先日、一九四五年以前の県外発行雑誌の沖縄関連記事を集めた「沖縄学の萌芽展」が県立図書館で開催された。記事目録を見て気が付いた。
南方熊楠が四編ほど沖縄関係の短い文章を書いている。人類学・民俗学から粘菌観察など幅広い博物学的な知識とその強烈な個性を持つ南方熊楠は、最近見直され、注目されている人物である。
一つは、「出産と蟹」。その中で、沖縄のジャーナリストとして活躍した末吉麦門冬(末吉安恭)の〈博覧強記〉を驚き、その考証を「凌駕(りょうが)するもの多し」と評価している。
そのほか『球陽』を読みその内容を事例として紹介した「琉球の鬼餅」、石垣島や与那国の事例に触発されて書かれた「椰子蟹に関する俗信」や方言学、沖縄学研究者・金城朝永の「琉球の猥談」を読み書かれた「一目の虫」、「煉粉を塗る話」などがある。
南方熊楠が小さいながら、〈琉球への視点〉を持っていた事を知り、そのきっかけを与えた末吉麦門冬や金城朝永を新しい側面から捉えられると思うと〈うれしい〉気分である。
ある事柄への情報を持つ事は、一つ一つのパーツを組み立てて完成されるものでもない。
偶然のわくわくする〈事件〉と出会いながら自由に、そしてしなやかな変化を続けていく種類のものである。その整理箱の中を引っかき回したり、時に中身をそこら中に散乱させたままでいたり、懲りもぜす腕組みをして箱の中に並び帰る作業に似ている。それは終わりの無い、けれどスリリングな作業である。
1990年11月22日(木)「沖縄タイムス」掲載
« 「唐獅子」・「<香り>雑感」 | トップページ | 「唐獅子」:「形ある時間」 »
「末吉安恭」カテゴリの記事
- 研究発表「沖縄民俗研究の視角を拓く-末吉安恭・南方熊楠熊楠の民俗研究・そして金城朝永へー」(2015.06.29)
- 2015年6月6日 現代俳句協会沖縄支部沖縄忌 記念講演 (2015.06.10)
- 論文「鎌倉芳太郎と写真ー琉球芸術写真の文化史ー」(2015.04.20)
- 脱清人・毛有慶(亀川盛棟)と末吉安恭・伊波普猷など(2014.12.08)
- 末吉安恭と南方熊楠、そして金城朝永(2014.12.05)
「文化人類学・民俗学」カテゴリの記事
- 特集<「平良孝七展」を再考・再審する> 雑誌『越境広場』13号(2024年4月28日発行)(2024.05.02)
- 雑誌『越境広場』12号(2023年8月10日発行に寄稿(2023.08.17)
- 「ピ―ボディ・エセックス博物館(米国)所蔵の沖縄民具―収蔵背景についてー」『しまたてぃ』104号(2023.04.20)
- ニコライ・ネフスキー宮古島来島100年記念文集(2023.01.10)
- 『沖縄県史 民俗編』2020年3月刊行(2020.04.28)
「1990年」カテゴリの記事
- 「唐獅子」・「もういくつ寝ると」(2007.04.20)
- 「唐獅子」:「形ある時間」(2007.04.20)
- 「唐獅子」:「終わりの無い作業」(南方熊楠と末吉安恭)(2007.04.20)
- 「唐獅子」・「<香り>雑感」(2007.04.20)
- 「唐獅子」:「月の真昼間」(2007.04.20)
「金城朝永ほか沖縄人物」カテゴリの記事
- 「敗戦と<愛の教具>」『しまたてぃ』103号(2023.02.01)
- 連載「復帰の源流を探る」2回目『しまたてぃ』100号(2022.04.16)
- 2015年うらおそい歴史ガイド養成講座「近世琉球の文化と浦添」(2015.08.05)
- 研究発表「金城朝永と若者たち」・第4回戦後沖縄研究コロキウム(2015.05.01)
- 2015年3月15日 第3回戦後沖縄研究コロキウム(2015.04.02)
コメント