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2014年9月14・15日に早稲田大学アジア研究機構主催の「さまよえる民主制」シンポジウム(会場:沖縄県立博物館講義室)に、15日にパネリストで参加した。刺激のある時間で、日頃交流出来ない先生方の話を聞き、多くの事を学び楽しく過ごしました。
早稲田大学アジア研究機構第8回次世代国際研究大会で、同機関の八尾祥平さんがコーディネート。
大会趣旨「 いま、東アジア・東南アジアでは民主主義の成熟度や民主制のあり方を根底から問い直すことこそが求められている。2014年から2015年にかけて東アジア・東南アジアの各地で国政選挙が行われる。国政選挙によって政権交代が起こる国がある一方で、タイにおける民衆の直接行動にみられるような議会制のみでは反映しつくせない民意がわきおこる国もあらわれている。当大会では、こうしたアジア各地における民主制をめぐる現状を一国内の枠組みにとどめて分析するのではなく、国境を越えるグローバルな視座から、さらには「周縁」におかれる人びとの視点から捉えなおすことを通じて、東アジア・東南アジアにおける平和的な国際秩序構築を模索するための討議の場としたい。」
<プログラム> 総合司会:八尾祥平(早稲田大学)
◇9月14日(日)
13:00-18:20
* 開会の辞:小口彦太(早稲田大学)
* 記念トークセッション:
『永続敗戦論』を沖縄からみつめなおす
白井聡(文化学園大学) × 仲里効(雑誌『EDGE』元編集長)
× 長元朝浩(沖縄 タイムス) × 松元剛(琉球新報)
* 国際学生ワークショップ:
司会 八尾祥平
報告者:平井新(早稲田大学)、林彦瑜(国立台湾大学)、施懿倫(国立政治大学) コメンテーター:呉叡人(中央研究院)、陳姃湲(中央研究院)
2001(平成13年)年度の沖縄県立芸術大学附属研究所公開講座では、「琉球王国と技術」をテーマに10回の講座が開催されます。
*講師:粟国恭子(沖縄県立芸術大学附属研究所共同研究員)
*日程:平成13(2001)年10月4日~12月6日(毎週木曜日)午後7時~9時
*場所:沖縄県立芸術大学附属研究所2階AV講座室
2013年8月17日、元法政大学沖縄文化研究所所長の比嘉実先生が肝臓癌でなくなられた。享年70歳 。
お盆で帰省していたため告別式にも参列できずに最後のお別れもできず…。ご冥福をお祈りします。
1980年後半から学恩を受けた。90年からNHK大河ドラマ「琉球の風」の時代考証の仕事で、私は浦添市立図書館に勤務しており、その後引き続き同図書館沖縄学研究室の職員で勤務していた97年までの間に、幾度となくお会いする機会があった。
当時の図書館長が交流も深かった高良倉吉先生。沖縄学研究室に資料提供もされていた。
当時、法政大学沖縄学研究所所長でもあった先生は、法政大学プロジェクト(小湾調査、久米島調査)など、浦添市中国交流事業、「琉球の風」時代考証の東京での責任者でもあり、そのほかにも多方面ご活躍されていた。
大きな体でしかし繊細な印象、明るくハンサムでメディアでも人気があったとおもう。40代後半から50代前半の働き盛りの沖縄研究者という印象であった。写真は当時の印象のまま(『古琉球の思想』著者紹介より)である。たくさんのお子さんのよきお父さんでもあった。 思い出すのは「琉球の風」製作作業中のこと、私が好きなブームの「島唄」(当時はまだ大ヒットとまではいかない時期で広く知られている唄ではなかった)を高良先生を介して紹介すると、「琉球の航海・オナリ神の信仰に通じるものがある」として、「法政大学の講義で学生たちに聞かせている」とにこやかに話されていた。
あれから20年以上の時間が流れ、ブームの「島唄」は今でも沖縄をテーマにした唄として内外で歌い継がれている。
また、ドラマに使用した進貢船(今はもう廃船になってしまったが)が製作先の福州から那覇港に入港するときも、それぞれがこの唄を聞きながら、それぞれの思いをもって迎えたことも懐かしい思い出である。
それぞれの思いを持った人物の中に、忘れてはならない人物がいる。福州から那覇港に進貢船を曳航する際、船舶のプロとして、沖縄側から参加していたヨットマンで小説家・新作おもろなど創作していた真久田正氏。福州からの船旅を航海してきた真久田氏の思いもまた深かったはずである。彼も今年の初めに他界してしまった。今頃、比嘉先生と二人で航海のおもろを語り盛り上がっているのかもしれません。 また、当時学生時代からのテーマで奄美・沖縄の祭祀道具(ノロ扇など)を調査して沖縄・奄美の島々を歩いていた時期でもあったので、比嘉先生の著作『沖縄風物誌』(1984)、『古琉球の思想』(1991)は何度も読み返していた。鋭い感性の論考テーマ、日輪鳳凰などの文様研究の先駆的な仕事をされ、多いに影響をうけた。今著作を開いてみると、書籍にほとんどラインなど入れない私が、線やコメントをたくさん入れている。若輩ながら専門外のおもろの世界を深く理解したいと苦戦していた作業の跡に触れると、あの頃から時間はすごく流れたけれど、やはり比嘉先生は私にとっては研究者のままである。
