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2007年

2007年10月28日 (日)

『すぐわかる沖縄の美術』刊行

Photo 2007年11月10日に東京美術から『すぐわかる沖縄の美術』が刊行されます。
 本書の特徴は、沖縄工芸の分野、琉球王国時代の絵画、近代以降の絵画・デザイン、建築、民俗文化の<美術>を最新の研究成果をふまえ、沖縄の若手研究者が執筆を担当している点と、沖縄県立博物館・美術館、沖縄県立芸術大学、那覇市歴史博物館、壺屋博物館や県外の各機関の所蔵品が、豊富にフルカラー図版で紹介・掲載されています。
 監修は、宮城篤正(沖縄県立芸術大学学長)、後の執筆者は小林純子(芸大芸術学准教授)、宮里正子(那覇歴史博物館学芸員)、倉成太郎(壷屋博物館学芸員)、平川信幸(沖縄県立博物館学芸員)、翁長直樹(沖縄県美術館学芸員)そして私は、「グスク、首里城、庭園、民家、金工、民藝運動と沖縄の民具」の執筆を担当しました。GWに識名園や中村家、勝連グスク、中城など写真を撮りにいったりしてました。
 本の構成は、第1章漆芸、第2章染物、第3章織物、第4章焼き物、第5章絵画、デザイン、第6章建築・彫刻・民具です。
 編集者の日本アート・センターの島田さん(女性)が大変優れた編集者で、やってよかったなー思う仕事でした。
 『すぐわかる沖縄の美術』は県内書店、県立美術館ミュージアムショップで購入可能の予定です。県外では書店のほか、東京国立博物館、九州国立博物館などの県外の博物館・美術館のミュージアムショップでも購入できるようです。Photo_2   

本の帯には2007年11月1日にオープンする沖縄県立博物館・美術の館見学の前後におすすめの本とありました。

2007年10月14日 (日)

2007年度絵画コレクション作品展

2007 2007年度の沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館自主企画展示会開催にむけて
 
 学芸員(1人)で勤務する芸術資料館は、秋の自主企画展に向けての作業が進んでいる。
 今年の企画展は、絵画コレクションの展示会です。タイトル「表現に向き合う時(とき)-イメージの位置ー」と題して、開催。
 11月には沖縄県の美術館もオープンして、話題はそちらのほうに集中するのではの不安がありますが…。
 沖縄県立芸術大学が所蔵する絵画コレクションがまとまって展示されるいい機会です。収蔵品の整理研究もかねての自主企画展は、一人で作業もしなくてはいけません。例によってチラシもデザインした。なれない現代絵画の世界をひたすら勉強中!。
 常設展示室では、アメリカのフランク・ステラ、クリスト、サム・フランシス、日本では工藤甲人、磯見輝夫、長谷川潔、「もの派」の榎倉康二、沖縄関連では内間安せい、与儀達治、山城見信などの40点以上が、展示。 企画展示会では日仏会館公演会ポスターが40点以上(草間弥生、磯崎新、田中一光、など有名作家が1980年代に製作したシルクスクリーンの作品)が展示されます。日本には二ヶ所のみこのポスター(全299点)は所蔵されているのです。日仏会館にもそろっていないないのでは…?すてきな作品たちです。
 現代絵画の作品をこれだけ所蔵するのは、芸術大学ならで…です。
 こうした作品が入場無料で観られるのは、ある意味贅沢な展示会です。作家の表現、イメージに向き合う時間をお楽しんでいただきたいと、そして私も楽しみたい。11月2日(金)~11月3日(土)は、芸大祭、首里文化祭の期間でもあり、秋のひと時を首里で過ごしてみてはいかがだろう。
 以下、展示会の具体的情報です。

*会 期:2007年11月2日(金)~11月11日(日)
      午前10時~午後5時まで
      11月3日(土)は午後8時まで
*ギャラーリートーク:11月3日(土)午後2時から
 田中睦治(館長:絵画専攻教授)小林純子(芸術学専攻准教授)
*料 金:無 料
*会 場:沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館2階常設展示室・企画展示室
*主 催:沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館
*駐車場の都合により、来館はモノレールかバス・タクシーをご利用ください。

2007年9月 6日 (木)

