38年目の復帰記念日と復帰記念メダル
1972年(昭和47)年5月15日、沖縄が日本に復帰した。
「本土並み」が復帰の願い…あれから38年の歳月が流れた。38年前も雨の日であった。この数日も沖縄は激しい雨…平和行進や普天間基地包囲行動が展開されている。
沖縄返還条件の密約の存在、復帰後に比重が大きくなった米軍基地、そして自衛隊基地も当然に増えた。
普天間基地問題が重点的に報道されているが、普天間以外にも基地はあり、これ以上新たな基地建設は必要なのだろうか…。
復帰記念してのこの銅メダルは、当時の子供達に学校で配布される予定?で内閣で制作され準備されたもの。復帰の日に配布されるはずだった…復帰に際して、基地の存在など平和的全面返還でない実情に反対して教職員組合?教育委員会で議論され、全面的に祝賀ムードはいかがなものとして、その配布が学校判断にまかされたメダルだときいたことがある。事実かどうかは確信が持てないが…。
配布された学校とそうでない学校が存在する。当時小学2年生だったが、個人的にもらった記憶はない???。もらったのかなー???
<復帰記念メダル>
総理府では、昭和47年5月15日付で屋良主席宛に、5月15日の復帰の日に市町村教育委員会を通して、沖縄の小、中校児童約20万人に復帰記念メダルを配布するよう正式に通知した。メダルは銅製。直径3.2センチ。裏側中央に国旗を描き、上辺に「祖国復帰おめでとう」、下方には「昭和47年5月15日」を刻み、国旗の下に「内閣」の文字。表は「守礼門」を中心として、周囲に海をあしらった波形がデザインされている。ところが「核付き返還!屈辱の日」として、沖縄教職員組合は配付に反対。各分会に対しても、配布に非協力体制をとるよう指示。当時の児童生徒は小学校233校、12万449人。中学校149校、7万1144人。宮古、八重山、本当北部地域では、校長を通して配られたものの、那覇や中頭郡では現場の反対で約10万個が宙に浮いたまま回収された。那覇の場合は、教育委員会が受け取りを拒否した。この10万個のメダルは教育委員会の倉庫に今なお眠ったままで、取り扱いに苦慮している。<昭和56年5月15日。琉球新報>
http://www.campus-r.com/naohiko20060701.html にこの記事がありました。
思い出して、正月に帰省した際に当時教員だった父に聞いてみた。2個残していた。表に「祖国復帰おめでとう 内閣」の文字と日の丸の旗、裏面には守礼の門と波がデザインされている。
ある意味38年前の5月15日も複雑な思いで沖縄県民は過していた。また今年の5月15日も複雑な思いが垂れ込めている。
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