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文化・芸術

2014年6月28日 (土)

講座「工芸の美意識」担当 (芸術人類学の試み)

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 平成26年度沖縄県立芸術大学附属研究所文化講座「沖縄の美意識」(全14回)の8回目「工芸の美意識」(6月11日水曜日:粟国恭子)を担当しました。
 梅雨の天気が不安定な時期ですが夜7時からの講座は、毎回100名程度の参加者です。
この「工芸の美意識」は主催者側で提供されたテーマになりました。
 担当するにあたって<美意識>という概念は近代的で、先ず<意識化>されているかどうかもという問題もそうですが、工芸の各分野の技術・文様・造形などの特徴を通して視る美ではなくて、<工芸>といった全般的なテーマに…かなり悩みました。
 話は、好きな第一尚氏に造られた龍潭池の世持ち橋(この場所に移されたのは1611年)の造形と、崇元寺の装飾、民具の造形、祭祀道具・装飾を通して<聖なるもの>のイメージとしての造形から東アジア・東南アジアに通じる文様と独自の感覚を説明しました。そして自然(空飛ぶもの)の表現の仕方(主に紅型)を通して、美意識の変化があった事にも触れました。
 悩んだ通り、少し大雑把な資料提示になってしまって多いに反省。 しかし私自身は多いに楽しみました。
 この後の紅型や絣、染織、陶芸、漆器、建築の美意識について専門の各先生方の話を通してしっかりと理解したいと思っています。
 
 「沖縄の美意識」内容はこちらを参考にしてください。http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/2014-2d18.html

2014年6月27日 (金)

2014年6月14日の鎌倉芳太郎展関連シンポジウム「”琉球芸術”への今日的視座」

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 2014年5月20日~6月22日まで開催されている展覧会「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美ー」関連シンポジウムにパネリスト参加しました。
 2014年6月12日(土午後2時から4時30分(会場:沖縄県立博物館・美術館講堂))シンポジウムの第Ⅰ部は「”琉球芸術”への今日視座」。4人のパネリストでした。内容は「琉球絵画と自然・絵師の視点など」(渡久地健氏)、「首里城の復元プロジェクトの話」(平良啓氏)、「琉球漆器研究と鎌倉資料の話」(岡本亜紀氏、、私(粟国恭子)は「琉球芸術と鎌倉芳太郎の写真」でテーマ発表しました。大変細かい話の展開に大変興味深く学びました。
 二部は「パネルディスカッション「<鎌倉資料が現在の沖縄に物語ること」と題した合同討議。
 約130名の熱心な参加者が集まりました。

2014年6月22日 (日)

2014年 鎌倉芳太郎関連展示会「麗しき琉球の記憶」

2014_2 「麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美ー」は、沖縄県立博物館・美術館で2014年5月20日~6月22日(日)まで開催されている展覧会です。

 展覧会準備のお手伝いをしました。個人所有の森芳太郎、鎌倉自身の著作なども展示提供しました。
 鎌倉資料関係の展示会は、戦後6回ほど開催されていますが、今回は鎌倉資料紹介というよりも、鎌倉が東京美術学校を卒業して沖縄女子師範学校に赴任した大正10年からのべ6年間に魅了され調査された(写真や調査ノートなどの資料)琉球芸術の世界を紹介しています。戦後残された資料と合わせて展示することで時代の中で、また戦争でうしなった<琉球の文化>の美に触れる目的で開催されています。
 
 戦前に記録された琉球芸術の写真などとそれらが戦禍をくぐりぬけて断片的な形で残され展示されている会場にたたずむ時、<破壊>をもたらす戦争の意味を考えます。
 約70年前は、沖縄戦末期。この時期に沖縄社会が失った人々・もののをどのように今日の沖縄が身体化された記憶として継承できるかが問われている時代ではないでしょか?

