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2011年

2011年12月 5日 (月)

第33回沖縄文化協会賞金城朝永賞受賞

 これまで続けてきた沖縄文化研究活動へ、本当に思いがけなく第33回沖縄文化協会賞・金城朝永賞をいただく事ができました。感謝です。
2011年11月19日(土)に東京の早稲田大学大隈会館で受賞式が行われました。受賞記念に「近代沖縄の金属工芸」と題して40分ほど研究発表を行いました。
 沖縄芸術文化の研究への評価で、金属や紙の工芸関係の研究と活動、近代の芸術研究(末吉安恭や比嘉朝健、鎌倉芳太郎、女性文化研究など総合的な評価ということです。
 多くの方々に支えられて活動を続けることができました。感謝の気持ちとともに、今後は励みとして、より深く思考を続け、研究成果をキチンとまとめたいと思います。
 今回の沖縄文化協会賞では、比嘉春朝賞に北村毅氏(早稲田大学)、仲原善忠賞に仲原譲氏(大学非常勤講師)が一緒に受賞しました。
 受賞記念の研究発表は「沖縄文化研究」に掲載予定です。

2011年11月10日 (木)

第36回日本民具学会発表 in山口県周防大島

 民俗学者・宮本常一の没30年ということで、氏の故郷山口県周防大島で、第36回日本民具学会が開催されました。2011年10月29日(土)~10月30日(日)。宮本常一資料が所蔵されている資料館など興味深く観覧しました。
 参加記念に発表しました。
 発表題目は「 ピボディ・エセックス博物館所蔵の沖縄民具ー収蔵背景についてー」
30分ほどの発表でしたので、明治10年代から40年代にかけてモースや手島精一、ラングトンウォーナーによって収集された民具(先行研究に上江洲均、高安藤)の、人類学民族学資料が収集される背景と、沖縄側での対応の資料を紹介しました。
 ピボディ・エセックス博物館に所蔵されているモースや手島精一によって収集された日本民具についての研究は1980年代から90年代に盛んに行われました。しかし彼らによって収集された沖縄の民具やウォーナーによって収集された民具に関しては、民具学会の中では紹介されていない現状でしたので、あえて沖縄に搾った形で発表を行いました。
 近代沖縄の重要なテーマと思います。原稿で形にしたいと思っています。

 周防大島は、ハワイ移民も多くでた島で移民資料館にも関係資料が豊富で、道の駅にはアロハ専門店などあったりして…。ハワイアン大会も行われるようです。

2011年11月 9日 (水)

コロキウム「近代美術における沖縄・女性・表象」の発表

 沖縄県立芸術大学の先生方の科学研究費補助基盤研究(C)「20世紀沖縄の芸術諸領域の文化論的研究」プロジェクトで、開催されたコロキウム「近代美術における沖縄・女性・表象」で発表しました。(平成23年10月14日(金曜日)沖縄県立芸術大学 首里当蔵キャンパス)
 このコロキウムの<趣旨>は
 「琉球王国時代、国王の肖像画(御後絵)をはじめ、士族を中心に威厳ある男性像が多く描かれた。沖縄戦によって文化財の大部分が滅失し、戦前の記録も残された作品もわずかだが、その中に女性の肖像画は一点も発見されていない。沖縄の女性達が美術作品に描かれるようになったのは、近代以後だと言ってよいだろう。廃藩置県後、ヤマト(日本)の一部に組み込まれた沖縄が、その影響下でどのように女性像を描き出し、またヤマトの画家は沖縄の女性像に何を表象させたのか。このコロキウムにおいて、発表者による報告と問題提起を受け、参加者が活発に討議を行い、テーマに対する理解を深めたい。」
というもの。
 発表は、粟国恭子 「風俗絵図の中の女達 ‐身体の記憶‐」と小林純子先生(沖縄県立芸術大学)の「戦前期の紅型と女性表象」の2本。
 「風俗絵図の中の女達ー身体の記憶ー」は、明治10年代に描かれた風俗絵図の女達(友寄喜恒と佐渡山安豊)と明治40年代以降に描かれた同じモチーフの風俗絵図の女達(比嘉華山)との違いと、その違いを政治的な文化評価の表象として扱い紹介しました。

