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2014年

2014年12月 8日 (月)

脱清人・毛有慶(亀川盛棟)と末吉安恭・伊波普猷など

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 末吉安恭没70年にあたる1994年に『沖縄タイムス』で「人物列伝・沖縄言論百年 末吉麦門冬」を担当した際、1911年に安恭(麦門冬)が手にした脱清人・毛有慶(亀川盛棟)の詩集『竹陰詩稿』との関係を紹介し、伊波普猷や来沖した横山健堂(ジャーナリスト)に紹介した経緯(⑬8月30日、⑭8月31日)を紹介した。その後、毛有慶の『竹陰詩稿』詩の詩が伊波普猷の『古琉球』(1911)や横山『薩摩と琉球』(1914)に収録されることになる。
 末吉安恭や伊波普猷と脱清人・毛有慶との関係に触れた記事としては、私のこの連載記事は早いものであった。
 この脱新人・毛有慶の詩集とのエピソードもふくめ、1997年には論文「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)との交流」(『浦添市立図書館紀要N0、8』)にした。
 この毛有慶の詩(漢詩)が広く紹介されるようになったのは、その後新聞紙面で上里賢一先生が琉球漢詩の連載企画で紹介されたことによる。ちなみに『竹陰詩稿』そのものは確認されていない。Photo_2
上里先生は論文「琉球漢詩・最後の光芒;毛有慶(亀川盛棟)」(『文學』9巻3号、1998)をまとめられた。
 また、1879年の「琉球処分」から130年後の2009年には、この時期の琉球史が注目され、地元の新聞紙面でも多く連載があった。その中で『球新報報』の<「琉球処分」を問う>で、脱清人が注目された。連載は新報新書として2010年に刊行。「漢詩文から見る救国運動」を担当した上里賢一先生が、林世功の漢詩とともに、「毛有慶の憂憤ー反骨と芸術胸に二度渡清」と題して詳しく毛有慶の紹介をしている。
 

2014年12月 5日 (金)

末吉安恭と南方熊楠、そして金城朝永

,Photo_3  私が末吉安恭と南方熊楠の関係に興味を持ったのは、24年前のことだ。社会人になりたての頃で…。
 1990年7月から12月の半年間、沖縄地元の新聞紙『沖縄タイムス』の文化面コラム「唐獅子」を担当(13回)した時に「終わりの無い作業」(11月22日掲載)というタイトルで書いた時期だ。以下がその時の文章。

 「終わりの無い作業」
 人は、多々ある情報をどのように頭の中で整理しているのだろうか。
 未熟な判断から別々の整理箱の中に仕舞い込み関連性の薄いと思っていた情報が、時として重いもかけない展開で結びつくことがある。その偶然性が強いほど、刺激的に豊かなイメージが広がる経験は、一つの〈事件〉である。
 先日、1945年以前の県外発行雑誌の沖縄関連記事を集めた「沖縄学の萌芽展」が県立図書館で開催された。記事目録を見て気が付いた。
 南方熊楠が4編ほど沖縄関係の短い文章を書いている。人類学・民俗学から粘菌観察など幅広い博物学的な知識とその強烈な個性を持つ南方熊楠は、最近見直され、注目されている人物である。
 一つは、「出産と蟹」。その中で、沖縄のジャーナリストとして活躍した末吉麦門冬(末吉恭)の〈博覧強記〉を驚き、その考証を「凌駕(りょうが)するもの多し」と評価している。
 そのほか『球陽』を読みその内容を事例として紹介した「琉球の鬼餅」、石垣島や与那国の事例に触発されて書かれた「椰子蟹に関する俗信」や方言学、沖縄学研究者・金城朝永の「琉球の猥談」を読み書かれた「一目の虫」、「煉粉を塗る話」などがある。
 南方熊楠が小さいながら、〈琉球への視点〉を持っていた事を知り、そのきっかけを与えた末吉麦門冬や金城朝永を新しい側面から捉えられると思うと〈うれしい〉気分である。
 ある事柄への情報を持つ事は、一つ一つのパーツを組み立てて完成されるものでもない。
 偶然のわくわくする〈事件〉と出会いながら自由に、そしてしなやかな変化を続けていく種類のものである。その整理箱の中を引っかき回したり、時に中身をそこら中に散乱させたままでいたり、懲りもぜす腕組みをして箱の中に並び帰る作業に似ている。それは終わりの無い、けれどスリリングな作業である。