2014年3月16日 (日)

2014年3月第2回戦後沖縄研究8うコロキウム 発表「戦後沖縄における工芸復興と観光」

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 2014年3月15日(土)に第2回戦後沖縄研究コロキウム「戦後沖縄におけるトライアングル・コンタクトー美術と工芸の1945-1955-」(会場:浦添市美術館)で企画・開催しました。
  年齢もキャリアも幅のあるパネリスト7人が、戦後10年間の美術及び工芸シーンを提示。従来の戦後美術の研究は、西森(ニシムイ:戦後の美術家達グループの集まったエリア)の話になることが多いが今回は、多様な視点から(山田眞山や慰霊と美術、写真、民芸、漆芸、陶芸)発表がなされた。持ち時間は各自20分であったが其々が新鮮な発表であった。また従来と比較しても詳細な事例確認がされ、パネリストをはじめ参加者もお互いに戦後10年間の美術と工芸をめぐる在り様が共有できたのではないか。有意義な時間であった。50名ほどの参加者にも概ね好評。
 私(粟国恭子)は、最後に「戦後沖縄における工芸復興と観光ー思い出のスーベニア(土産)と占領文化ー」と題して発表した。
 レジュメ集は作成し配布したが7本の発表は原稿化して本にできないものか…個人的にほしい!と単純に思えた。

*内容・プログラムなどは「戦後沖縄研究コロキウム」(グーグルHP)でご覧いただけます。

2013年11月 4日 (月)

2013年度法政大学「沖縄を考える」講座担当

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 2013年度法政大学沖縄文化研究所が主催する総合講座後期「沖縄を考える」(全13回)の6回目を担当するために東京へ出向きました。
 2013年10月25日(金)午後3時10分~から「戦後沖縄における文化政策と表象」について話ました。1945年から1955年の10年間に絞って、戦後沖縄の混乱する中展開された文化政策のあり様、<文化>をめぐる人々活動を、情報が伝わるようにたくさんのビジュアル資料を使って話ました、
 また10月25日は、渋沢敬三(実業家・民具学・民族学者)の没50年にも当る日でもあったので、「戦後沖縄と渋沢敬三」についても紹介しました。
 大勢の学生さんと、この講座は一般の方も参加でき、沖縄文化研究所研究員の皆さんも大勢の方が参加されて、さすがに都市圏大学の講座風景は違うんだなーと思いながら、楽しくお話をさせていただきました。
 欲張って概要的で情報過多の構成された講義内容を、理解していただけるか心配しましたが、講義後の感想を読ませていただくと概ね関心を持ってもらったようで安心しました。
 時代は戦後沖縄の10年間に絞りましたが、今日に繋がる大きなテーマは、<沖縄を正しく知る>ことの意味、<沖縄文化>をつなぐという事の意味を感じて欲しいということでした。
 講座の趣旨「沖縄を考える」ことを、多くの学生さんの一人一人の思考に繋がってもらえれば幸いです。
 中には沖縄出身の学生さんもコメントを寄せられていて、学びの場・時間を共有できて喜んでいます。
 お世話になりました。

2013年8月14日 (水)

<時代の空>と<ひこうき雲>ー映画「風立ちぬ」

 Photo宮崎駿監督「風立ちぬ」を観た。
 
大正・昭和期にゼロ戦(三菱AM1海軍零式艦上戦闘機:1940年から3年間ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機だった)をデザイン製作した実在の人物(堀越二郎)と、堀辰雄「風立ちぬ」のモチーフを混ぜた人物が主人公のアニメですが大人の映画で、大ヒットしていると…。