「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き」展によせて

2007年8月28日(火)『沖縄タイムス』に掲載

「沖縄の金細工~うしわれようとするわざ・その輝き~」展に寄せて

琉球では、金銀を扱う金細工(クガニゼーク)、錫・銅を扱う錫細工(シルカニゼーク)の金工職人がいた。彼らは、鉄を扱う鍛冶や琉球漆器職人と同時期の16世紀後半には存在していたことが、『球陽』や家譜資料の文献資料で確認できる。1592年に、金具師、玉貫工、錫工などの細工部門を統括する「金奉行」が王府内に設置された。その後、琉球の金工技術は、幾度となく中国や薩摩から導入され、外国から輸入した材料で金属製品が製作されていた。
 
王府で使用する調度品や漆製品の飾り金具や錫や銀製酒器、国王や神女たちの簪、その他にも社会階層によって素材の異なる簪、上流の女性の指先に揺れる銀製の房指輪、首里城やお寺などの建物を装飾する飾り金具など、さまざまな金工品が製作されている。
 
琉球の金属技術は、古琉球期から近代まで、脈々と生きてきた世界である。近代以降、そのほとんどの技術は途切れている。1879年、琉球国は沖縄県となり、日本の一地域の歴史を刻みはじめる。時代の流れて、消えてゆく工芸技術も少なくはない。その最も代表的なものが金属関係の技術であり、紙漉きの技術であった。技術を支える需要と生産の柱であった王府使用の品々が注文されなくなる。近代以降、王朝文化を支えた技術の中で断絶を生み、今日に繋がれていない芸術が金工と絵画分野に顕著である。王府組織でその役割が、明確であった芸術文化ほどその断絶は深い。
 金工文化に陰りが見えるのは、琉球王府の消滅がもたらす社会変化だけではなかった。沖縄の金属文化が急激に衰えたのは、第二次世界大戦が契機であったことも忘れてはならない。実は、伝統技術と沖縄社会との乖離は、現代の問題なのである。熱を加えると溶解し、新たな道具に容易に生まれ変わる金属の性質は、戦争や時代の開発思考と全く無関係ではない。例えば、戦時色の濃くなった1941(昭和16)年には、日本全国に金属を献納することを奨励する法律が適応されている。こうした金属献納の運動は、沖縄でも展開された。1944(昭和19)年には、「簪報国」運動の成果として、沖縄だけで短期間に7千数百本の簪が献納されている。この時期に、簪・指輪の装飾品、その他にも金属製の盃や梵鐘などを献納された。軍事に必要なものを産み出す目的で消えていった金工品がいかに多かったか。そして戦後の生活用品を得るためにどれほどの金属製品がリサイクルされていったのか。またこの問題は、東アジアの開発に伴う金属需要が急速にのび、日本の各地で金属製品の盗難事件が社会問題となっている現在の状況と繋がっている。このことに思いをめぐらせれば、金工文化の喪失は、いつの時代にも容易に、そして瞬時に起こりうる問題といえよう。
 
現在、金属工芸で継承されている技術は、銀を主体とした素材で指輪、房指輪、簪などの装飾品が中心である。錫製酒器や島々に残る銅製品を生み出した細工技術は途絶えてしまった。数人の金細工職人が作る簪や指輪などの装飾品の多くは、琉球舞踊の踊り手たちや個人の需要に支えられて製作されている。
 
古い技術は、社会の需要がなければその役割を変化させていく。代々続いた金細工屋の志と葛藤に近い熱い情熱から、そのわざの系譜をささやかに繋いでいる人々。また、多くの時間と労力と、何よりも失われてゆくものに深い思いを注ぎ込み、粘り強く金工品を収集してきた人々がいる。そして戦前に撮られた写真でのみ、その輝きやわざが確認できる現存しない世界がある。沖縄の金工の世界を通して、失われたもの、繋がれたもの、失われようとするものと向き合い、過去・現在と何よりも未来の時間を見つめていただきたい。

2007年8月27日 (月)

