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末吉安恭

2015年6月29日 (月)

研究発表「沖縄民俗研究の視角を拓く-末吉安恭・南方熊楠熊楠の民俗研究・そして金城朝永へー」

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  2015年度沖縄文化協会公開研究会が、2015年6月27日(土)、沖縄国際大学を会場に開催されました。
 今年は2会場に分かれ、24名の研究発表がありました、
 B会場午前に粟国恭子「沖縄民俗研究の視角を拓くー末吉安恭・南方熊楠の民俗研究・そして金城朝永へー」と題して発表しました。
 今年は、昨年の末吉安恭(麦門冬)没90年に続いて、金城朝永没60年の年。そして戦後70年でもあります。
この3人の交流や研究を詳細にたどることで、 従来の沖縄における民俗研究史の認識を修正し、沖縄からの主体的な民俗研究の過去のあり様を捉えるものであり、研究テーマの断絶の問題を取り上げます。20150627_2
 20年ほど前から手掛けるテーマ(例:性に関係する事例)と、新しく確認された金城朝永の仕事を紹介し、その視点は、末吉安恭の沖縄民俗研究に繋がるものであるという、内容の話をしました。
 今回はm末吉安恭の芸能関係の研究をする崎原綾乃さんも発表を行いました。
 

2015年6月10日 (水)

2015年6月6日 現代俳句協会沖縄支部沖縄忌 記念講演 

20150606 現代俳句協会沖縄支部では、毎年慰霊の日前後に<沖縄忌>にちなんで俳句大会を開催するそうです。
全国会員は約7000名、沖縄支部会員は47名ということでした。
 <沖縄忌>大会では、会員の皆さんが俳句をよみ約300の中から大賞等入賞作品が選ばれ、表彰式もありました。
 戦後70年の記念すべき大会13回の記念講演で、末吉安恭(麦門冬)の話をしました、

*2015年6月6日(土)午後2時~
*講師:粟国恭子
*題目:「末吉安恭(麦門冬)ー首里士族の教養の世界&近代の文化観ー」
*会場:沖縄県那覇市てぃるる
 20150606_2
末吉安恭
(麦門冬)の人とtなりを紹介し、38歳大正13年に亡くなった博覧強記の彼は、もっぱら俳人としての評価が高かったこと、そして正岡子規に影響されて『文庫』や、『スバル』といった雑誌に作品を投稿していたことなども紹介。
 20代前半の安恭の俳句や短歌の作品を紹介しました。

 私は俳句の素養が少ししかないので、専門家を前にいつもの講演よりは緊張しました。

2015年4月20日 (月)

論文「鎌倉芳太郎と写真ー琉球芸術写真の文化史ー」

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 粟国恭子論文「鎌倉芳太郎と写真―琉球芸術写真の文化史ー」『沖縄芸術の科学』27号97頁~124頁(沖縄県立芸術大学附属研究所紀要、2105年3月31日:ISSN-0914-9074)を発表しました。近代沖縄の写真論です。

<内容>
はじめに
1、近代沖縄における<写真>
2、初期琉球文化調査の写真―琉球芸術との出会いー

 1)、琉球文化基礎調査―若き日の<美術>認識―
 2)東京美術学校と古社寺保存法
3、「琉球芸術調査」の記録写真―鎌倉の残した写真の特徴―
 1)鎌倉の写真と技術―森芳太郎との出会い―
 2)「琉球芸術調査」写真撮影のための写真機材
 3)「琉球芸術調査」と写真―鎌倉にとっての写真とはー
 4)写真の中の琉球芸術―「琉球芸術調査」の写真
 5)「新即物主義」写真理念を鎌倉流にー優秀な記録者・幸運な実現者
4、琉球芸術の調査写真における文化表象―評価の再構成・5つの波―
おわりにー今後の研究課題の視点―、

2014年12月 8日 (月)

