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2007年4月21日 (土)

石川賢治『月光浴』

『月光浴』石川賢治・小学館ー『琉球新報』「晴読雨読」1996年掲載ー

 
遠ざかる台風の風がまだ地上で楽しんでいる天候の悪い日に、飛行機を利用した。重たい色の厚い雲を突き抜けてかなりの上空まできた時、読書していた視線をなにげなく窓の外に移した。そこには空中にただ一つの満月が明るく輝いている光景以外みることが出来なかった。そのシュ―ルな光景を見ながら天気とは何なのかを考え、照れた笑いがこぼれた。
 月と太陽とを比べたら、月を眺めることを嗜好する方に入るようだ。暗やみに切れ目のように現れた猫の爪に似た細すぎる月も、肥大した円形がその光りの重さで今にも崩れてしまいそうな十六夜の月も好きである。月を追いかけてドライブをする夜も多い。ちなみに今年の私の手帳は、新暦はもちろん旧暦と毎日の月の位相(絵)が入ったもの。これまでになく楽しい一年の時間を手にしているような気分である。
   何かに魅せられ続けること、そして何かを視続けることは、善し悪しや価値・益の有無を超えた部分で支えられている。写真家・石川賢治は、魅せられた月とおだやかに対話をする。出版されたばかりの写真集『月光浴』を手にした時のやわらかな気持ちは、6年程時間が流れた今も変わることはない。太陽の光のわずか45万6千分の一の月の光りだけで撮影された写真の世界は、ささやかな批評の言葉さえも騒音にしてしまうのではないかと思う程、静かで美しかった。薄闇の中硬質な月の光に映し出された風景や花は、その色を保っており、眠りにつかない自然の姿である。その後、この写真家の世界が、雑誌やテレビで紹介され、写真集と同じように撮られた石川氏のCM作品も流れていたが、深々とした夜に月の光りと向き合った自然の姿の前では、人工の音楽も言葉も活字も、少しうるさい印象であった。
 「昔の学生は、満月の夜にも本を読んだ」のだとお年寄りが時折話してくれる。こうした経験談は、強ち誇張されたものではないことを、以前豊年祭りで八重山・小浜島を訪れた時に実感した。連日続いた祭りのフィナ―レは、満月の夜一晩中を通して行われた。夜が更けるにつれ祭りは勢いづく。そのエネルギ―を増し疲れを知らない島人と違って、怠け者の私は休憩が必要になった。偶然知合った島在住の絵本作家・秋野さんの家でしばらく休ませていただいた。”海”と”空”の名を持つ幼い二人の兄妹が、月の光の中で日課の行水をしてはしゃぐ姿をぼんやり眺めながら、恋の成就を願う女性が月の光の中で神に祈る光景を歌った八重山民謡・〈ツキィのマピロウマ(月の真昼間)〉の世界を思った。真夜中の2時頃、40分程歩いて、祭りの行われている部落へと戻った。周囲に人家も無く、満月の光だけを頼りに砂糖黍と牧場の広がる島の道を歩く。虫の声と蝙蝠の羽音がBGM。足音が眠りを脅かしたのだろう牛が目を醒ましこちらを見ている。祭りの行われている部落からの太鼓・歌声が風に乗って聞こえてくる。月の光は煌々として美しく自然の色彩も浮かび上がらせる。歩きながら秋野さんからいただいた御夫婦の絵本『はまうり』を広げて見た。鮮やかで深い色調の珊瑚礁の海が広がっている。宮古島の浜下りを題材にした話と絵を、十分過ぎる月の光だけで一気に読み終えてしまったのである。
  私達の周囲には枚挙に遑がない程、様々な人工の光が氾濫している。このような状態中で生活する私達にとって、月の光は天上から零れ落ちる僅かなものでしかない。どの位の人が、生活空間や自然界に融けこむ月の光りについて、色やその強さを語れるだろうか。
 〈ツキィのマピロウマ(月の真昼間)〉の夜が小浜島にはあった。光に溢れた都市の満月夜は、明るい様で暗いのかも知れないと思いつつ、それでも楽しく月を追いかけている。

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