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ぼんやり考え事をしている間に、10月下旬になってしまいました。
沖縄民俗学会10月例会のお知らせです。
発表は、沖縄民俗学会の得意としてきた祭祀組織の構造と拝所との関係のお話です。
日 時:2010年10月23日(土)午後4時~6時
会 場:沖縄県立芸術大学一般教育棟教養103教室
(那覇市首里当蔵町1-4)
題 目:宮古島の拝所と祭祀集団
発表者:萩原左人 氏(琉球大学)
参加費:会員=無料、非会員=資料代200円
問い合わせ先:
〒903‐0213 沖縄県中頭郡西原町千原1番地
琉球大学法文学部 人間科学科
稲村務研究室内 沖縄民俗学会事務局
Tel・Fax: 098-895-8190
地元の大学で「女性と文化」講座を担当して15年ほどになる。全国の多く大学で女性学の講座が提供されるようになる1990年代からになる。ジェンダー問題、ジェンダー研究、文化研究だけでなく沖縄の女性文化内容も3分の1の割合で盛り込んで構成して、近年では以下のような15回で落ち着いた。1990年代には「女性史」「女性と社会」「女性と家族」など結構時代を反映してか、女性と○○と講座名が多かったが現在では「女性史」と、担当している「女性と文化」と減っている。時代の特徴であろうか。
専門ゼミではないので150名前後の学生が前期・後期と受講しているので15年間だとそれほど少ない数ではない。それぞれに何かつながったものがあったのか自問するこの頃である。
1)ジェンダーとは何か 文化的性差の概念
2)女性研究学説史① 女性の文化研究
3)女性研究学説史② フェミニズム人類学とそのテーマ、マイノリティー研究から
4)沖縄の女性研究(佐喜真興英、伊波普猷、真境名安興から現代まで)
5)女性と婚姻 婚姻システム
6)婚姻システム②―問われる産む性―
7)生む性~母性・子供の発見~
8)ケガレ・聖観 管理される身体①
9)文化に管理される身体②「神と呼ばれた少女」ネパール・クマリ信仰
10) 文化に管理される身体③ ケガレなき女性の文化・神女
11) 文化に管理される身体④ 身体加工(アフリカほか)、人権と文化
12) 沖縄の女性―婚姻・離婚(戦後沖縄と祖先祭祀と女性問題)
13) 沖縄文化と女性―近世琉球の女性と近現代の女性の婚姻
14) 沖縄の風俗改良 風土と文化(ハジチ、琉葬から和装、金属・簪)
15) 沖縄文化と女性―労働―
浦添市には老人学級(60歳以上の市民が参加できる)のてだこ大学院がある。
生涯学習の定着する流れの中で、各市町村には同じような団体があるが、てだこ大学院は沖縄の中でも歴史はふるく、那覇市よりも古い。学生達(当然先輩たち)がカリキュラムから運営までの役割を自主運営している。市から補助も受けていると思うが…あくまでも運営は学生及びOB・OG達で行なわれている。。
カリキュラムも年々試行錯誤しながら自分達で決定し、バラエティーに飛んでいて…。学生たちも経験もそれぞれで年齢幅もある。若い学生は60歳から先輩には90歳近い学生さんたちがイキイキと2年間学んでいる。事務局を担当する役員達も卒業生が当たって運営している。
てだこ大学院の講義(歴史3回)を担当して15年程になる。浦添市立図書館沖縄学研究室勤務の時期から担当していて、当時館長であった高良倉吉先生が担当していたが、琉球大学に移られるということで私が担当することになった。それから15年…毎年9月に講義があり数回のお付き合いだけれど、毎年皆さん熱心に話しを聞いて質問も積極的で…私の方が元気をもらっている。
もともと浦添出身の方も多いが、浦添市には結構宮古や八重山、県外出身の方たちも住んでいる。
15年前は、若い先生として珍しがられたが最近は学生との年齢差が余りなくなってきた(笑)。
浦添市民生活も20年以上になり…浦添市民の先輩達に少しでもお役に立てたらと思い楽しく担当している。
先輩たちの元気にあやかって、前向きにがんぱろうと思う、毎夏恒例の出会いである。
9月30日に沖縄の近現代・思想・文化のオピニオンリーダー的存在だった屋嘉比収氏が亡くなった。享年53歳。2年ほどの闘病生活の中で精力的に著作や新聞紙面・雑誌などに文章を寄せていた。
53歳は早すぎると…やりきれない思いも重なります。
告別式でご子息が「自宅療養を望んだ父は、病床でも原稿の校正作業をしたりして、最後まで家族に見守れながら充実した人生だったと思います」としっかりと話されていた言葉で、その死をきちんと受け入れた。
この3月上旬にご本人から電話があり新著『<近代沖縄>の知識人 島袋全発の軌跡』の書評の依頼を受けた。(2010年3月28日『琉球新報』/ryukyushimpo.jp/news/storyid-159927-storytopic-90.html)。
(このブロクでも紹介しました)
つたない文章に掲載後丁寧なお礼と共に励ましの言葉もメールでいただいた。とても謙虚な丁寧な方で…。慕う後輩達も多かった。
屋嘉比さん(当時33歳)との交流は、彼が1990年『新沖縄文学N086』で、沖縄国際大学時の恩師の<玉野井芳郎と沖縄>特集に文章「玉野井理論における方法的視座の転換」と座談会の司会役(「地域自立と環境の危険をめぐって」宇井純・多辺田正弘)などしていた頃から…
氏が那覇市史編集の仕事に携わり、まだ九州大学博士課程に進学する前だった。恩師・玉野井氏が提起した生命系の経済学(エコロジーやエントロピーの理論)や、地域主義の志向、ジェンダー問題と幅広い理論に触れ、その継承を志した若き研究者だった。氏の幅広いテーマでの言論活動に大きく影響した仕事としてこの特集号は重要である。彼の友人の渡久地健氏(地理学)もその特集には重要な役割をしており、二人の交流は<玉野井芳郎>の学問を通して深化していく。
その頃、私は大学院を修了したばかりの若輩で、当時沖縄タイムス紙面で担当していた唐獅子の小文に対しても丁寧に感想を寄せてくれ、その後も機会がある度に励ましの言葉をかけてくれる先輩でもあった。
約20年ほどの交流ということになる。
その後私が浦添市立図書館沖縄学研究室に勤務していた時期には、氏は九州大学博士課程に進学し、帰省する際には沖縄学講座の講師(伊波普猷の命日・物外忌の8月に)をお願いしたり、紀要の原稿(本ブログで紹介した伊波普猷没50年記念特集号)を寄せてもらった。その原稿は、その後まとめられた博士論文の基的な性格を持った文章に位置づけられる。
1993年には沖縄タイムス紙面で言論百年記念に特集が組まれ、沖縄の近現代言論人の年間連載企画で屋嘉比さんが島袋全発、私が末吉安恭(麦門冬)、伊佐眞一氏が太田朝敷その他10人ぐらいで1年半に渡って掲載し、勉強会なども開催したりいろんな議論をして交流があった。
ここ10年ほどは、私が物質文化の調査研究に力点をおいていたので、テーマ性の違いから多くの場面で交流があったわけではないが、変わらず会えば励ましの言葉をかける優しい対応をいただいた。彼を知る人々のほとんどの人が持つ印象ではなかったか。
「人格者で尊敬できる沖縄の知識人」の短い生涯…しかし、交流した多くの若手近代思想研究者のグループも活躍している点では、活動の根はしっかりと広がっている。
心から、冥福を祈りたい。
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