政治家を志されてからは、ご本人とはお話する機会も少なかったが、知人の研究者との会話の中で比嘉先生の話題が時折りでた。すぐれた研究者の資質を持ちながら別の世界で過ごされていることを遺憾に思う研究仲間は大勢いたのではないでしょうか。
合掌
1995年(平成7)年10月19日(木)『沖縄タイムス』掲載
「韓国の史跡―浦添城跡との関連を求めてー」
韓国は、沖縄から距離的にそれほど遠い国ではない。那覇を中心に同心円を描くと、関西地方程度の近さである。1995年を「戦後50年」の節目として迎え、多くの平和事業が催されている沖縄から、「解放50年」として迎えた韓国へ。同じ時間の長さが沖縄とは違う意味を持つその国の風を私は受けたかった。韓国への旅は浦添市の文化課が主催した「沖縄と韓国の城郭・建築比較調査」一行に参加しての訪問であった。13世紀の琉球と朝鮮との交易が盛んに行われた歴史的な背景と浦添城跡から出土した高麗瓦の手がかりを求めている。現在の城郭は私たちに何を語りかけたのか。深く印象に残ったのは首都・ソウルにある李朝王宮の景福宮である。
この王宮は、1592年の豊臣秀吉の朝鮮侵略の際と、1910年の日韓併合後の<日帝時代>と二度、日本から破壊を受けた歴史を持っている。王宮内に日本の朝鮮統治の「司令塔」である旧朝鮮総督符庁舎(現、国立中央は区部中間)は建っている。鉄筋5階建てのネオ・ルネッサンス様式の建物は、代表的な日本近代建築としても知られている。
1916年6月に始まり9年5ヶ月の歳月をかけ1925年10月に完成した朝鮮総督府庁舎は、北漢山を背景にして美しく雄大に広がる景福宮の勤政殿前に建設された。建物の正面に位置する宮殿の正門・光化門は、庁舎の景観を邪魔するとして取り払われた。
侵略され統治される側には、自らの歴史が育まれた遺産を、自らの意思で保存する力は与えられていなかった。
日本民芸美術の父・柳宗悦は、朝鮮に対する日本の同化政策を批判し続け、朝鮮民族へ哀燐の言葉を紡いだ。植民地政策が推し進められているなか、1922年7月に「失われんとするー朝鮮建築のためにー」を書き表し、日本による景福宮の破壊を憂いている。
「光化門よ、長命なるべきお前の運命が短命に終ろうとしている。お前は苦しくさぞ淋しいであろう。私はお前がまだ健全である間、もう一度海を渡ってお前に逢いに行こう。お前も私を待っていてくれ。お前を生んだお前の親しい民族は今言葉を慎しむ事を命ぜられているのだ。(罫線著者)それ故にそれらの人びとに代わって、お前を愛し惜しんでいる者がこの世にあるという事を、生前のお前に知らせたいのだ。」
現在、景福宮は韓国政府によって5年前から復元工事が進められている。3分の1が2009年までの20年間、総工費約200億円かけて復元される予定である。旧総督府庁舎の上部の採光塔が、今年の開放記念日・8月15日に除去された。旧庁舎は現在も博物館として見学できるが、1年後には全体が本格的に撤去される。
この時除去された塔は、復元工事でよみがえるのを待つ光化門と対称的に、脇の地面に置かれ展示されていた。この建物の撤去が決定された2年前、国民の9割近くが賛成した。これほどまでに望まれた撤去であった。
また、同敷地内にある国立民俗博物館では、近代百年をテーマに企画展が開催されていた。朝鮮における近代百年は、まさに日本の植民地としての歴史にほかならない。その中で興味深い展示があった。
現在アジアは風水ブームの中にある。朝鮮総督府は、朝鮮の風水を研究し、風水理論で建設された王宮が持つ場所の力ち権威を失わせるために景福宮の前に総督府庁舎を建設している。その研究成果が総督府が1931年に出版した『朝鮮の風水』である。
日本軍によって龍脈(風水でいう気の流れ)が走る山々に深く打ち込まれた鉄の杭は、すべての龍脈にエネルギーを復活させ、韓国の地に活力をとの願いから今年の8月に韓国の人々によって撤去させられた。その模様と鉄の杭が展示されていたのである。
今年の景福宮は、近代百年と日本からの解放50年を確認するための空間であった。観光で訪れた人々に、王宮に悠久に流れたであろう時間の中の百年間を強烈に浮かび上がらせ、同時に現代の韓国の人々の意識を提示させていた。
現代の韓国の人々が城郭を通してどのような意志表示をしたのかを、それを支えるエネルギーの意味を受け止めるには、静かで雄弁な空間であった。
浦添をはじめ沖縄の各地の城跡は、戦跡としての性格をも持っている。歴史を物語る空間、そして今日的な演劇や祭りを取り込んだ新しい文化創造の空間として、その整備保存・活用が検討されている。
いずれにしても、現在の私たちの鋭い問題意識を漂わせることができなければ、その空間と共に呼吸している事の実感を記憶にとどめることは難しい。
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