************************Photo_4
 終わりの無い作業は、その後1994年8月からの『沖縄たいむす』紙面での末吉麦門冬(安恭)についての連載36回に繋がっている。丁度安恭の没70年にあたる年であった。その年に和歌山県田辺市の南方熊楠宅にも訪問。熊楠資料整理プロジェクトに大勢の研究者が関わっていた。そこにお邪魔をして沖縄関係資料の調査をしたことが思い出される。

 そして今年は安恭没90年…終わりの無い作業はまだ続いている。

末吉安恭(麦門冬)の従来研究

末吉安恭のこれまでの研究の流れを紹介します。

*没50年(1974)以前→大城立裕『沖縄の百年第1巻 近代沖縄の人びと』「末吉麦門冬」で取り上げた(1969年)。人物紹介としては先駆けの仕事になる。

*没60年(1984)→実弟・末吉安久氏:著作集刊行計画。岡本恵徳・仲程昌徳・新城栄徳・伊佐眞一(『琉文手帖2号』)

* 没70年(1994)
→仲程・岡本恵徳・新城『沖縄近代文芸作品集』新沖縄文学別冊、1991)、粟国恭子(タイムス紙面連載36回・新聞資料発掘・南方熊楠資料・『球陽』写本・絵葉書)

* 没80年(2004)
→新城栄徳、南方熊楠(安恭書簡):池宮正治・崎原綾乃・小峰和行、粟国恭子論文(鎌倉芳太郎との交流)など。沖縄県立芸術大学附属研究所沖縄学講座でも担当(粟国) https://aguni-kyoko.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-49ca.html 

* 没90年(2014)→新城「琉文21」サイトで情報アップ。関連図書刊行への動き(今回の研究会)

 その他の末吉安恭関連の記述・刊行物は、ほとんど上記研究成果を参照に書かれています。2014年11月29日開催の公開研究会のパネリストの紹介。

1
、仲程昌徳(なかほど・まさのり)1943年 南洋テニアン島カロリナス生まれ。
 □所属・専門領域:元琉球大学教授(1973年~2009年同大学勤務) 近現代文学
□主な論文・著作『沖縄近代史詩研究』(新泉社、1986)、『伊波月城―琉球の文芸復 興を夢みた熱情家』(リブロポート、1988)、『沖縄の文学―1927年~1945年』(沖縄タイムス社、1991)、『新青年たちの文学』(ニライ社、1994)、『宮城聡―『改造』記者から作家へ』(ボーダーインク、2014)など

、伊佐眞一(いさ・しんいち)1951年 那覇市首里生まれ
□所属・専門領域:近代沖縄史家。1975年琉球大学法文学部経済学科卒。1977年〜2012年琉球大学在職。1981年〜82年カリフォルニア大学バークレー校在籍。近現代沖縄史・思想史
  □主な論文・著作:『アール・ブール― ―人と時代』(私家版、1991年)、『大田朝敷選集』(全3巻、第一書房、19931996年)、『謝花昇集』(みすず書房、1998年)、『伊波普猷批判序説』(影書房、2007年)など。その他、「沖縄と

日本

ヤマト

との間で―伊波普猷・帝大卒論への道」(『琉球新報』2010
10月〜2014年8月、140回連載)
 
3、阪井芳貴(さかい・よしき)
1957年 東京生まれ
 □所属・専門領域: 名古屋市立大学大学院人間文化研究科 教授 日本民俗学・日本文学・折口学
   □主な論文:「昭和戦前期の本土における沖縄芸能の受容」(2005)、「折口信夫と沖縄学と-折口信夫が沖縄で出会った人々-」(2006年)など。
 