展示会「沖縄の金細工~うしなわれようとするわざ・その輝き~」

Photo_3   沖縄の金属文化の中で職人の世界、わざに視点をあてて展示会を企画しました。浦添市美術館で8月31(金曜日)から9月9日(日)の期間で開催される「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」の準備作業中。開催まであと4日。
 今回は実行委員会主催で開催します。多くの方々が参加しての展示になります。私は歴史や解説部分(チラシ・原稿・パネル作成)で役割を担います。Photo_4
 金・銀・銅を扱う金細工(クガニゼーク)の世界を中心に展示を構成します。「失われてしまった琉球王府時代の金細工や錫細工の世界」では、戦前に鎌倉芳太郎氏が琉球芸術調査の際に撮影した金工品の写真も多く展示されます。わざの解説もあります。とにかくこんな金工品が琉球・沖縄でも制作されていたのかと感動します。他地域の金工技術と比較したら細かいとは言えないわざですが…。
 メインは現在数少ない職人(首里の又吉工房だけでなく現在活動している金細工工房・すべて又吉さんという苗字…)のわざの世界を紹介。
  また、当初予定はなかった沖縄コレクター友の会の方々の情熱的な協力で、コレクター友の会コーナーもつくりました。たくさんの時間と労力とエネルギーで個人的に収集された品々です。戦争でなくなった金工品も多いのも現実です。
 沖縄の工芸でマイナーな分野の展示会ですが…どうぞご覧ください。9月2日(土)には講演会も開催されます。
*「沖縄の金細工~失われようとするわざ・その輝き~」
*期間:2007年8月31日(金)~9月9日(日)
     午前10時~午後5時まで(金曜日は午後7時まで)
*会場:浦添市美術館
*入場料:一般及び高校生以上学生100円
       中学生以下無料
*講演会:2007年9月1日(土)午後2時~5時まで
       「沖縄の金細工」
       宮城篤正(沖縄県立芸術大学学長)「沖縄工芸技術の保存」
       又吉健次郎(金細工師)「金細工のわざに生きる」
       粟国恭子(芸大附属芸術資料館学芸員)「沖縄の金属文化」
*主催:沖縄の金細工展実行委員会
*問合せ:浦添市美術館 ℡:098-879-3219

2007年6月10日 (日)

『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書』

Photo_10 『伊是名村銘苅家の旧蔵品および史料の解説書ー公事清明祭をめぐる公文書とご拝領の品々ー』
 発行日:2007年1月  139P
 発 行:伊是名村教育委員会
      沖縄県伊是名村字仲田1385-1
     電話0980-45-2318
 編集:株式会社 国建
 目次:1、本書の背景ー尚円王を追憶する王国の論理ー
     2、銘苅家美術工芸品の解説
      *漆器(上江洲敏夫)*金工(粟国恭子)
      *陶器(津波古聰) *染織(与那嶺一子)
   3、公事清明祭に関する銘苅家文書の解説(高良倉吉)
   4、その他の銘苅家文書の解説(村史掲載資料)  (高良倉吉)
   5、伊是名玉御殿調査概報 (高良倉吉、安里進、田名真之) 
   コラム
  
 琉球国第二尚氏の尚円王の出身島、伊是名島は、首里城から遠きにありながらその存在は琉球王府にとっては重要な島であった。文献資料、王家ゆかりの墓、そして祭祀用具の品々が残っている。それらを写真や図などを多用しビジュアル化した上で、村史発行以後の最新の研究成果を元に作成された解説書。編集を担当している国建の西村氏(文化人類学)、大城涼子氏(歴史学)の力量も存分に発揮されている。
 金工品の解説を担当した。文書に見られる重要な金工品は多くは残っていないが(簪や耳盃など)、王府祭祀における金工品、香炉、茶道具などの解説を執筆。
 伊是名村教育委員会では、有料(2000円?)で販売している。問い合わせは村、教育委員会まで。
    

2007年5月21日 (月)

近代沖縄の芸術研究①ー末吉安恭と鎌倉芳太郎ー

Photo_16 2006年度の沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号に「近代沖縄の芸術研究①ー末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎ー」の文章を書きました。
 末吉安恭に触れた文章は、10年ぶりぐらいです。2006年度沖縄芸術大学附属研究所公開講座「鎌倉芳太郎をめぐる人々、場所」シリーズの粟国担当の「鎌倉芳太郎と末吉安恭」(11月17日)の内容をまとめたものです。全文掲載は長文のため掲載せずに、以下構成のみお知らせします。
 はじめに、
1、末吉安恭(麦門冬)の人となり
  1)博覧強記な個性
  2)友人達の安恭像
2、末吉安恭の文化観ー近代沖縄文化研究の一翼ー
3、鎌倉と安恭ー二人の交流時期ー
<末吉安恭(麦門冬)関係参考文献・資料1982年以降>

2007年5月17日 (木)

