「唐獅子」・「もういくつ寝ると」
「空飛ぶ線の動揺」シリーズ13 「もういくつ寝ると」
数年ぶりに郷里で正月を過ごすことを楽しみにしている。昨年の大晦日は、鹿児島県姶良郡のある神社で過ごしたが、沖縄出身の私には、とても新鮮だった。
夜十二時近くなると地元の人達が続々と集まって来る。多くの人々は郷里を離れ、各々仕事を持ち、各地で生活を営んでいる。正月を郷里で過ごすために帰省している人にとって大晦日の夜は、地元の知人に忽ちのうちに会える機会だ。神社のあちらこちらで再会の挨拶が交わされる光景が見られる。年配の方や家族連れが多いが、結構高校を卒業したばかりの若者の姿も目に入ってくる。〈生まれ育った土地の懐かしい人・会いたい人に会える場所〉、大晦日の神社はそういう場所なのだと感慨を新たにした。
新年の振る舞い汁(薩摩汁)で体を温め、木の臼と杵の昔ながらの餅つきで出来上がったばかりの白い餅を頬張りながら、しみじみと集まった人々の幸多かれと心から祈らずにはおれない気持ちになるのは不思議だった。
境内で地元の青年達の奉納する太鼓の音が、薄闇の空気に融け、絶え間なく体に入ってくる。0℃近い気温の中で太鼓からの様々なリズムと強弱の音々ー悴む手足を火に当てながら聞くその音は、我々の体内にどのような効果を生み出すのか。それは時間の音、近付いてくる時間の音だ。一年の終わりと一年の始まりを境界の場所に立ち、去りゆく時間と訪れる時間の両方をあの太鼓の音に感じている。
音…。人は聴覚を捨て切れはしない。その存在は、見えない振動を以て感情に結びつく。懐かしさや憂いや様々な思いの込められた時間を自分の体内から禊ぎする様に遊離させ、そこまで来ている透明な時間の獲得を、微かな期待や予感・希望を持って願っている多くの人々がいる。除夜の鐘の音もそうだが、最近年末に多いメサイヤコンサートで聞く「第九」も、多くの人達が見る「紅白」で流れる歌もそういった種類の音なのかもしれない。
1990年12月22日(木)「沖縄タイムス」掲載
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