 発表の後に参加者で活発な討議がおこなわれました。参加者は以下の通り。
・小野まさ子(沖縄県史料編集室)
・北原恵(大阪大学)
・清村まり子(浦添市立図書館沖縄学研究室)
・久万田晋(沖縄県立芸術大学附属研究所、研究代表者)
・小勝禮子(栃木県立美術館)
・志村絵里奈(那覇市歴史博物館)
・鈴木さとみ(栃木県立美術館)
・中尾智路(福岡アジア美術館)
・原舞子(三重県立美術館)  ほか

2011年9月20日 (火)

「災害と民具」第133回日本民具学会研究会・沖縄民俗学会7月例会発表

 今年は、311日の東北地方での大震災被害からはじまり、沖縄や日本各地で台風の被害で水害や土砂崩れが多い。地球温暖化と自然の力の前には、科学の進歩が生み出したものはなんともろいものかと思います。
 夏の報告です。
7
23日(土)16:0018:00(会場:沖縄県立芸術大学)には、第133回日本民具学会研究会と共催で沖縄民俗学会7月例会が開催され、コメント発表を行いました。
 内容は、テーマ「災害と民具」で、以下の通り進行。
 1)<開催主旨説明> 上江洲均(日本民具学会理事・沖縄民俗学会顧問)
 発表者は以下の3人でした
 ①板井英伸(日本民具学会員・沖縄民俗学会員) 「災害と民具―原野農芸博物館の事例からー」
 ②前田一舟(沖縄民俗学会員)「災害からみる沖縄県の博物館と民具の問題」
 ③粟国恭子(日本民具学会員・沖縄民俗学会員)「災害と沖縄民具・物質研究の現状・課題」
 モノ研究(工芸研究は別として)を研究テーマにする研究者も少ない状況で、災害をキーワードに過去から繫がる暮らしと災害の問題、今日的問題としての民俗・民具資料を災害に向き合う時にどのような課題があるのかを、民俗学の立場から確認しました。
 昨年の奄美地方の豪雨で被害を受けた原野農芸博物館の館長・職員の皆さんも、台湾研究者や、歴史分野の研究者の方の参加がありました。
 311日以降、各地で災害と学問実践が問われるシンポジウムや集会も多く開催されています。
 島嶼社会で亜熱帯である沖縄の空間は、過去も未来も同様な自然環境で、人々の暮らしの中で台風などと災害や津波など必然ともいえる状況。沖縄の重要な課題だと思います。生活が豊かになリ過ぎた現代は少し前のその被害と人々の苦悩をイメージできにくくなっているわけで…
 会が終了してから夏休みの間1950年代60年代の沖縄の島々の生活誌を改めて読んでみると、私自身の中で希薄になりかけていた<島ちゃび(離島苦)>の暮らしがありました。この学問をする意味、役割を自身に問う時間でした。
 この会の発表は、発表者3人で各人が原稿化する予定です。

2011年8月 4日 (木)

谷川雁「びろう樹の下の死時計」 トカラ列島 臥蛇島

最近1950年代の文章を読むことが増えた。
1959
年に書かれた谷川雁の「びろう樹の下の死時計」(『工作者宣言』中央公論社)は、トカラ列島の臥蛇( ガジャ)島を訪れたときの紀行文…民俗誌といってもいい…なかなか味わい深く。1950年代後半から60年代にかけて多くの民俗学者や人類学者が奄美や沖縄にやってきた。
 臥蛇島は昭和451970)年から無人島。谷川が島を訪れた時期は14戸60人。
 谷川雁(民俗学者・谷川健一の弟)も宮本常一の本に触発されてでむいたという。
 沖縄研究の民俗・文化研究史には、ほとんど扱われないこの文章を不覚にも初めて読んだ。左翼のカリスマと呼ばれた存在だからか?詩人・評論家の文章の性格上研究史に無視されているのか…。
いずれにしてもとても小さな離島社会を離島ならではの生活の厳しさを、感性豊かな文章で語っている。