 その主人公は、ひたむきに子供の頃からの夢(飛行機つくり)を追いかけ、戦争の時代の中にあっても失敗を経験しながらも戦闘機を製作し続ける。
 
ある意味清清しくもあり。「自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたい」(宮崎監督)そして、その清清しさと共にある狂気にも似た純粋さ…。時代・他者の評価とは距離を置いた<個人のひたむきさ>の刹那ささえも描き出す。40年前にヒットしたユーミン(荒井由美時代)の「ひこうき雲」が主題歌で、映画にシンクロ効果を与えている。。
 主人公の姿は、
好きな世界(アニメ製作)の中でひたむきに生きた宮崎駿監督の姿にも重なるようです。韓国で批判が起こっているようですが、戦争賛美でもなく、その逆ではないでしょうか。堀越ゼロ戦闘機は、衝撃的誕生の1940年から約3年しかその能力が発揮されなかった。終戦後は他国(米軍)の圧倒的な軍事能力の戦闘機の前では、太刀打ちさえできずに…科学技術の<敗北>を味わう歴史を残している。
 映画パンフレットの真ん中見開きいっぱいに飛行機のゼロ戦残骸の広がる紙面(折込見開きということは4頁分)に、クリスティーナー・ロセッティ(訳:西條八十)の「風」という詩がのっていました。有名な詩ですね。

 この映画を作った監督の人生観・時代観が伝わる。ある意味、私達の存在・<生>は、風のように通りすぎる時代を生きているだけなのでしょう。

   「風」

誰が風を 見たでしょう。
僕もあなたも 見やしない。
けれど木の葉を ふるわせて
風は通りぬけてゆく
誰が風を 見たでしょう。
あなたも僕も  見やしない
けれど樹立が、頭をさげて
風は通りすぎてゆく

 飛行機(素材は金属で、金属文化と深くかかわる20世紀の道具)…ゼロ戦に乗っていた若者達も命を落とし、米軍軍用機B29から多くの砲弾が落とされ、原爆投下飛行機のパイロットは、戦後精神を病み。飛行機はどこか<死の匂い>が漂っていると…

 戦後の沖縄では、米軍軍用飛行機やヘリが墜落事故を起こすことも少なくない。9年前の813日には、沖縄国際大学に米軍用ヘリが落ち、数週間前にも訓練中のヘリが同様な事故が本島北部でおき、燃えていました。
 そして2013年8月12日には、沖縄へオスプレイ追加配備されていく。
 
そんな<風>と<ひこう機>の、2013年の夏。
 沖縄に吹く時代の風と、沖縄で観る「風立ちぬ」…複雑な思いが立ち上がる。

2013年7月17日 (水)

2013年度沖縄文化協会公開発表会 IN 首里に参加

 2013年度の沖縄文化協会公開発表会が、7月14日(日)に那覇市首里の沖縄県立芸術大学で開催されました。
 毎年海の日に近い週末に開催されています。1年で一番暑い季節です。
 2会場に分かれて、18本(発表20分質疑応答10分)の研究発表がありました。文学・音楽・工芸・歴史・文化人類学などの幅広い内容。大学院生から本職の研究者まで多彩な顔ぶれです。韓国や中国からの留学生の発表もあり、沖縄研究は、年々多様になっています。
 発表内容の詳細は、以下の沖縄文化協会HPをご覧ください。
http://www17.ocn.ne.jp/~amayo/

 私は、工芸関係2本(漆芸、織物)の発表者を紹介することになりました。研究会ですから質問も盛んになされ、発表者の考えを聞くチャンスです。質問される側は大変だと思いますが…。
 なかなか有意義な時間になりました。

2013年5月16日 (木)