うりずんの季節ー水底の白い花

 ー2007年5月16日(木) 梅雨入りの日に想うー
 暖かい南国にも、季節を表現する美しい言葉があります。海を渡り、島をなでる風が北の方から吹くのか、南の方から吹いてくるのかで、南島の季節は変わり島々の表情は異なります。
 沖縄では、旧暦の3月頃の南風が吹き始める季節を「うりずん」と呼んでいます。秋冬の乾季が過ぎ、梅雨の時期と強烈な南国の日差しで満ち溢れる白い夏との間に訪れる短い時間です。その頃、静かに降り続ける雨によって黒土が潤うことを、島の言葉で「ウリー」と表現します。このことから「うりずん」は<降り始め説>と、潤いをたっぷり含んだ自然の豊かさへの<熟れはじめ説>とがあるようです。いずれにしても、豊穣の時の到来に、大地が蘇り、島々の潤いや実りを約束する意味の含まれた言葉です。
 その頃に沖縄の山々では、華麗は表情をもったイジュ(伊集:姫椿)の花が、水分をたっぷりと含んだ山肌を白く染め上げます。
 あたかも深き緑色の水底に咲きわたる風情の清純なこの花は、沖縄の言葉で綴られる琉歌にも次のように詠まれています。
 「伊集の木の花や あんきょらさ 咲きゆりわぬも 伊集のごと 真白咲かな」
 (意味)
 「伊集の木の花は、あんなに綺麗に咲いて、とても美しい。私もあの伊集の花のように真白に咲いてみたい。」
 うりずんの頃には、コンクリートの建物が並ぶ街を離れて、沖縄本島を北へ北へと車を走らせます。その頃の沖縄の海も、群青色に淡白いベールを被せたようなぼんやりとした表情です。こうしたおだやかな季節の沖縄もいいものです。 

2007年5月 9日 (水)

「琉球の芸術文化のあり様―古琉球から近世琉球の王朝文化と変容―」

Photo_15 『民族藝術vol.23』民族藝術学会編(2007年3月発行)の特集 沖縄の民族藝術紹介
<目 次>
粟国恭子「カラーグラヴィア:首里城の工芸文化―国宝琉球国王尚家関係資料―」
粟国恭子「琉球の芸術文化のあり様―古琉球から近世琉球の王朝文化と変容―」
伊從 勉「新発見の<首里城古絵図>の測量法について」
板谷 徹「唐躍について」
久貝典子(*)「紅型を通してみた鎌倉芳太郎の琉球工芸観」
児玉絵里子(*)「第2次世界大戦後の琉球紅型像―<紅型復興期>知念績弘・城間栄喜とその弟子達が目指した美の表現と試みー」
乾 淑子(*)「照屋勇賢の世界」
小林純子(*)「表象の沖縄―戦前期における紅型イメージの変遷」
岡本亜紀(*)「戦後アメリカ人向けに作られた琉球漆器についてー<㈱紅房>の漆器を中心に」
倉成多郎(*)「近代壺屋焼の歩み」
大城ミナ(*)「歌舞団と沖縄イメージ」

 今回の<特集:沖縄の民族藝術紹介>の論考の多く(*)は、2006年5月27日(土)28日(日)に沖縄県立芸術大学で開催された第22回民族藝術学会で発表された内容を中心としたものである。学会会員ではない粟国の担当したグラヴィアと「琉球の芸術文化のあり様」は、掲載される論考のほとんどが近代から現代における沖縄芸術文化に触れる論考であったため、その理解を深める役割として琉球王朝時代の芸術文化の紹介する内容の文章をーと、板谷芸大教授からの依頼を受けての執筆掲載になっている。

<『民族藝術』のお問合せ>
発行所 民族藝術学会
〒560-8532 大阪府豊中市待兼山町1-5
 大阪大学大学院文学研究科芸術学・芸術史講座内
 TEL:06-6850-5120 FAX:06-6850-5121
発行者:木村重信   編集:醍醐書房 

「沈金と堆錦技法の琉球漆器」

『沖縄県立芸術大学紀要N0.15』(沖縄県立芸術大学発行.2007年3月31日発行)紹介
  Img0071 沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館の芸術資料館担当として2006年1月から勤務している。
  2006年度沖縄県立芸術大学発行紀要に<附属図書・芸術資料館所蔵品紹介>(カラーグラヴィア)として、琉球漆器の作品を紹介した。「沈金と堆錦技法の琉球漆器―朱漆鳳凰牡丹文沈金東道盆と黒漆山水文堆錦総張文庫」のタイトルで小文を掲載している。73_1   紹介作品は、ともに1980年代に制作された琉球漆器で、所蔵品の朱漆鳳凰牡丹文沈金東道盆と朱漆飛魚文沈金文庫(金城唯喜氏制作)と黒漆山水文堆錦総張文庫(嘉手納並裕氏制作)の三点を取り上げ紹介。
 『沖縄県立芸術大学紀要N0.15』ISSSN0918-8924