 トカラ列島、奄美、沖縄研究者には、しがらみを越えて読んでもらいたい文献の一つに違いない。
 20年も前の事だ。1989年学生の頃、トカラ列島(平島、悪石島)に出かけた経験がある。小さな田で田植えをしたり、宗教関係の調査をしたり…。その時の経験を後年小文にした(1990年)。
*「赤と緑の夜想曲」
https://aguni-kyoko.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_ccbb.html
*「新しい時間軸」
https://aguni-kyoko.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_5569.html

 今回、谷川のこの文章に出会い、久しぶりにトカラの島々の空気感を思い出した。その時の記憶が蘇り、しばらくいろんな事を考えた。
 最近では生活臭の薄い民俗関係論文が多くなり…久しぶりに人の暮らしを記録する意味を考えた。

2011年6月 4日 (土)

論文「琉球切手に見る沖縄文化表象ー描かれた沖縄・首里城ー」

Photo
 『首里城研究No.13』(首里城研究会編、首里城公園友の会、2011年3月)に、論文「琉球切手に見る沖縄文化表象ー描かれた沖縄・首里城ー」を寄稿しました。
 戦後アメリカ統治下の沖縄で発行される琉球切手(257種)を、沖縄の文化認識とからめて、「誰が誰(何を)何のために描き代弁(代表)するのか、そして、その表現した側と表現された側(もの)、さらに読む(観る)消費する側の関係性へのあり様はどのようなものか」という文化表象論の視点からまとめた論考である。
 沖縄の戦後文化現象の考察を今後展開するにあたってのきっかけになればと思っている。
<構成>は
 はじめに
 1、琉球切手について
 2、琉球切手の文化認識ー<琉球表象>をめぐってー
  (1)表象としての<琉球>
  (2)戦前から繋がれた文化認識ー歴史・民俗文化と表象ー
 3、琉球切手と<首里城>と<琉球大学>
 おわりに

 同じ号には勝連晶子氏の「近世琉球における医療活動の諸相<序説>-医官・医役の活動を中心にー」という近世医療関係の資料データーベースの充実した長編論文が収録。
 また、1994年5月から始まった首里城研究会も101回を数えるが、101回の発表内容リストも掲載されている。ちなみに私はそのうちの11回を金属関連テーマに発表した。
『首里城研究』バックナンバーは、首里城公園内の売店(無料エリア)で販売されています。

2011年5月31日 (火)

沖縄民俗学会5月例会発表

 5月にしては猛烈な台風2号が接近する中2011年5月28日(土)に沖縄民俗学会5月例会が開催(沖縄県立芸術大学103教室、午後4時~)され、「近代沖縄のものづくりと人類学的ポリティカル・エコノミー ―博覧会・殖産興業・先島・台湾―」と題して発表を行いました。
 あいにくの天候でしたが、<沖縄のものづくり>関連ということもあり、芸大関係の先生や学生さん、歴史分野からも参加されていました。ご参加いただいた皆様には感謝です。