41年目の「復帰」記念日 5月15日

 昨日の5月15日は、沖縄では41年目の<復帰>記念日。
梅雨入りした沖縄では、夕方になると大雨・竜巻・雷雨注意報などなど激しい雨と風の天気になった。41年前の5月15日も激しい雨の中(「涙雨」と呼ばれたそう)、<復帰>記念式典を含め<復帰>を問う様々な催しが開催された。
 それから41年目のこの日前後・当日もいろいろな催しが…。
 私は、大学講義があったので、その一つで(過日は他の大学など3講義で)、<民族>問題、異文化接触、「国民」化の問題を通して<戦後沖縄社会文化>のあり様をビデオと作成資料を紹介しました。意外にも平成生まれの学生達は真剣に聞き、コメントもしっかり書いてくれた。
 私のできる小さな小さなことで、学生達(合計で360名くらい)に事実確認と情報・知識を伝え学生の思考を刺激したつもりである。考えてみる事項(内容)になることが大事…。「知らない」ことと「無関心」が広がることが悲しい。真面目な学生たちのコメントを読んで、「知りたくない・無関心」なのではなく、きちんと「知らされていないのではないだろうか」という思いすら立ち上がる。若い世代に届く伝え方が重要なのかもしれません。
 それぞれ自身でできることをして、<思考の種>の芽吹きに繋げたらいいのではないかと思う。
 ただ現在(過去も)沖縄を取り巻く状況は、様々な立場や思惑が存在していて、全体を俯瞰するには、なかなかの複雑さもあったり。ネットなどで様々な情報が飛び交い、いろいろな形のネットワークの輪が幾重にも誕生する時代で…。様々な語りが存在している。「解釈なき事実」の見極めが中々難しい情報も多い。
 若い世代だけでなく、私たちも知らないことも多い<現代沖縄>社会のあり様についてきちんと対応反応できるよう(難しいけれど)歩いていかなければと…嵐の夜に改めて思う。

2013年3月16日 (土)

文化人類学者・山口昌男 永眠

 2013年3月10日に文化人類学者・山口昌男(1931年8月20日生まれ)がなくなった。享年81歳。
1980年代後半に文化人類学という学問に触れた一人であるが、当時は山口昌男や中沢新一・浅田彰といった存在が影響力を少なからず持っていた。
 社会や文化における「トリックスター(道化)」や「中心と周辺」の理論ー差別や抑圧される側とそれを生み出す権力とその表裏の関係性を、それまでの概念と違った形で学んだ。文化<笑い>をめぐる側面も興味深く…。
 モーツアルトをライバル視した存在のサリエルになぞらえて、近しい友(後輩に)「サリエルになるなよ」の言葉を語っていたようだ。Book asashi.comに中沢新一が追悼文を寄せている。
 沖縄や鹿児島でのフィールド調査の模様を先輩に聞き、著作に触れる程度の、遠い存在の研究者でしたが、文化人類学への興味を広げてくれた存在でした。
 本棚には複数の著作が並んでいるが、追悼には『<敗者>の精神史』と『<挫折>の昭和史』を披いてその仕事に触れたいと思う。

 16日午前に東京府中市で告別式がいとなまれる。 合掌

2013年2月28日 (木)

漆工史学会編『漆工辞典』執筆担当

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 漆工史学会(荒川浩和会長)の設立30周年記念事業として『漆工辞典』が編纂・刊行されました。 2012年11月30日、角川学芸出版からの発行です。日本・アジアを含む漆工分野の約1450項目が選ばれ、琉球漆器の項目も多く入っているのが特徴となっている。
 私も「琉球漆器考」と「紅房」、「漆器工業調査報告」の項目執筆を担当した。

 『琉球漆器考』は石澤兵吾編集の琉球漆器の古文献で、明治22年に東陽堂から刊行されて、琉球漆器では広く知られている文献ではあるが、今回はその成立背景などもふれた解説になっている。
 「紅房」(べんぼう)も近現代沖縄で活動した琉球漆器工房。1927年に成立し2001年廃業まで近代以降新しい琉球漆器の活動を展開している。
 「漆器工業調査報告」は、工業試験所(東京)技師であった三山喜三郎がまとめた琉球を含む全国主要産地の漆器聖像に関する、明治43年発行の文献である。三山が明治41年にまとめた「琉球漆器調査報告」は研究者間でもあまり知られていない。「琉球漆器考」と「琉球漆器調査報告」は近代期の琉球漆器を理解する上で重要な資料となっている。