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2007年4月20日 (金)

「唐獅子」:「蝶・空飛ぶ線の動揺」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ8 「蝶・空飛ぶ線の動揺」

 「生命というものは、動いてやまない境界線からなっている。線の舞踏、それが生命の自己表現なのだ。ー中略ー空飛ぶ蝶、それは黄色い線の動揺なのかもしれない。」(岩田慶治『カミと神 アニミズム宇宙の旅』)
 蝶を空飛ぶ線の動揺とした表現を目にした時、妙な安心感を覚えた。うららかな日に、色鮮やかな自然の中で自由に飛び回る蝶の姿をぼんやり眺めていると、それらが描きだす線の動揺が、浮遊感を伴い囚われたような感覚が生じてくる。
 蝶ー日本でも古来から人間の魂の象徴として文学、絵画はもちろん民俗事例においても多く描かれている。雅楽の〈胡蝶楽〉の舞や中国の故事「荘子ー 物論」の中の〈胡蝶の夢〉、泉鏡花の『春昼・春昼後刻』等でも、蝶を人間の魂にたとえ、その神秘性と幻想の世界が描かれていた。
 奄美地方では、蝶のことを〈ハブリ〉と呼んでいる。
 家の中に蝶がまぎれこむと「誰かの魂があの世に行くことが出来ずにさ迷っている」として嫌がる。また子供の頃「蝶は人の魂なのでむやみに殺さないよう」と言われたという話も聞く事が出来る。このように蝶は死者の魂を象徴している事例が多い。しかし「祖父が亡くなって四十九日もならないうちに畑で仕事していると、一匹の蝶が自分の回りを飛んでいるのを見て、ああ(祖父は)まだあの世には行ってないんだと感じた」と愛情と悲しみの中に淡々と静かに語られる存在である。
 また生者を守護してくれる存在であるともとらえられ、魔を払う力として、赤ちゃんの着物の背に蝶型の守りを縫い着けたりする。
 そして村落祭祀の司祭者の手にする扇にも鮮やかな蝶の絵柄が描かれ、簪や首からかける〈玉ハブル〉と呼ばれる飾りも蝶をかたどった布がひらひらと取り付けられている。
私は、南島の人々の感覚ー蝶を通して語る生命表現の〈軽やかさ〉をとても気に入っている。
  沖縄の民俗の事例のなかにも鮮やかに、そして「ゆらり」とした様子で、翼を持つ存在が登場してくる。
                     1990年10月11日(木)「沖縄タイムス」掲載

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