4、粟国恭子
(あぐに・きょうこ)1963 宮古島(旧平良市)生まれ
□所属・専門領域:沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員、沖縄国際大学・沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄文化・工芸研究所主宰 文化人類学、沖縄近現代文化史
   □主な論文・著作:「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)の交流」『浦添市立図書館紀要№8』(1997)、「南方熊楠と麦門冬」『文学第8巻第1号』(岩波書店、1997)、「近代沖縄の芸術研究①―末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎」(『沖縄芸術の科学』第19号』、2007年)、「人物列伝・沖縄言論百年-末吉麦門冬1~36」『沖縄タイムス』(1994年8月11日~9月30)など

5、崎原綾乃(さきはら・あやの)
1977年 沖縄市生まれ
□所属・専門領域:沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員 琉球芸能史
□主な論文・著作:「南方熊楠宛 末吉安恭の書翰」翻刻(共著)、「末吉安恭の書簡 解題」(以上、『南方熊楠の学際的研究プロジェクト報告書』奈良女子大学大学院、2004) 

6、新城栄徳(しんじょう・えいとく)1948年 粟国島生まれ
□所属・専門領域:「琉文21」主宰、『琉文手帖』発行人 好事家

 □主な論文・著作:『琉文手帖1号 日本画家・金城安太郎-琉球風俗画60年―』(1984)、『琉文手帖2号 文人・末吉麦門冬―没60年―』(1984)、『琉文手帖3号 歌人・山城正忠』(1985)、『琉文手帖4号 沖縄近代文化年表―18681945(1999)

2014年12月 4日 (木)

末吉安恭没90年企画「近代沖縄における思想と文化の表情」

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 2014年11月25日は、明治・大正期に沖縄で活躍した人物・末吉安恭(麦門冬)の没90年にあたる。その記念の公開研究会「近代沖縄における思想と文化の表情」を企画主催し、運営 ・事務局も担当している。
 11月29日(土)午後1時~6時、沖縄県立博物館・美術館博物館1階講座室で開催した。
この研究会の広報記事は、新城栄徳『沖縄タイムス』11月26日、粟国恭子『琉球新報』11月27日紙面で掲載された。司会は粟国恭子。

 今回のパネリストは、この30年、末吉安恭の研究に従事してきたメンバー。
*仲程昌徳(近現代文学)「大正期の文学と末吉安恭」
*伊佐眞一(近現代沖縄史・思想史)「近代沖縄の新聞と末吉麦門冬」
*阪井芳貴(日本文学、折口学)「近代沖縄における文化研究」
*粟国恭子(歴史民学、近現代沖縄文化史)「末吉安恭と民俗学・民族学ー柳田国男・折口信夫・南方熊楠から金城朝永へ」
*崎原綾乃(琉球芸能史)「近代沖縄における琉球芸能の実践と末吉安恭」
*新城栄徳(好事家)6名。
 会場参加者は約100名の方が参加し、発表及び意見交換など和気藹々とした雰囲気で有意義な時間でした。多くの参加者から好評の意見をえた。
 大きな問題は、末吉安恭の文章など刊行物が1冊もないことで、早急に対応しなければならない課題が確認された。安恭研究者の社会的な責任かもしれません。
 厳しい出版業界にあって、どのような方法があるのかも可能性を探る意味も研究会を開催の目的のひとつになっている。

 さて、本来ならば余り記述などしたくないのですが…誤解のないようにあえて記すことにしました。
 この企画に対する反応・問合せの中に、「どこから予算を確保して活動しているのか」「何らかの予算があっての活動だろう」という声が少なくない。
 まったくの誤解なのであえて記しておくが、昨今の沖縄は一括交付金など公的な費用で、いろいろと文化事業や企画が目白押しでそれが主流の活動状況である。沖縄振興策として政府から降りてきたよさんである。
しかし、あえてそうした予算からも遠い位置を取り、「いかに自立した活動を展開するか」という事が重要に思う。そのスタンスで、今回は近代沖縄研究会を立ち上げ、その主催者として自費運営をしている。
 この自立した活動展開は、過去2回開催された「戦後沖縄研究コロキウム」の活動に関しても同様である。
 自由な活動は肩に力を入れなくてもよく、また楽しい。しかしそれがゆえに、刊行物などの実現にも苦労するわけで…。 