脱清人・毛有慶(亀川盛棟)と末吉安恭・伊波普猷など

Photo

 末吉安恭没70年にあたる1994年に『沖縄タイムス』で「人物列伝・沖縄言論百年 末吉麦門冬」を担当した際、1911年に安恭(麦門冬)が手にした脱清人・毛有慶(亀川盛棟)の詩集『竹陰詩稿』との関係を紹介し、伊波普猷や来沖した横山健堂(ジャーナリスト)に紹介した経緯(⑬8月30日、⑭8月31日)を紹介した。その後、毛有慶の『竹陰詩稿』詩の詩が伊波普猷の『古琉球』(1911)や横山『薩摩と琉球』(1914)に収録されることになる。
 末吉安恭や伊波普猷と脱清人・毛有慶との関係に触れた記事としては、私のこの連載記事は早いものであった。
 この脱新人・毛有慶の詩集とのエピソードもふくめ、1997年には論文「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)との交流」(『浦添市立図書館紀要N0、8』)にした。
 この毛有慶の詩(漢詩)が広く紹介されるようになったのは、その後新聞紙面で上里賢一先生が琉球漢詩の連載企画で紹介されたことによる。ちなみに『竹陰詩稿』そのものは確認されていない。Photo_2
上里先生は論文「琉球漢詩・最後の光芒;毛有慶(亀川盛棟)」(『文學』9巻3号、1998)をまとめられた。
 また、1879年の「琉球処分」から130年後の2009年には、この時期の琉球史が注目され、地元の新聞紙面でも多く連載があった。その中で『球新報報』の<「琉球処分」を問う>で、脱清人が注目された。連載は新報新書として2010年に刊行。「漢詩文から見る救国運動」を担当した上里賢一先生が、林世功の漢詩とともに、「毛有慶の憂憤ー反骨と芸術胸に二度渡清」と題して詳しく毛有慶の紹介をしている。
 

2014年12月 5日 (金)

末吉安恭と南方熊楠、そして金城朝永

,Photo_3  私が末吉安恭と南方熊楠の関係に興味を持ったのは、24年前のことだ。社会人になりたての頃で…。
 1990年7月から12月の半年間、沖縄地元の新聞紙『沖縄タイムス』の文化面コラム「唐獅子」を担当(13回)した時に「終わりの無い作業」(11月22日掲載)というタイトルで書いた時期だ。以下がその時の文章。

 「終わりの無い作業」
 人は、多々ある情報をどのように頭の中で整理しているのだろうか。
 未熟な判断から別々の整理箱の中に仕舞い込み関連性の薄いと思っていた情報が、時として重いもかけない展開で結びつくことがある。その偶然性が強いほど、刺激的に豊かなイメージが広がる経験は、一つの〈事件〉である。
 先日、1945年以前の県外発行雑誌の沖縄関連記事を集めた「沖縄学の萌芽展」が県立図書館で開催された。記事目録を見て気が付いた。
 南方熊楠が4編ほど沖縄関係の短い文章を書いている。人類学・民俗学から粘菌観察など幅広い博物学的な知識とその強烈な個性を持つ南方熊楠は、最近見直され、注目されている人物である。
 一つは、「出産と蟹」。その中で、沖縄のジャーナリストとして活躍した末吉麦門冬(末吉恭)の〈博覧強記〉を驚き、その考証を「凌駕(りょうが)するもの多し」と評価している。
 そのほか『球陽』を読みその内容を事例として紹介した「琉球の鬼餅」、石垣島や与那国の事例に触発されて書かれた「椰子蟹に関する俗信」や方言学、沖縄学研究者・金城朝永の「琉球の猥談」を読み書かれた「一目の虫」、「煉粉を塗る話」などがある。
 南方熊楠が小さいながら、〈琉球への視点〉を持っていた事を知り、そのきっかけを与えた末吉麦門冬や金城朝永を新しい側面から捉えられると思うと〈うれしい〉気分である。
 ある事柄への情報を持つ事は、一つ一つのパーツを組み立てて完成されるものでもない。
 偶然のわくわくする〈事件〉と出会いながら自由に、そしてしなやかな変化を続けていく種類のものである。その整理箱の中を引っかき回したり、時に中身をそこら中に散乱させたままでいたり、懲りもぜす腕組みをして箱の中に並び帰る作業に似ている。それは終わりの無い、けれどスリリングな作業である。