2007年4月22日 (日)

末吉安恭(麦門冬)関係参考文献

<   <末吉安恭(麦門冬)関係参考文献―1982年以降―> 作成:粟国恭子

1)鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』(二分冊)1982、岩波書店
2)仲程昌徳「末吉麦門冬」『沖縄大百科事典』中巻、1983、沖縄タイムス社
3)新城栄徳『琉文手帖 文人・末吉麦門冬―没60年―』1984、琉文庵
  
*伊波眞一の「解説 末吉麦門冬と新聞」と詳細目録
4)粟国恭子「末吉麦門冬と民俗学」(沖縄民俗学会9月例会発表)1991年9月
5)粟国恭子「末吉安恭(麦門冬)の民俗的視点」『地域と文化第68号』1991年12月ひるぎ  社、1984年以降に見つかった大正年間の新聞から伊波眞一の目録に追加文献を紹介。
6)粟国恭子「末吉安恭(麦門冬)と伊波普猷」『地域と文化第72号1992年8月』ひるぎ社

7)粟国恭子「国粋主義の周辺と沖縄-真境名安興の活動を中心に」『浦添市立図書館紀要№5』1993年、浦添市教育委員会
8)粟国恭子「人物列伝・沖縄言論百年-末吉麦門冬1~36」『沖縄タイムス』1994年8月11日~9月30日
9)粟国恭子「南方熊楠と末吉安恭(麦門冬)の交流-『球陽』をめぐって」『地域と文化第91・92合併号』1995年2月
10)粟国恭子「岡崎との交流-志賀重昂の沖縄関係目録』『浦添市立図書館紀要№6』1995年、浦添市教育委員会
11)粟国恭子「南方熊楠所蔵「球陽」調査報告」『熊楠ワ-クス創刊号』1996年、南方熊楠邸保存顕彰会、7月31日発行
12)粟国恭子「発見された「球陽」-南方熊楠書庫の写本」『沖縄タイムス』8月5日~7日13)粟国恭子「南方熊楠と麦門冬」『文学第8巻第1号』1997年1月、岩波書店
14)粟国恭子「伊波普猷と浦添と沖縄学と」『浦添市立図書館紀要№8』1997年3月、浦添市教育委員会
15)粟国恭子「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)の交流」『浦添市立図書館紀要№8』1997年3月、浦添市教育委員会
16)原田あゆみ「鎌倉芳太郎の前期琉球芸術調査と芸術観の変遷」『沖縄芸術の科学』第11号、1999年、沖縄県立芸術大学附属研究所
17)神坂次郎「俺は夏草麦門冬―末吉安恭―」『歴史街道』3・4・5号 2002年、PHP研究所 *粟国資料提供 連載は『南方熊楠の宇宙―末吉安恭との交流』2005年、四季社で刊行。
18)久貝典子「鎌倉芳太郎の琉球芸術調査(上)」『沖縄文化』第38巻2号通巻96号、2003年、『沖縄文化』編集所
19)池宮正治「南方熊楠宛 末吉安恭書簡について」『南方熊楠の学際的研究プロジェクト報告』2004年、奈良女子大学人間文化研究科
20)小峯和明「南方熊楠と沖縄学」『南方熊楠の学際的研究プロジェクト報告』2004年、奈良女子大学人間文化研究科
21)池宮正治・崎原綾乃「南方熊楠宛 末吉安恭の書簡」『南方熊楠の学際的研究プロジェクト報告』2004、奈良女子大学人間文化研究科  *解題:崎原綾乃
22)小峯和明「熊楠と沖縄―安恭書簡と『球陽』写本をめぐるー」『国文学第50巻8号』2005年8月号、学燈社
23)飯倉照平『南方熊楠』ミネルヴァ日本評伝選、2006、ミネルヴァ書房

1982年以前には、岡本恵徳、大城立裕、新城安善、島袋盛敏などが文章で触れている。詳細は3)新城、1984。