2014年11月15日 (土)

「沖縄の焼物と<女>たち・ジェンダーの文化表象」壺屋焼物博物館文化講座

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 現在那覇市立壺屋焼物博物館で開催されている「沖縄宗教藝術の精華 厨子」展(2014年11月1日~12月21日まで:無料)の関連企画・文化講座でお話をしました。
11月8日(土)午後2時~「沖縄の焼物と<女>たち・ジェンダーの文化表象」がテーマ。
若い学芸研究者・作家たちも参加して、こじんまりとした雰囲気でしたが、楽しく過ごしました。
内容は、「焼物と女性との関りを<洗骨習俗廃止運動>の歴史をふまえて」との依頼に応じて私なりに話ました。
 昭和15年に撮影された民藝・坂本万七が撮影した壺屋の女性たちをどのように評価するのか?時代背景を十分に理解してこの表象は語られる必要があること、戦後急速に広がった火葬のあり様は、沖縄・奄美の各地で行われていた葬送儀礼<洗骨>習俗に関わっていた女性たちが、廃止運動の中心となっていたこと…それは死の場面で<女の役割>としてのジェンダー問題が重要であったことなど解説し、現在の沖縄の<死>をめぐる文化を考える」というものだった。
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 女たちが選択した時代背景を知ることと、現代の問題として自然環境・島嶼社会の中で育まれた過去の習俗としての葬送儀礼の断絶?との問題を深く考える必要があるのではないかという意見も含まれている。
 講座内容の詳細は、本年度の壺屋焼物博物館紀要に原稿を寄せたので、刊行を待ちたい。

2014年11月 9日 (日)

2014年「民衆史50年」色川大吉先生を囲む集い

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 2014年11月5日(水)に沖縄で、民衆史の大御所・色川大吉先生を囲む集いが開催されました。「<民衆史50年>色川大吉先生を囲む集い」(会場:ナハテラス)は、近代史研究の重鎮・我部政男先生、ジャーナリストの三木健さん、近代沖縄史家・思想史の伊佐眞一さんが中心となって開催実現しました。
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その他に、色川先生と交流のあった川満信一、新川明、仲宗根勇、高良勉、由井晶子さんなどなどの呼びかけで開催され、約50人程の参加でした。
 色川先生の「明治精神史」発刊から50年の記念すべき年で、89歳の先生は元気に民衆史との沖縄との関りを講演。
 1960年代の民衆史の思想に影響を受けた先輩方の参加が多かったように思えます。

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 まことに図々しいとは思ったが、またとない機会に所蔵の『明治精神史』初版、沖縄との関りのある『ある昭和史』、そして会場で販売されていた11月3日発売の新刊『色川大吉時評論集・新世紀なれど光は見えず』(日本経済評論社)にサインをいただいた。新刊には第一部「新世紀日記」で取り上げたのは2014年8月15日の日記が…歴史家として時代への思考をあらわす姿勢には感銘を受ける。第二部「憲法問題と戦争体験」では、「平和憲法の世界的意義」「生きるという防徨」「わが身に滲みる歴史の重み」「戦争と青年」など…非戦の思想と歴史家の哲学が詰まっている。

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会場には、色川先生の著書(三木さんの蔵書)が展示され、『新沖縄文学』紙面で新川明、川満信一、仲宗根勇各氏の思想「共和社会」への記事・対談記事が展示され学びの場にもなった。 その著作は約76冊で…スゴイ仕事だと…眺めていると色川先生がそばに来て解説などいただいた。いろいろお話できて恐縮と感激であった。
 会場では太田昌秀先生、上野千鶴子先生、仲宗根勇氏も挨拶。先輩方は気骨はスゴイ!と感じいった時間でした。
 来沖条件が辺野古への案内だったそうで…前日には辺野古と上野先生講演(琉球新報主催)に参加されてからの、<囲む集い>での講演、本当に頭が下がるとともに、自身のだらけたあり様に反省もした、貴重な時間であった。

2014年9月25日 (木)

