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2007年4月20日 (金)

「唐獅子」:「石を拾うという事」

「空飛ぶ線の動揺」シリーズ4  「石を拾うという事」

 机の上に1個の石がある。先日知人にプレゼントされた物で、手のひらで包み込める程の大きさ、あまりにも有名なナスカの巨大な地上絵の猿と鳥の図柄が描かれている。
 人は不思議なもので、意識をそらすことの出来ない対象をいくつか数えることが出来る。多くの人、空間、時間、物質の中で意識を捕えるもの…それらを思う時間はゆるりと流れている感じがする。私にとって石もその中の一つである。確かに小さな石が机の引き出しの中から一つまた一つと出てくる。その中には何時何処で拾ったのか記憶を辿ることが困難なものもある。けれどもその石を拾い手にした瞬間の感情は確かに、玩具を手にした子供のように石へと向かっている。玩具についてボードレールは「大部分の子供というものは、玩具の生命を見たがる。玩具の寿命を長引かせるか否かは、この欲望が早く襲うか遅く襲うかに係わっている。私にはこうした子供の奇癖を咎める勇気はない。何しろこれは子供の最初の形而上学的傾向なのだから」という。
 大人にとって石が玩具だとすれば、人は石に生命を見ていることになる。ところで沖縄だけでなく全国各地に石に神霊がこもるという信仰は多い。石が神の依代として神聖視されたり、石をスタティックな物質と捉えずに石そのものが成長したり、増殖したり動きを伴うものとして信仰されたり、昔話として伝承されたりする。沖縄の民俗信仰の中で石に関係し、広く知られているものに子供が病気になった時や人が驚いた際に〈マブイ・魂〉を落としたとして、石を拾い〈マブイ〉を戻す儀礼がある。この儀礼には多くの石の中から特定の石を選び取る行為が伴っている。拾われた石はマブイの込められた後捨てられてしまう。
 玩具としての石に生命を見るために破壊・放棄する時まで所有するのが子供ならば、生命があると感じていられる間持ち続ける事が出来るのが大人なのか、難しい問題である。

                        1990年8月16日(木)「沖縄タイムス」掲載

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