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2007年4月21日 (土)

異人たちの夏

平成8年度(1996)9月22日『沖縄タイムス』「随想ーエッセイストー」掲載

         異人たちの夏

 異人になるために夏を過ごしてきた。
 城壁を隔てた向こう側には、アラブのざわめきがあるという。青過ぎる空の下、ジュラバをまとった老人が通り過ぎる”赤い街”マラケッシュから便りが届く。ある年には、「明日から数日蘭嶼へ渡る予定だ」と台湾・台東の宿や、ドイツや中国からの便りだったりする。
 リゾ-ト観光地を訪れる旅は、どちらかというと用意された非日常の場所を、短い滞在期間だけ自らの場所として独占する楽しみに他ならない。それは、新しき空間との限りない融合が最大限に許される時間へ移動できる幸福だと思う。
  学生の頃、文化人類学に触れた私や友人達は、静かな思考を楽しむより、ただ肉体を使って歩き出すことを覚えた。空間を手に入れる旅ではなく、訪れた場所との微妙な緊張感を覚えるためにただ歩く。
 それは、内なる場所から離れた時、〈文化の違い〉と呼ばれるものへの不快な違和感を消し去る事や、自らが変化し溶け込む事が、その社会を理解する為の最良の方法だという幻想を消し去る作業に近い。「異なるままに向き合う」中から立ち上がる圧倒的なリアルさを感じること…。ただの偉人として佇む日常の場所へ近づくために歩き続きけている。
  あいまいな異人にしかなれないから、また歩く。
 どこで立ち尽くしているのか予想もつかない友人からの便りを受け取るたびにそう感じ
ている。
 私は、お盆の風景を小さな島々で眺めることが多かった。帰省客であふれた船の中、準備の買物客で賑わう市場に身を置いた。暑さの中、迎える祖先もいない墓地でしばらく過ごす。初めてのお宅で仏壇に手を合わせたりする。
 こうしていても、私の〈盆〉は行われることはない。
 「どちらからですか?」と声をかけられる奇妙な存在である。「沖縄からです」と答える事を幾度となく繰り返した。「ご縁があったら又遇いましょう」と穏やかに笑い、ゆら
ゆらと去っていく年寄り達の後姿。こうした何でもない出来事に、自身と祖先のことを、
故郷のことを強烈に思った。
 この夏は、数年ぶりに故郷でお盆を過ごした。春先に他界へ旅立った家族を迎えるために…。異人にならない場所の風景は、のんびりと穏やかに心に染み入った。

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