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2012年

2012年7月 1日 (日)

沖縄民俗学会6月「<民俗写真>と沖縄・近代と戦後」発表

 2012年6月30日(会場:沖縄県立芸術大学首里キャンパス)午後4時~、沖縄民俗学会6月例会の発表を担当しました。
発表タイトルは「<民俗写真>と沖縄・近代と戦後」と題して、近代以降、学術調査や写真家が沖縄を写真で撮影してきたのかをテーマに近代の流れを紹介。個人的には重要なテーマとして思考を続けています。
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 昭和15年に来沖した、日本民藝協会の琉球観光団の写真家・坂本万七や土門拳などの撮影した沖縄文化を表象する写真資料。撮影時のまなざしと国際状況コンテキストを説明。
 その後に行われた柳田国男と座談会で「民俗写真とは」を議論したことを紹介した。
 この座談会時点で持っていた写真認識を、戦後その認識を変えていく土門拳などの事例を紹介。(*写真は発表スライド(粟国作成)の一枚です)
 ちょうこの時期には沖縄県立博物館・美術館で土門拳写真展が開催されたばかりでした。
 また、戦後学術調査(民俗調査)と写真の関係性、特に1960年代後半から柳田・民俗学ブームの中で、民俗学者と写真家たちの撮影する沖縄民俗関係の写真がある意味<共生関係><補強関係>性を強めていく流れを説明しました。

 芸術関係の方も多く参加されていましたが、民俗学系の方の反応は薄かった印象があります。

2012年6月11日 (月)

論稿「1880年代の近代沖縄と石澤兵吾」

24  沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』24号に論稿「1880年代の近代沖縄と石澤兵吾-<勧業行政><『琉球漆器考』成立背景><琉球の絵師及び木脇啓四郎>-」を寄稿し、発刊されました(2012年3月31日発行)。
 琉球処分(1879年)直後の初期沖縄県政の中で、勧業行政や工芸産業化、博覧会共進会への参加、その勧業行政を担った勧業課課長の石澤兵吾を通して見える近代沖縄のあり様です。
 石澤兵吾の人となりも含め、『琉球漆器考』、『林政八書』成立背景や、その絵図を担当した佐渡山安豊や薩摩の絵師・木脇啓四郎についても詳しく資料提示を行っています。
 少しでも、近代沖縄・文化研究の参考になればと思っています。
<内容構成>
はじめに
1、石澤兵吾ー実務を担う官員としてー
 1)行政組織と勧業課
 2)石澤兵吾の人となり
2、石澤兵吾と勧業政策
 1)博覧会(共進会)への参加
 2)『琉球漆器考』成立の背景
 3)「林政八書」編纂について
3、石澤兵吾と絵師たち
 1)博覧会と沖縄県庁と絵師ー琉球の絵師との交流ー
 2)薩摩の絵師・木脇啓四郎と石澤兵吾
まとめ

 *この紀要は、公共機関の図書館には所蔵されると思います。ご利用ください。

沖縄学講座「末吉安恭(麦門冬)」 担当

2012年6月6日(水)に、沖縄県立芸術大学附属研究所提供の沖縄学講座「沖縄文化の”美”の発見者たち」シリーズの第8回で「沖縄文化の個性を求めて② 末吉安恭(麦門冬)」を担当しました。
Photo  末吉安恭(麦門冬)は、明治大正の沖縄文化(俳句短歌、文学、芸能、民俗学、歴史、美術)の幅広い分野で、伊波普猷、真境名安興と共に当時の「琉球文化史の三羽烏」といわれた人物で、生涯新聞記者(ジャーナリスト)である。38歳で若い時期になくなることから、あまり光が当たっていない。
 新城栄徳、伊佐眞一、仲程昌徳各氏の専攻研究がある中で1993年ごろから資料を集めたり、原稿で発表したりしている。安恭の著作集の1冊も出せていないことはl、研究者として多いに反省する。
 民俗学からみれば、折口信夫、南方熊楠との交流、大正期の郷土研究などの活動が重要である。