 近代の沖縄の人々のあり様を、モノ作り(明治期・大正期を中心に)の視点から発表。琉球処分(明治12年)を待たずに国内外の近代博覧会に参加していく沖縄について<女性史>の視点も交えながら、新しい資料を紹介しました。
 歴史・経済学分野では社会経済史、産業経済史という枠組みにも関わりある内容になります。従来の近代沖縄のとらえ方(旧慣温存期のスタティックなイメージとは異なる)で風穴を開けられたのではないかと思います。近代史や近代思想史研究者にもっと聞いていただきたかったと…。
 ちょっとよくばりすぎて、資料が多すぎたという反省はありますが…。
 明治8年から幾多の博覧会で個人名で褒賞されていく布を織る先島の女達の<個>のあり様に、八重山と宮古のあり様の違いに従来の沖縄研究からのアプローチが弱かった点、そういう意味での
「問われなかった記憶」の問題を語りました。
 また大正10年に先島を巡見した柳田國男が那覇で「世界苦と孤島苦」の講演の背景にもふれました。「海南小記」をこの旅の紀行文として残していますが、別の厳しい視点を指摘しました。
 早いうちに原稿にまとめたいと思います。

2011年5月 3日 (火)

柳宗悦没50年 5月3日(2011) 

Photo  5月3日は憲法記念日でもあるが、民藝運動の柳宗悦の命日でもある。1961年5月3日午前4時2分に永眠。
2011年の5月3日は、柳の没50年目にあたっている。(没50年目のカウントが私が間違いなのか、昨年2010年度に日本民藝館は没50年企画を開催している。ブログでも紹介したが…1962年が一周忌ならば2011年が没50年なのだが???)

 GWに入って鶴見俊輔の柳宗悦論に改めて目を通した。(『鶴見俊輔集・続4 柳宗悦・竹内好』収録論は「柳宗悦」「学問の位置」「重心の移動」「失われた転機」「時代への視線」「民芸の中の民芸と民芸の外の民芸」)。
 今年から大学で<民俗学>講座(概説)を担当している。4月の1回では、生活物質研究の研究史の中で渋沢敬三、宮本常一の民具研究と柳宗悦の民芸運動について紹介した。

 沖縄とも関わりの深い人物である。沖縄では柳たち民芸一行と県行政との「方言論争」が注目も多く先行研究も多い。
個人的には、戦後復興期の沖縄と柳・民芸運動との関わりに関心がある。
サンフランシスコ講和会議で、沖縄が日本から決定的に分断された1947年から50年代にかけての動き…。柳田國男の『海上の道』に収録されている文章もこの時期に書かれている。

柳宗悦没50年…思考と続けてみたいと思っている。
こうした節目?の時期に沖縄でも関連展示会が開催されないものだろうか?

2011年4月18日 (月)

書評『日本の美術 琉球の金工』

Photo  昨年刊行された『日本の美術 琉球の金工』(久保智康著)の書評を書いた。
『法政大学沖縄文化研究所所報』第68号に掲載。
 約10年ほどで、飛躍的な成果を上げた?(市民権を得た)その分野を牽引してきた著者との交流も15年程になる。
 沖縄研究のテーマとしては1980年代まではほとんど触れられることのなかった分野でもある。
 沖縄の金属文化研究状況もふまえて、初めてのテキスト本としてのこの著作が誕生する背景も記している。
 基本資料が確認されたこの15年を経て、この分野は新たな議論の段階に進むことになる。
 また、残された必要とされる研究作業も実ははっきりしていて、多いことも事実である。

2011年2月 6日 (日)

第220回沖縄・八重山文化研究会 発表「近代殖産政策と宮古・八重山ー上布のあり様をめぐってー」

 沖縄の近代を捉える従来と異なるアプローチはないかと作業が続きます。
沖縄・八重山文化研究会(会長:三木健)で発表します。近世期から近代初期まで、貢納布制度で上布を生産していた宮古と八重山、近代に入ってくるとそれぞれのあり様で違いが出てきます。その違いの文化背景に興味があります。
 八重山文化研究の重鎮達が集う会で発表できるのは幸い。批判を含めて意見が伺えるのが楽しみです。

*期 日:2011年2月20日(日)午後5時~7時
*研究発表:「近代殖産政策と宮古・八重山ー上布のあり様をめぐってー」
*場 所:沖縄県立芸術大学附属研究所2F(AV講義室)
*資料代:500円