研究発表「沖縄民俗研究の視角を拓く-末吉安恭・南方熊楠熊楠の民俗研究・そして金城朝永へー」
今年は2会場に分かれ、24名の研究発表がありました、
B会場午前に粟国恭子「沖縄民俗研究の視角を拓くー末吉安恭・南方熊楠の民俗研究・そして金城朝永へー」と題して発表しました。
今年は、昨年の末吉安恭(麦門冬)没90年に続いて、金城朝永没60年の年。そして戦後70年でもあります。
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現代俳句協会沖縄支部では、毎年慰霊の日前後に<沖縄忌>にちなんで俳句大会を開催するそうです。
全国会員は約7000名、沖縄支部会員は47名ということでした。
<沖縄忌>大会では、会員の皆さんが俳句をよみ約300の中から大賞等入賞作品が選ばれ、表彰式もありました。
戦後70年の記念すべき大会13回の記念講演で、末吉安恭(麦門冬)の話をしました、
*2015年6月6日(土)午後2時~
*講師:粟国恭子
*題目:「末吉安恭(麦門冬)ー首里士族の教養の世界&近代の文化観ー」
*会場:沖縄県那覇市てぃるる
末吉安恭(麦門冬)の人とtなりを紹介し、38歳大正13年に亡くなった博覧強記の彼は、もっぱら俳人としての評価が高かったこと、そして正岡子規に影響されて『文庫』や、『スバル』といった雑誌に作品を投稿していたことなども紹介。
20代前半の安恭の俳句や短歌の作品を紹介しました。
私は俳句の素養が少ししかないので、専門家を前にいつもの講演よりは緊張しました。
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私が末吉安恭と南方熊楠の関係に興味を持ったのは、24年前のことだ。社会人になりたての頃で…。
1990年7月から12月の半年間、沖縄地元の新聞紙『沖縄タイムス』の文化面コラム「唐獅子」を担当(13回)した時に「終わりの無い作業」(11月22日掲載)というタイトルで書いた時期だ。以下がその時の文章。
「終わりの無い作業」
人は、多々ある情報をどのように頭の中で整理しているのだろうか。
未熟な判断から別々の整理箱の中に仕舞い込み関連性の薄いと思っていた情報が、時として重いもかけない展開で結びつくことがある。その偶然性が強いほど、刺激的に豊かなイメージが広がる経験は、一つの〈事件〉である。
先日、1945年以前の県外発行雑誌の沖縄関連記事を集めた「沖縄学の萌芽展」が県立図書館で開催された。記事目録を見て気が付いた。
南方熊楠が4編ほど沖縄関係の短い文章を書いている。人類学・民俗学から粘菌観察など幅広い博物学的な知識とその強烈な個性を持つ南方熊楠は、最近見直され、注目されている人物である。
一つは、「出産と蟹」。その中で、沖縄のジャーナリストとして活躍した末吉麦門冬(末吉恭)の〈博覧強記〉を驚き、その考証を「凌駕(りょうが)するもの多し」と評価している。
そのほか『球陽』を読みその内容を事例として紹介した「琉球の鬼餅」、石垣島や与那国の事例に触発されて書かれた「椰子蟹に関する俗信」や方言学、沖縄学研究者・金城朝永の「琉球の猥談」を読み書かれた「一目の虫」、「煉粉を塗る話」などがある。
南方熊楠が小さいながら、〈琉球への視点〉を持っていた事を知り、そのきっかけを与えた末吉麦門冬や金城朝永を新しい側面から捉えられると思うと〈うれしい〉気分である。
ある事柄への情報を持つ事は、一つ一つのパーツを組み立てて完成されるものでもない。
偶然のわくわくする〈事件〉と出会いながら自由に、そしてしなやかな変化を続けていく種類のものである。その整理箱の中を引っかき回したり、時に中身をそこら中に散乱させたままでいたり、懲りもぜす腕組みをして箱の中に並び帰る作業に似ている。それは終わりの無い、けれどスリリングな作業である。
末吉安恭のこれまでの研究の流れを紹介します。
*没50年(1974)以前→大城立裕『沖縄の百年第1巻 近代沖縄の人びと』「末吉麦門冬」で取り上げた(1969年)。人物紹介としては先駆けの仕事になる。
*没60年(1984)→実弟・末吉安久氏:著作集刊行計画。岡本恵徳・仲程昌徳・新城栄徳・伊佐眞一(『琉文手帖2号』)
* 没70年(1994)→仲程・岡本恵徳・新城『沖縄近代文芸作品集』新沖縄文学別冊、1991)、粟国恭子(タイムス紙面連載36回・新聞資料発掘・南方熊楠資料・『球陽』写本・絵葉書)
* 没80年(2004)→新城栄徳、南方熊楠(安恭書簡):池宮正治・崎原綾乃・小峰和行、粟国恭子論文(鎌倉芳太郎との交流)など。沖縄県立芸術大学附属研究所沖縄学講座でも担当(粟国) https://aguni-kyoko.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-49ca.html
* 没90年(2014)→新城「琉文21」サイトで情報アップ。関連図書刊行への動き(今回の研究会)
日本
との間で―伊波普猷・帝大卒論への道」(『琉球新報』2010年10月〜2014年8月、140回連載)6、新城栄徳(しんじょう・えいとく)1948年 粟国島生まれ
□所属・専門領域:「琉文21」主宰、『琉文手帖』発行人 好事家
新城栄徳氏の開設しているブログ「琉文21」に、末吉安恭(麦門冬)の俳句が紹介されている。http://ryubun21.net/index.php?itemid=6812
以前から関心を持っている近代沖縄の博覧強記を代表する人物で、魅かれる人物の一人。俳句もなかなかいいのです。
今回紹介された句から 「月の方へ 蔭の方へと 踊りけり」
とても言葉のリズムが、その心情をも伺わせるようないい句ではないでしょうか。
明治19年生れの安恭が、23歳の時に詠んだうた。若かさもいい感じです。魅かれる人物の作品は、どこか贔屓目に受け入れる。
2013年、今夜の月もなかなか美しい。
2012年6月6日(水)に、沖縄県立芸術大学附属研究所提供の沖縄学講座「沖縄文化の”美”の発見者たち」シリーズの第8回で「沖縄文化の個性を求めて② 末吉安恭(麦門冬)」を担当しました。 末吉安恭(麦門冬)は、明治大正の沖縄文化(俳句短歌、文学、芸能、民俗学、歴史、美術)の幅広い分野で、伊波普猷、真境名安興と共に当時の「琉球文化史の三羽烏」といわれた人物で、生涯新聞記者(ジャーナリスト)である。38歳で若い時期になくなることから、あまり光が当たっていない。
新城栄徳、伊佐眞一、仲程昌徳各氏の専攻研究がある中で1993年ごろから資料を集めたり、原稿で発表したりしている。安恭の著作集の1冊も出せていないことはl、研究者として多いに反省する。
民俗学からみれば、折口信夫、南方熊楠との交流、大正期の郷土研究などの活動が重要である。
伊波普猷との関わり、尚順が安恭を詠んだ歌など紹介しながら近代の沖縄文化に向き合った当時の人間関係なども話た。下の尚順が詠んだ歌である。
数奇閲歴麦門冬
俳句和歌一代宗
萬巻遺書塡巨館
猶留眼底半酣容
沖縄学講座シリーズは14回まで内容はこちら↓
http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-280c.html
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