************************Photo_4
 終わりの無い作業は、その後1994年8月からの『沖縄たいむす』紙面での末吉麦門冬(安恭)についての連載36回に繋がっている。丁度安恭の没70年にあたる年であった。その年に和歌山県田辺市の南方熊楠宅にも訪問。熊楠資料整理プロジェクトに大勢の研究者が関わっていた。そこにお邪魔をして沖縄関係資料の調査をしたことが思い出される。

 そして今年は安恭没90年…終わりの無い作業はまだ続いている。

末吉安恭(麦門冬)の従来研究

末吉安恭のこれまでの研究の流れを紹介します。

*没50年(1974)以前→大城立裕『沖縄の百年第1巻 近代沖縄の人びと』「末吉麦門冬」で取り上げた(1969年)。人物紹介としては先駆けの仕事になる。

*没60年(1984)→実弟・末吉安久氏:著作集刊行計画。岡本恵徳・仲程昌徳・新城栄徳・伊佐眞一(『琉文手帖2号』)

* 没70年(1994)
→仲程・岡本恵徳・新城『沖縄近代文芸作品集』新沖縄文学別冊、1991)、粟国恭子(タイムス紙面連載36回・新聞資料発掘・南方熊楠資料・『球陽』写本・絵葉書)

* 没80年(2004)
→新城栄徳、南方熊楠(安恭書簡):池宮正治・崎原綾乃・小峰和行、粟国恭子論文(鎌倉芳太郎との交流)など。沖縄県立芸術大学附属研究所沖縄学講座でも担当(粟国) https://aguni-kyoko.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-49ca.html 

* 没90年(2014)→新城「琉文21」サイトで情報アップ。関連図書刊行への動き(今回の研究会)

 その他の末吉安恭関連の記述・刊行物は、ほとんど上記研究成果を参照に書かれています。2014年11月29日開催の公開研究会のパネリストの紹介。

1
、仲程昌徳(なかほど・まさのり)1943年 南洋テニアン島カロリナス生まれ。
 □所属・専門領域:元琉球大学教授(1973年~2009年同大学勤務) 近現代文学
□主な論文・著作『沖縄近代史詩研究』(新泉社、1986)、『伊波月城―琉球の文芸復 興を夢みた熱情家』(リブロポート、1988)、『沖縄の文学―1927年~1945年』(沖縄タイムス社、1991)、『新青年たちの文学』(ニライ社、1994)、『宮城聡―『改造』記者から作家へ』(ボーダーインク、2014)など

、伊佐眞一(いさ・しんいち)1951年 那覇市首里生まれ
□所属・専門領域:近代沖縄史家。1975年琉球大学法文学部経済学科卒。1977年〜2012年琉球大学在職。1981年〜82年カリフォルニア大学バークレー校在籍。近現代沖縄史・思想史
  □主な論文・著作:『アール・ブール― ―人と時代』(私家版、1991年)、『大田朝敷選集』(全3巻、第一書房、19931996年)、『謝花昇集』(みすず書房、1998年)、『伊波普猷批判序説』(影書房、2007年)など。その他、「沖縄と

日本

ヤマト

との間で―伊波普猷・帝大卒論への道」(『琉球新報』2010
10月〜2014年8月、140回連載)
 
3、阪井芳貴(さかい・よしき)
1957年 東京生まれ
 □所属・専門領域: 名古屋市立大学大学院人間文化研究科 教授 日本民俗学・日本文学・折口学
   □主な論文:「昭和戦前期の本土における沖縄芸能の受容」(2005)、「折口信夫と沖縄学と-折口信夫が沖縄で出会った人々-」(2006年)など。
 