 伊波普猷との関わり、尚順が安恭を詠んだ歌など紹介しながら近代の沖縄文化に向き合った当時の人間関係なども話た。下の尚順が詠んだ歌である。

 数奇閲歴麦門冬
 俳句和歌一代宗
 萬巻遺書塡巨館
 猶留眼底半酣容
 
 沖縄学講座シリーズは14回まで内容はこちら↓
 http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-280c.html

2012年6月 8日 (金)

展示会「土門拳の昭和と沖縄」関連「土門拳の目」原稿

Photo_2  現在沖縄県立博物館・美術館で開催されている写真展「土門拳の昭和と沖縄」関連の原稿「土門拳の目 上・下」を「沖縄タイムス」に寄せた。(掲載は2012年6月6日(水)と6月7日(木)
 土門拳は、戦前・戦後と活躍し、まさに昭和を撮った写真家である。
 昭和15年に民藝運動を展開する柳宗悦が中心に呼びかけた「琉球観光団」(日本民藝協会主催)の26人の一人で、沖縄を訪れ写真を撮っている。
 
 <剛>の人となりがにじみ出る作品群である。平安時代の仏像を撮影しても、風景を撮影しても<土門拳>色が強くでてくる。この昭和の巨匠は子ども達の元気なそして時代の中での社会問題の中にいる子ども達を多く撮影している。Photo_3
 まさに日本のエネルギー問題が石油に移行する時期に炭鉱町が経済的に疲弊していく。土門は「筑豊のこどもたち」の写真をのこした。その中の一枚。「弁当を持ってこない子」は事情を知らない人が観ると、何気ない小学校の昼食時間に見えるが、経済的な事情で弁当がもってこれない子ども達が暮らすに数人はいる。他ほ子ども達が弁当を食べている間絵本・雑誌を眺めている。土門の撮影に先生がその子ども達の顔を映さないでほしいと要望したらしい。空腹を我慢してその視線を開いた本から動かない子ども達。女の子が多いことがとてもリアルである。心から離れない一枚である。

展覧会は2012年6月24日まで


 

2012年5月24日 (木)

書評 宮本常一『私の日本地図8沖縄』 

 2012年は、沖縄が日本に復帰して40年目にあたり様々なイベントが開催されている。
出版業界でも、そのテーマでの書籍が多く刊行されている。
その中で、1969年に沖縄を訪れた民俗学者・宮本常一の著作『私の日本地図8沖縄』の復刻版も刊行された。書評を『琉球新報』に掲載(2012年5月20日(日))。
Photo_2   宮本常一は、著作集も学生の頃から手元においている。
昨年(2011年)は、没後30年ということで日本民具学会が、宮本常一の故郷・山口県周防大島で開催され、沖縄側からは、上記著作に解説文を書かれた民俗学者・上江洲均先生と参加してきた。
 復帰前と復帰直後に沖縄を訪れた宮本の視点はなかなか興味深い。
紙面の都合で紹介できなかったが、復刻版の編集担当をしているのは、民俗学者の香月洋一郎先生である。
 写真は、宮本常一と渋沢敬三の評伝「旅する巨人」佐野眞一著の表紙である。書評記事にも書いただが、渋沢も戦後沖縄と関わった人物である。

 『琉球新報』に掲載された書評記事の内容はこちら↓
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191401-storytopic-6.html

沖縄学講座「王家の文化を伝えるー尚順と松山御殿の人々ー」

 2012年5月16日(水)に、沖縄県立芸術大学附属研究所提供の沖縄学講座「沖縄文化の”美”の発見者たち」シリーズの第5回で「王家の文化を伝えるー尚順と松山御殿の人々ー」を担当しました。
03  復帰40年記念5月15日の翌日。
 最後の国王の三男(四男であるが次男が2歳でなくなったため三男で呼ばれる)の尚順と松山御殿に関する情報は、本家の中城御殿よりも刊行された資料も多い。それは尚順が、近代を代表する実業家であり、琉球新報の創設者であり貴族院議員でもあり、有名な骨董好きの趣味人であるという、その個性ゆえに記事資料も多く存在するからなのであろう。このテーマは、附属研究所からの依頼内容であった。講座シリーズのタイトルから、今回は尚順の芸術観を紹介した。食文化、首里士族・王族ならではの教養の世界、そして個人の骨董趣味の世界…。近代の文人・富岡鉄斎の絵画も集めていたようで、その他陶器や漢詩・俳句・琉歌、書の世界の硯や墨などの含蓄も深い。その中でも食通としての様子が関係者からは多く記録が残されている。
 今回の資料では、芸能に関する尚順・松山御殿資料を紹介することができなかった。
 沖縄学講座シリーズは14回まで内容はこちら↓
 http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-280c.html