2014年9月14・15日「さまよえる民主制」シンポジウム参加

2014年9月14・15日に早稲田大学アジア研究機構主催の「さまよえる民主制」シンポジウム(会場:沖縄県立博物館講義室)に、15日にパネリストで参加した。刺激のある時間で、日頃交流出来ない先生方の話を聞き、多くの事を学び楽しく過ごしました。
 早稲田大学アジア研究機構第8回次世代国際研究大会で、同機関の八尾祥平さんがコーディネート。
 大会趣旨「 いま、東アジア・東南アジアでは民主主義の成熟度や民主制のあり方を根底から問い直すことこそが求められている。2014年から2015年にかけて東アジア・東南アジアの各地で国政選挙が行われる。国政選挙によって政権交代が起こる国がある一方で、タイにおける民衆の直接行動にみられるような議会制のみでは反映しつくせない民意がわきおこる国もあらわれている。当大会では、こうしたアジア各地における民主制をめぐる現状を一国内の枠組みにとどめて分析するのではなく、国境を越えるグローバルな視座から、さらには「周縁」におかれる人びとの視点から捉えなおすことを通じて、東アジア・東南アジアにおける平和的な国際秩序構築を模索するための討議の場としたい。」

<プログラム> 総合司会:八尾祥平(早稲田大学)
◇9月14日(日) 13:00-18:20
* 開会の辞:小口彦太(早稲田大学)
* 記念トークセッション:  『永続敗戦論』を沖縄からみつめなおす  白井聡(文化学園大学)  × 仲里効(雑誌『EDGE』元編集長) × 長元朝浩(沖縄 タイムス) × 松元剛(琉球新報)
* 国際学生ワークショップ: 司会 八尾祥平 報告者:平井新(早稲田大学)、林彦瑜(国立台湾大学)、施懿倫(国立政治大学) コメンテーター:呉叡人(中央研究院)、陳姃湲(中央研究院)

◇9月15日(月) 13:00~
*記念講演: 「方法としてのゾミア(野生のデモクラシー)」 土佐弘之(神戸大学)
*報告セッション: 「アメリカの民主制・安全保障とアジア」
 ・報告者:マニュエル・ヤン 討論者:野入直美(琉球大学)
 ・総合討論: 司会 八尾祥平 討論者:粟国恭子(沖縄文化工芸研究所) 川満信一(詩人) 呉叡人 白井聡 土佐弘之 仲里効 マニュエル・ヤン 山田満(早稲田大学)

言語:日本語・北京語・英語 共催:科学研究費補助金基盤研究(A) 「二〇世紀東アジアをめぐる人の移動と社会統合に関する総合的研究」(研究代表:蘭信三[上智大学])、早稲田大学アジア研究機構
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 コーディネーターの早稲田大学の八尾さんから参加依頼があった際に、「さまよえる民主制」で、どのようなコメントが出来るのかを少し考えたがいい機会なので引き受けた。
 これまでほとんど話してこなかった私が、なぜ沖縄で民族学(文化人類学)や民俗学を学び実践しているのか、それがどのような意味を持つのか自身の考えを短い間話した。人のあり様で<国家を超える>思考の中で時代と人々が自立する意味をよく考えられる学問だと考えていることを、これまで自身の過ごした時間と訪れた場所を紹介した。沖縄で思考することの今日的な意味を話したつもりである。
2014 1980年代後半から今日までの約25年…沖縄(ほとんどの有人等歩いた)を中心に台湾、韓国・九州・南九州の島々、インドネシア、中国など東アジアをうろうろしている。
1980年代にアジアへと向かう沖縄研究動向に影響されていることを改めて確認した。日本国家(対日本)の思考から逃れ、アジアへと拡散する思考こそ重要だったあの時代…しかし21世紀に入り、その思考(思想)は薄れどうも窮屈な言説が目立つ今日…改めて自身の行動・思考原点の大切にしたいと思っています。
 

2014年7月30日 (水)

190回シマ研究会発表 in 沖縄国際大学南島文化研究所発表

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 沖縄国際大学南島文化研究所の第190回シマ研究会で研究発表しました。