4、粟国恭子
(あぐに・きょうこ)1963 宮古島(旧平良市)生まれ
□所属・専門領域:沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員、沖縄国際大学・沖縄県立芸術大学非常勤講師、沖縄文化・工芸研究所主宰 文化人類学、沖縄近現代文化史
   □主な論文・著作:「伊波普猷と末吉麦門冬(安恭)の交流」『浦添市立図書館紀要№8』(1997)、「南方熊楠と麦門冬」『文学第8巻第1号』(岩波書店、1997)、「近代沖縄の芸術研究①―末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎」(『沖縄芸術の科学』第19号』、2007年)、「人物列伝・沖縄言論百年-末吉麦門冬1~36」『沖縄タイムス』(1994年8月11日~9月30)など

5、崎原綾乃(さきはら・あやの)
1977年 沖縄市生まれ
□所属・専門領域:沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員 琉球芸能史
□主な論文・著作:「南方熊楠宛 末吉安恭の書翰」翻刻(共著)、「末吉安恭の書簡 解題」(以上、『南方熊楠の学際的研究プロジェクト報告書』奈良女子大学大学院、2004) 

6、新城栄徳(しんじょう・えいとく)1948年 粟国島生まれ
□所属・専門領域:「琉文21」主宰、『琉文手帖』発行人 好事家

 □主な論文・著作:『琉文手帖1号 日本画家・金城安太郎-琉球風俗画60年―』(1984)、『琉文手帖2号 文人・末吉麦門冬―没60年―』(1984)、『琉文手帖3号 歌人・山城正忠』(1985)、『琉文手帖4号 沖縄近代文化年表―18681945(1999)

2014年12月 4日 (木)

末吉安恭没90年企画「近代沖縄における思想と文化の表情」

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 2014年11月25日は、明治・大正期に沖縄で活躍した人物・末吉安恭(麦門冬)の没90年にあたる。その記念の公開研究会「近代沖縄における思想と文化の表情」を企画主催し、運営 ・事務局も担当している。
 11月29日(土)午後1時~6時、沖縄県立博物館・美術館博物館1階講座室で開催した。
この研究会の広報記事は、新城栄徳『沖縄タイムス』11月26日、粟国恭子『琉球新報』11月27日紙面で掲載された。司会は粟国恭子。

 今回のパネリストは、この30年、末吉安恭の研究に従事してきたメンバー。
*仲程昌徳(近現代文学)「大正期の文学と末吉安恭」
*伊佐眞一(近現代沖縄史・思想史)「近代沖縄の新聞と末吉麦門冬」
*阪井芳貴(日本文学、折口学)「近代沖縄における文化研究」
*粟国恭子(歴史民学、近現代沖縄文化史)「末吉安恭と民俗学・民族学ー柳田国男・折口信夫・南方熊楠から金城朝永へ」
*崎原綾乃(琉球芸能史)「近代沖縄における琉球芸能の実践と末吉安恭」
*新城栄徳(好事家)6名。
 会場参加者は約100名の方が参加し、発表及び意見交換など和気藹々とした雰囲気で有意義な時間でした。多くの参加者から好評の意見をえた。
 大きな問題は、末吉安恭の文章など刊行物が1冊もないことで、早急に対応しなければならない課題が確認された。安恭研究者の社会的な責任かもしれません。
 厳しい出版業界にあって、どのような方法があるのかも可能性を探る意味も研究会を開催の目的のひとつになっている。