2012年2月22日 (水)

<近代と甘み>の研究

Photo  今年のバレンタイン記念?に、比較的新しい女性の研究書を中心に目を通しました。
その前に古典的な著書
*シドニー・ミンツ『甘さと権力ー砂糖が語る近代史ー』1988年、平凡社
*カナダの歴史学者、エリザベス・アボット『砂糖の歴史』2011年5月、河出書房新社。513P。
武田尚子『チョコレートの世界史』中公新書、2010年12月、中央公論社
  両書とも面白かった。

 日本で始めてチョコレート・ココアがつくられたのが明治11年(1878)、日本橋米津風月堂が売り出したそう。そしてバレンタインデーは神戸モロゾフが1936年頃に広告を出して売り出したそう。
 最近目を通すことが多くなった博覧会関係資料にも、新作お菓子を発表する記事も多く見かけます。キャラメルとかカルピスとか…
 まさに、近代と<甘み>の世界です。

 となると、ある程度蓄積のある沖縄砂糖産業発展史も、この辺からアプローチすると、今日的な課題になると思うのですが…。Photo_2
 近代沖縄の砂糖産業は、グローバル化と植民地・開発・などのキーワードともに、日本人の味覚食文化と繋がるまさに近代史の重要な構造があると思います。
 しかしある機会にR大の博士課程歴史学の学生さんに研究テーマこれにしたら…というと「そんな古いテーマの砂糖なんて…」なんていわれました(笑)
 しかしありましたありました、近世期を中心にはしていますが…。刺激的な琉球史論文をたくさん出している真栄平房昭さんの論文「砂糖をめぐる世界史と地域史」(『日本の対外関係6 近世的世界の成熟』2010年、吉川弘文館)で、さすがです。
 
 文化研究では、愛の告白から、義理チョコ、友(達)チョコ、絆チョコ、自分チョコと変化した日本のバレンタインのあり様もなかなか分析がいがあると思いますが…。
 それから上記の著作で知ったのですが…最近は受験生のお供の「キットカット」チョコ。「きっと勝つ」の音の響きが重宝されているようで…郵便局には特別受験生仕様のチョコもあります(笑)。
 その「キットカット」チョコが外国で1935年発売され以降の様々な戦略の中で世界に定着した過程とか、労働者や戦争(戦士)とチョコレートなどなど…。なるほどなーと…。いろんな切り口がまだまだ残っていると思います。

その他にも現在フェアトレイドなど厳しい問題をかかえつつ…の、チョコの季節が過ぎてゆきました。

「沖縄の針突(ハジチ)文化」発表 「手の巧みさ」研究会 in久米島

 プロ野球チーム「楽天」のキャンプが行われる久米島に出向きました。といっても日帰りの研究会参加でした。
 *2012年2月9日(木)
 *ロボット学会「手の巧みさ」研究専門委員会、電子情報通信学会HIP研究会
 *リゾートホテル久米アイランド

 以前琉球大学工学部で教鞭をとっていらしゃった星野聖先生(現在筑波大学)が事務局でお招きいただきました。
 ロボット開発、その中でも<手>に関わる分野の研究者の会で、私の発表は、異分野の招待講演という形で「針突(ハジチ)の文化と表象ー手の記憶ー」というタイトルで40分。
昨年末から針突関係の発表が続いていますが…偶然です。
 今回は、絵画表象というより奄美・沖縄・宮古・八重山の針突(ハジチ)の文化概要、特に宮古島の針突(ハジチ)が他の地域と大きく異なっているのかも私なりの意見をお話しました。そして沖縄の男性には何故入墨文化がないのか<身体認識>につながりますが…分からない点も確認しながら、もちろん近代以降に<文化認識>としての針突と身体加工・表象の変化についても紹介しました。
 理系で県外の研究者が多いこともあって、旨く伝たえきれたのかは少し不安ではありますが、<手>にこだわる、他のいろいろな発表を、大変興味深く聞きました。