*期 日 :2014年7月14日(月)午後4時20分~5時50分
*会 場 :沖縄国際大学13号館1階会議室
*申込不要・無料
*内容タイトル:「近代沖縄と博覧会ー近代システムと文化表象ー」
*講 師 :粟国恭子氏(南島文化研究所特別研究員、沖縄国際大学・沖縄県立芸術大学 非常勤講師)
*コメンテーター:来間泰男氏(南島文化研究所特別研究員)
*司 会:石垣直氏(沖縄国際大学総合文化学部准教授) 

 発表は近年機会があるたびに話している「近代沖縄と博覧会ー近代システムと文化表象ー」の問題です。
 近代沖縄研究で研究成果のほとんどない初期県政から明治期の内国勧業博覧会と沖縄のモノづくりの世界を資料を提示して発表しました。この問題は東アジア・女性史などの領域ともリンクする重要な問題だと思っています。また新たな近代史研究の視点と思います。従来の沖縄歴史、地域史、民俗学の視点で欠落している部分で、自己反省を込めて近年資料を収集しています。
 琉球処分時から明治期には、旧慣温存期においても<近代システム>の中に沖縄社会が組み込まれていく(事実賛美をしているのでもなく事実確認が研究です)あり様を示しました。会場でのコメンテーターは、このテーマで九州八県連合共進会の研究をされている来間泰男先生(経済)、田名真之先生(琉球史)、石垣直先生(文化人類学)からコメントをいただきました。
*この発表は沖縄国際大学HPのニューストピックで、発表様子や会場の各先生のコメント様子など写真付きのニュースとして確認きたのですが、2014年12月段階ではなぜか確認できなくなっていました。不思議です。
記録ニュースとしては復活していただきたいと思います

2014年6月28日 (土)

講座「工芸の美意識」担当 (芸術人類学の試み)

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 平成26年度沖縄県立芸術大学附属研究所文化講座「沖縄の美意識」(全14回)の8回目「工芸の美意識」(6月11日水曜日:粟国恭子)を担当しました。
 梅雨の天気が不安定な時期ですが夜7時からの講座は、毎回100名程度の参加者です。
この「工芸の美意識」は主催者側で提供されたテーマになりました。
 担当するにあたって<美意識>という概念は近代的で、先ず<意識化>されているかどうかもという問題もそうですが、工芸の各分野の技術・文様・造形などの特徴を通して視る美ではなくて、<工芸>といった全般的なテーマに…かなり悩みました。
 話は、好きな第一尚氏に造られた龍潭池の世持ち橋(この場所に移されたのは1611年)の造形と、崇元寺の装飾、民具の造形、祭祀道具・装飾を通して<聖なるもの>のイメージとしての造形から東アジア・東南アジアに通じる文様と独自の感覚を説明しました。そして自然(空飛ぶもの)の表現の仕方(主に紅型)を通して、美意識の変化があった事にも触れました。
 悩んだ通り、少し大雑把な資料提示になってしまって多いに反省。 しかし私自身は多いに楽しみました。
 この後の紅型や絣、染織、陶芸、漆器、建築の美意識について専門の各先生方の話を通してしっかりと理解したいと思っています。
 
 「沖縄の美意識」内容はこちらを参考にしてください。http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/2014-2d18.html

2014年6月27日 (金)

2014年6月14日の鎌倉芳太郎展関連シンポジウム「”琉球芸術”への今日的視座」

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 2014年5月20日~6月22日まで開催されている展覧会「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美ー」関連シンポジウムにパネリスト参加しました。
 2014年6月12日(土午後2時から4時30分(会場:沖縄県立博物館・美術館講堂))シンポジウムの第Ⅰ部は「”琉球芸術”への今日視座」。4人のパネリストでした。内容は「琉球絵画と自然・絵師の視点など」(渡久地健氏)、「首里城の復元プロジェクトの話」(平良啓氏)、「琉球漆器研究と鎌倉資料の話」(岡本亜紀氏、、私(粟国恭子)は「琉球芸術と鎌倉芳太郎の写真」でテーマ発表しました。大変細かい話の展開に大変興味深く学びました。
 二部は「パネルディスカッション「<鎌倉資料が現在の沖縄に物語ること」と題した合同討議。
 約130名の熱心な参加者が集まりました。