 さて、本来ならば余り記述などしたくないのですが…誤解のないようにあえて記すことにしました。
 この企画に対する反応・問合せの中に、「どこから予算を確保して活動しているのか」「何らかの予算があっての活動だろう」という声が少なくない。
 まったくの誤解なのであえて記しておくが、昨今の沖縄は一括交付金など公的な費用で、いろいろと文化事業や企画が目白押しでそれが主流の活動状況である。沖縄振興策として政府から降りてきたよさんである。
しかし、あえてそうした予算からも遠い位置を取り、「いかに自立した活動を展開するか」という事が重要に思う。そのスタンスで、今回は近代沖縄研究会を立ち上げ、その主催者として自費運営をしている。
 この自立した活動展開は、過去2回開催された「戦後沖縄研究コロキウム」の活動に関しても同様である。
 自由な活動は肩に力を入れなくてもよく、また楽しい。しかしそれがゆえに、刊行物などの実現にも苦労するわけで…。 

2014年3月20日 (木)

書評 金子豊編『松山王子尚順全文集』 

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 近代沖縄を生きた最後の琉球国王・尚泰の四男・尚順が残した琉球文化に触れた文章及び書簡など資料全文集がようやく刊行された(榕樹書林)。沖縄地元の新聞『琉球新報』に書評を掲載(2014年3月16日・日)。
 尚順は琉球国の王族として、近代には実業家・政治家・琉球新報社などの設立など様々な分野でその仕事を捉えなければならない人物である。しかしグルメ・趣味人・文化人としての注目すべき存在であり、この全文集はなかなか面白い。彼独自のこだわりや琉球文化の伝統について、沖縄を訪れる文化人との交流において興味深い記述に触れる。
 資料を集め編集した金子氏とは面識がないが、その作業の恩恵を受けている一人として感謝の意を記したい。
 尚順については、数年前(2012)、沖縄県立芸術大学附属研究所の文化講座「沖縄の美を発見した人々」で、担当(粟国恭子)したことがある。当時この本があればもう少し深く尚順の世界を紹介できたかもしれないと思う。

2013年7月25日 (木)

末吉安恭(麦門冬)の俳句

 新城栄徳氏の開設しているブログ「琉文21」に、末吉安恭(麦門冬)の俳句が紹介されている。http://ryubun21.net/index.php?itemid=6812
 以前から関心を持っている近代沖縄の博覧強記を代表する人物で、魅かれる人物の一人。俳句もなかなかいいのです。
 今回紹介された句から 「月の方へ 蔭の方へと 踊りけり」
 とても言葉のリズムが、その心情をも伺わせるようないい句ではないでしょうか。
明治19年生れの安恭が、23歳の時に詠んだうた。若かさもいい感じです。魅かれる人物の作品は、どこか贔屓目に受け入れる。
 
 2013年、今夜の月もなかなか美しい。

2012年6月11日 (月)

沖縄学講座「末吉安恭(麦門冬)」 担当

2012年6月6日(水)に、沖縄県立芸術大学附属研究所提供の沖縄学講座「沖縄文化の”美”の発見者たち」シリーズの第8回で「沖縄文化の個性を求めて② 末吉安恭(麦門冬)」を担当しました。
Photo  末吉安恭(麦門冬)は、明治大正の沖縄文化(俳句短歌、文学、芸能、民俗学、歴史、美術)の幅広い分野で、伊波普猷、真境名安興と共に当時の「琉球文化史の三羽烏」といわれた人物で、生涯新聞記者(ジャーナリスト)である。38歳で若い時期になくなることから、あまり光が当たっていない。
 新城栄徳、伊佐眞一、仲程昌徳各氏の専攻研究がある中で1993年ごろから資料を集めたり、原稿で発表したりしている。安恭の著作集の1冊も出せていないことはl、研究者として多いに反省する。
 民俗学からみれば、折口信夫、南方熊楠との交流、大正期の郷土研究などの活動が重要である。

 伊波普猷との関わり、尚順が安恭を詠んだ歌など紹介しながら近代の沖縄文化に向き合った当時の人間関係なども話た。下の尚順が詠んだ歌である。

 数奇閲歴麦門冬
 俳句和歌一代宗
 萬巻遺書塡巨館
 猶留眼底半酣容
 
 沖縄学講座シリーズは14回まで内容はこちら↓
 http://okinawabunkakougei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-280c.html