 最近は沖縄文化の入墨文化に関する著作も増え若い研究者もいて、グッズも多くつくられて話題は多いテーマです。

2012年1月25日 (水)

「明治30年代の沖縄の麻織物ー第5回内国勧業博覧会」

2012年1月20日(金)に開催された 第74回沖縄染織研究会で「明治30年代の沖縄の麻織物ー第5回内国勧業博覧会と全国・宮古・八重山ー」と題した研究発表を行いました。(午後7時~9時、沖縄県立芸術大学首里金城キャンパス附属研究所2回AV講義室)。
 昨年の「近代沖縄殖産興業政策と宮古上布」について発表した、第二弾です。昨年は明治10年代と27年、明治35年以降の近代沖縄の殖産政策と上布がどのようなあり様を示すのかといった内容を、博覧会、共進会の参加状況を紹介しました。

 今回は明治30年代、人頭税制度が廃止されて間もない明治30年代の時期、宮古・八重山の地域でどのような布の生産んがなされているのかを、宮古八重山の各間切ごとにあり様を示すことで、従来宮古・八重山といった大枠で語られる上布・織物生産をもう少し地域社会に照らし合わせて理解したいと思い資料整理。

 また、従来の沖縄研究では、第5回内国勧業博覧会(明治36、大阪開催)では人類館事件についての言説が多く展開しているものの、実は博覧会本来の性格に即した沖縄の近代資料は無視されており、内国勧業博覧会各回への沖縄県参加状況の具体的な内容は十分に検討されていません。
 今回の発表では第5回内国勧業博覧会に参加した沖縄の織物関係事情を見るとともに、その中での<麻織物>分野で、参加した沖縄以外の地域の全国の麻織物と沖縄の麻織物への評価について資料を紹介した。また、各県の販売所の一角に設けられた沖縄県販売所の写真なども紹介しました。
 発表原稿は、4月頃に研究会会報で紹介されます。

2012年1月18日 (水)

研究発表 「近代の風俗絵図―描かれる身体の記憶―」

 2012年1月7日(土)に開催された「琉球絵図・図像研究セミナー」で40分でしたが、 「近代の風俗絵図―描かれる身体の記憶―」というテーマで発表してきました。
 このセミナーは主催が琉球大学国際沖縄研究所(中期計画達成プロジェクト・豊見山和行)で会場は 沖縄県立博物館美術館・講座室。歴史学からの発表が3人(渡辺美希、得能壽美、深澤秋人)、美術分野から1人(平川信幸)、考古学1人(安里進)、文化人類学・民俗学から1人(粟国恭子)の発表でした。
各発表のテーマなどは
 http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-8d3f.html を参照してください。
 歴史学の分野では1990年代に盛んになった分野だと認識しているが、沖縄研究では充実している分野とは言いがたい。
 私の発表は、昨年芸大で開催されたコロキウムでの発表に関連しての内容となりました。
 近代以降、人々の生活を描く<風俗絵図>がたくさん描かれるようになったことについての、美術分野からの研究も少ないなか…。従来の研究は<沖縄風俗絵図>の個別資料紹介(所在、内容紹介)程度のものがほとんどで、全体的な概要把握もほとんど無い現状です。
 こうしたことをふまえて、風俗絵図の中で描かれる同じようなモチーフ(女性)の中に、時代変化、文化価値、当時の絵師達の心性まで触れるような切り口を提示できたと思っています。その中でのキーワードの一つに<ハジチ・針突>を入れました。奄美沖縄の女性達が成人する過程で手の入れていた入墨です。
 民俗学では<ハジチ・針突>研究は結構な事例紹介を含め多く存在します。今回はその枠の中に、<文化表象>としての<描かれる女性のハジチ>の文化評価と近代を新たに組み込んでの切り口で紹介。<女性像の文化表象>の問題は大正・昭和・戦後と沖縄文化には重要なテーマだと思っています。
 各自の発表後に、全体討議があったのですが、私の発表への反応は従来の<ハジチ・針突>研究成果への質問に終止しており、<文化表象>への意図は理解してもらったのか疑問に残りました。

より以前の記事一覧